宣教師志願者学校の受講者の証集

鈴木しのぶ宣教師を中心とした宣教師志願者学校を開校できたことを心から感謝します。開校について宣教クォータリーに記載した結果、40名ほどの参加者が与えられました。今回の学びを通して多くの方々が世界宣教への重荷が増し加えられ、その理解を深める機会となったように思います。下記が受講者のいく人かの証いです。

 

独身女性宣教師の貴重な講義を特に感謝

台湾/東アジア派遣宣教師 鈴木 しのぶ

宣教委員会の諸先生方と講師の牧師、宣教師の諸先生方に感謝いたします。教えていただいたことは、派遣教会の先生方が神様と人を愛し、宣教に重荷を持って教会を導き、宣教師を派遣し続けているということです。長年、フェローシップの諸教会にこのような信仰の模範があることを主に感謝します。また、講義を通じて諸先生方の信仰やご経験を教えていただきました。それぞれの先生方が主に任されたお働きを成しておられ、先生方に共通する部分もあれば、役割やお働きによって独自の部分もあることが分かりました。

また講義の中に独身女性宣教師の講義が含まれていたことを、心から感謝します。ルツ・キング師とデニーン・エーカーズ師のお話はとても貴重でした。どうもありがとうございました。また牧師夫人の先生方もお話してくださったことを、心から感謝いたしました。

牧師ご夫妻、宣教師ご夫妻や独身の宣教師の役割はそれぞれありますが、神様を愛し、人を愛し、それぞれいろいろな方法で福音を分かち合っていることを改めて教えていただきました。神様は私のことも救ってくださいましたので、私も主イエス様のことをお伝えしたいです。また、教会員として続けて宣教地や宣教師のために祈り、ささげたいです。

 

宣教師志願者学校を受講して

すずらん聖書バプテスト教会 吉田 嵩人

今回、宣教師志願者学校の授業を受講し、多くの学びと発見があった。その中からいくつかを紹介したいと思う。

1)宣教師個人の霊性について
宣教師たるもの一人のクリスチャンであり、生まれ故郷を出て、異国語異文化の中で福音を宣べ伝えていくには並大抵の信仰では難しいと思う。そうした中、まず宣教師個人が自分自身の霊性をしっかりと保ち続けることの必要性を学んだ。御言葉から霊的に養われ、召しについての確信を日々いただき、祈りをもって自分のたましいとからだを守り、同労者間で励ましを与え支える。これは宣教師だけが行うものでなく、私たちの日々の信仰生活の延長であり、今のうちにこれらの姿勢をしっかりと作り、神様がいつ導き宣教地へ召してくださってもいいような準備をしたい。

2)宣教師夫人としての苦労
宣教師家族というと多くの場合男性のみがクローズアップされがちである。確かに前に立って御言葉を語るのは男性であり、教会を牧会していくのも男性である。しかし、その働きを成し遂げるためには妻の支えが必要不可欠である。もし、神様の御心により私に妻が与えられたのなら、妻の助けを得つつ私自身も妻を支え、ともに神様の栄光を現していきたいと思う。

3)婦人宣教師について
9月中頃に鈴木しのぶ先生が私たちの教会に来てくださり、そこで鈴木先生から婦人宣教師としての働きについて初めて学ぶ機会があった。今回、ルツ・キング先生とデニー・エイカーズ先生から改めて婦人宣教師についての学び、独身としての苦労や試練を知ることができた。特に宣教師であるのにもかかわらず、宣教師として認められない事例も聞き、私自身は非常にショックであった。だからこそ彼女たちのために祈り、支えていく必要があると感じた。

今回の学びは献身者にとって非常に有意義な時となった。これからの働きに向けての参考とし、導かれた地において神様の栄光を大いに現わしていきたいと思う。

主の御名を賛美し、今回の学びを通しての証とさせていただきます。この学びの機会を作っていただいた海外宣教委員会をはじめとする先生方に感謝いたします。また、御言葉を通じて召しの再確認と宣教の働きの意義を教えてくださった神様に感謝いたします。

 

今回の宣教志願者コースを受講して

すずらん聖書バプテスト教会 エバンズ・スザンナ

「宣教師は試練を多く伴う一方、主が注いでくださる祝福がそれに勝る召しだ」これは宣教師である両親が幼い頃から私に何度も伝えた言葉です。宣教師家庭に生まれ、両親の喜びの涙、苦しみの涙を間近で見て育った私にとって、今回の宣教志願者コースは今まで学んだものを明確化すると共に、神様に一生涯お仕えする熱意を新たにされる機会となりました。

同じような状況で育ち、今も日本でお仕えしている夫人宣教師や海外で働かれている宣教師夫人の学びを通して励まされました。自分を周りと比較する傾向がある私に、神様が求めておられるのはただただ与えられた賜物・才能・経験をささげることであり、主の御前でへりくだってお仕えすることだと教えられました。

また、独身の女性として自由に神様に自分の時間をささげることができることは大きな恵みであることを改めて実感しました。「独身の女や処女は、身もたましいも聖くなるため、主のことに心を配りますが、結婚した女は、どうしたら夫に喜ばれるかと、世のことに心を配ります。」(Iコリント7:34)人生には様々な季節がありますが、この与えられた独身者としての時間を神様のために最大限に用い、更に主を愛し、主に従う者へと成長させられたいと思いました。このような機会を与えてくださった神様に感謝します。

 

宣教師のことを知っているつもりでしたが

すずらん聖書バプテスト教会 山上 世貴人

まず、講師をつとめてくださった方々に、感謝を申し上げます。普通、ファーローの時にしか接点を持つことができない宣教師の先生数名から、また、北海道に住んでいる一信徒としてはやはり簡単にお会いできないJBBF諸教会の牧師数名から、さらに婦人宣教師・宣教師夫人・牧師夫人からもお話を聞けたことは、今まで私が参加したJBBF全国集会のどれよりも豊かで貴重な学びの時間となりました。正直な経験談、失敗談も分かち合ってくださいましたので、画面越しではありながら人柄も感じ取ることができました。今回を最後にせず、また機会を設けていただきたいと切に願います。次の献身者が起こされますように。

証として、特に未参加だった方へ何を伝えたいだろう、と講義ノートを見返しています。ひとつの言い回しに集約できそうです。(知らないことを知る)これが、毎回の講義で味わった感覚でした。無知を知る、というものです。個人的な話をさせていただくと、私の教会生活は、ふたつの宣教師家族と密接に結びついています。幼いころから高校卒業までは、稚内市のアメリカ人宣教師家族の単立バプテスト教会でお世話になりました。大学生から現在までは、北広島市のすずらんBBCでオーストラリア人宣教師であるエバンズ牧師家族と、多くの時間を共有してきました。ふたつの国から来ている宣教師と親しくさせていただいた私は、多分一般的な日本人クリスチャンよりも宣教師の状況を知っているはず。少なからず、そういう思いを持ちながら今回の学びに参加しました。実際のところ、私はほんのわずかな部分しか知らず、結果として、大量のメモを書くことになりました。宣教師が直面する困難、多くの労力と犠牲、言語と文化のギャップへの無力感、現地人を育てることの忍耐、正解のはっきりしないことへの対応の苦慮、本国に残してきた家族への心遣い、子育てで発生する問題と子ども自身のアイデンティティ形成。どれも、重い。軽々しく、先生のために祈ってますよ、ではなく具体的に祈るべきだと考えさせられる内容でした。

もちろん、宣教による喜びについても再確認できましたが、どちらかというと、課題の認識、祈る材料の把握、というのが多かった印象です。JBBF70周年記念式典でカナラップ師が語っていた9:38チャレンジも、必要であるとわかっていながら出来ていませんでした。もう一度、祈りへの姿勢を整えたいと思います。

 

貴重な学びの機会

すずらん聖書バプテスト教会 今本 真穂

今回、宣教師志願者学校の学びに参加することが出来た恵みに感謝いたします。特にこのような時代だからこそできるオンラインでの学びでしたが、普段は聞くことの出来ない先生方からの学びを受けられたことがとても恵みでした。

吉田先生の講義では「世界宣教の実践面」というテーマを取り上げていただきました。私自身が海外に行った経験がなく、宣教師の先生方からの定期的な宣教の報告や実際に教会に訪問いただいた時に質問すること等での知識しかなく、わからなかった部分が多かったので、実際に初期・中期・後期とどのようなアウトラインがあるのかを知ることが出来て改めて、今働かれている先生方の尊い働きに感謝をすることが出来ました。初期の段階ではまず、語学の勉強や現地での生活、政府や医療機関、食事や文化もまったく異なる中で、与えられた宣教地での生活を習慣化していくこと。(使徒14:27-28)にあるように一定期間の働きを終えるたびにファーローに出かけ、宣教の報告、そして自分の体のメンテナンスとして母国の医療機関を受診し、体調も万全な状態で再度出かけていくという、実際の開拓伝道や働きをするまでにもこのような働きが必要だということを教えていただき、自分の中で改めて宣教に対する思いと実践において必要なことの知識が追いついていない事に気づかされ、感謝でした。

そしてエバンズ先生の講義では「宣教師個人の霊性」というテーマでの学びでした。(ピリピ4:1-13)パウロの宣教の働きから、自分の霊性を保つ為には信仰にしっかりともち、祈りの生活を惜しまないを基本にすることで、与えられた御言葉や思いをしっかりと保つことで、試練にあった時でも、精神的に、肉低的に弱ってしまった時でもこれは神様から与えられた召しであると確信を持つことができる。

宣教は決して一人で行うことではなく、パウロは一人で行動しなかったように、一人で頑張らずに、共に働いてくださる方々、祈りに覚えてくださるたくさんの方々に支えられて、神様の為に仕え、宣教の働きを担うことができるんだなと学ぶことが出来ました。

改めて、今回このような貴重な学びの機会をくださった先生方に本当に感謝致します。献身者としてどのような道に導かれるか今は祈っていますが、続けて神様が与えてくださる場所でいつでも働くことが出来るように準備していきます。

 

学ぶ機会を感謝

インマヌエル聖書バプテスト教会 レイチェル・スミス

多くの宣教師の先生方のご経験から実際的な学びを受けられる貴重な機会が与えられ、心から感謝しています。先生方のそれぞれの学びを受け改めて感じたことは、上で述べたことも踏まえ、国内も海外も宣教の働きは変わらないということです。もちろん、その地の文化や言語を習得することの必要性、受けるストレスなどの違いはありますが、働きや志は同じでした。主の御心である、すべての人が救われ永遠のいのちを持つようになるために、すべての造られた者に福音を宣べ伝えようとしているのです。それが分かった時、大きな励ましを受けました。世界中で主の御名が語られていると思ったら、嬉しくてたまりません。まだ、福音が語られていない、キリストの御名を知らない人たちは世界中に多くいます。しかしいつの日か、すべての人に伝えられ、主が再び来られます。その時を待ち望みつつ、福音宣教が拡大していくことを祈ります。

主の真実を賛美いたします。姉妹教会の兄弟姉妹を通して宣教志願者学校について聞き、参加出来たことに大きく感謝します。多くの宣教師、宣教師夫人からの実用的な学び、励まし、知恵、それぞれの経験の証、お勧めの本の紹介、質問コーナーなどお通して非常に恵まれました。日本や世界中の牧師、宣教師家族の貴い働きに感謝し、祈り続けます。Thank you very much for this opportunity!

 

学びを受けて

甲府聖書バプテスト教会 藤田 夏穂

主の御名を心からあがめます。このような学びの時を与えてくださった宣教委員の先生方、教えてくださった多くの先生方に感謝いたします。

主の目から見る宣教というものは、国内・海外と区分するものではなく、「世界宣教」なのだということをはっきりと教えられ、目が開かれました。世界宣教の中の日本、その中の〇〇と考えていくべきなのだと分かりました。それまでの私は人間の目から見える、国内・海外と分けて考えていましたし、将来の働きの導きにおいて祈る時も分けて祈っていました。しかし学びを受け、そのように分けて考えることが主の御思いと違うのだと示されました。その時から、遣わされる場所がどこであろうとも、それは世界の中一つであり、主がそこで私をお要りようとしてくださるなら、私は謹んでそこでお仕えしますという祈りへと変えさせていただきました。

 

宣教師志願者学校の恵み

横浜聖書バプテスト教会 張替 道雄

主の素晴らしい御名を賛美致します。

海外宣教委員会の先生方の尊い主にあるお働きにより、貴重な「宣教」の学びの機会を設けて頂きました事、心から主にあって感謝致します。学んだ事を以下3点でご報告致します。

まず第一に「宣教」は主の御心である事、主は「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:15)キリスト者に宣教の大命令として与えられている事を再確認できました。収穫の為に、刈り取るべき畑が目前に広がっており、世の人々は皆滅びに一直線に向かっているという実情も認識でき、「出て行き」福音宣教の働きを推進する事が急務であると痛感致しました。主が今後どのような道に導かれようとも、この主から与えられた「志」に忠実に、より一層主に御心を祈り求め続けるべき事を示されました。

第二に、実際に現地で宣教の働きをされている先生方から実践面での話を伺う事ができました。私は、かつて3か所の宣教地を訪れ、宣教の働きを間近で見、共にご奉仕させて頂く機会が備えられていたこと、主に感謝いたします。その時は、何も分からずに赴き、現地の空気を吸い、働きに加えて頂いておりましたが、今回はその時の経験を振り返りつつ、具体的に・詳細に宣教師の先生方のお働きを伺うことができました。特に宣教の定義、宣教の主体である地方教会の在り方、宣教師派遣までの準備などの全体像、現地での宣教活動について、現地での霊性管理、異文化の理解、国内・宣教地の方々との関わり方、宣教地での教会形成方法、後継者への訓練、後継時期等、様々な内容を先生方から実際の経験踏まえ学ぶ事ができ、実際に宣教に出て行く上で必要な情報を得られた事、感謝でした。また、宣教師の先生方の具体的な働きを認識し、より一層祈り、ささげられる幸いを主に感謝致します。

第三に、自己吟味の機会となりました。「宣教」の学びで豊かに恵まれ、教えられましたが、果たして自分の「宣教」の働きはどうなのか考えさせられました。平日は神学校で学び、土日教会で仕える日々の中で、滅びゆく魂との関わり、伝道の働きの圧倒的な欠如を明らかにされました。現在、地上に於いて主から享受している人脈(特に営業先の歯科医師)に、また関わる全ての滅びゆく魂に福音宣教の働きを加速させる必要を強く示されました。

今後も、主の御前に謙遜に、主の福音宣教の前進の為に励み、主の御心を祈り求めていきたく存じます。

 

参加できた恵を感謝

横浜聖書バプテスト教会 張替 愛

主の御名を心から賛美申し上げます。

まず初めに、宣教師志願者学校の受講がゆるされましたことに心から感謝致します。このような学びの機会があると伺ったとき、何とかして受講させていただきたい!と思いました。けれども同時に、神学生でありながら、「宣教師志願者学校」という名前に恐れを覚え、どこに遣わされるのか全く明確になっていないこのような者が参加させていただいていいのだろうかと戸惑いもしました。そのような思いも含めて神様に祈り求めていたときに、不思議な方法で、思ってもいなかったところから受講するようにとの勧めをいただき、道が開かれることになりました。神様の恵みに心から感謝致します。

全12回の学びでそれぞれ立ってくださった先生方から、多角的に、深く広く、宣教に対する神様のみこころを教えていただきました。そのすべての回を通して、特に教えられたことは、世界宣教が主ご自身の働きであるということです。聖書のみことばから、また先生方の豊かなご経験から、その歩んでこられた生き方から、そして何よりそこに働かれている主のみわざの数々から、世界宣教が主の働きなのだということを改めて教えていただきました。実際に献げ尽くしてこられた先生方だからこそ語ることのできる神様のみこころを教えていただくことができ、毎回、主の御名を崇め、主に感謝するひとときでした。そして、私自身、その主の働きに参加させていただけるという特権と感謝を覚えるときとされました。私の働きは、「それが何になるでしょう」(ヨハネ6:9)と思えるような小さな働きであったとしても、「ご自分が何をしようとしているのかを、知っておられ」(ヨハネ6:6)る主ご自身が、幾倍にも増やして用いてくださることを改めて教えられ、おささげできる喜びと感謝を覚えることができました。先生方の模範に倣って、宣教のわざに、熱心に謙遜に励む者でありたいと思わされました。

この学びのために、多くの祈りと犠牲をもってご準備くださった先生方お一人おひとりのお働きに心から感謝申し上げます。

「神のことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、覚えていなさい。彼らの生き方から生まれたものをよく見て、その信仰に倣いなさい。」(ヘブル13:7)

 

参加の恵み

若葉聖書バプテスト教会 井垣 勇基

貴い主の御名を賛美致します。主がこの宣教師志願者学校に参加し、宣教を学ぶかけがえのない機会を、私のような者にもお与えくださったことに心から感謝致します。宣教地に行って、直に様々なものに触れ、体験する機会が減少する中で、こうした学びの機会を通して、宣教の重荷を増し加えて頂けたのは、特別な主の恵みだと思います。

今回の志願者学校の学びを通して、普段の宣教報告では伺えないような宣教地の文化的な背景や、宣教地でのご苦労をわずかでも伺うことができました。更には、宣教に召された先生方が、宣教地派遣に至るまでのお証しを伺うことを通して、宣教の働きを今まで以上に身近なこととしてイメージすることもできました。そのようにして、先生方の宣教地での様々な実体験を伺いながら、すべてのことを働かせて益としてくださる宣教の主、イエス様のすばらしさを教えられました。

特に講義を通して教えられたことの一つは、「宣教はチームでする働きである」という点でした。自分の弱さと限界を知り、主に砕かれている人だけが、このチームに預かることができるのだと、先生方の様々な告白を伺いながら、教えられました。

主がなさるこれからの宣教のお働きに期待して祈り続けるとともに、主の宣教のために、自分自身を献げ尽くしたいと願っております。

海外宣教委員の先生方、講師の先生方のお働きに心から感謝致します。

 

多くを学べて良かった

調布聖書バプテスト教会 井垣 真実

宣教師志願者学校を受講することができた恵みに心から感謝しています。コロナの影響で身の回りの様々な集会や働きは中止中止の連続でした。そのような中で、この志願者学校を受講する恵みに預かったことで、主なる神様から「わたしはわたしの働きを中断しない。あなたを見捨てず、導き続けよう。」と言って励ましていただいているように感じました。

まず第一回目の講義から、世界宣教の大原則、最終目標を学びました。私たちは宣教の働きに必要不可欠ではない。けれど、神様は宣教の働きの恵みを与えようとしてくださっているということ。宣教の目的は、終わりの日に共に神様をあがめる群衆に1人でも多くの人を加えることであって(黙示録7:9)、その他の私たちがすり替えてしまいがちな企業的な動機は主に喜ばれないということ。神様の言われている世界宣教と、私の考えていた世界宣教には、根底からギャップがあったということに気付かされ、驚かされ、悔い改めました。

また、第三回の講義では、レビ記に書かれている、全焼のささげ物と交わりのいけにえの比較から、女性の献身者としての働きについても新しい気づきがありました。今までは「献身=全焼のささげ物」それしかない、私もそうなるのだと意気込んでいましたが、神様の秩序の中で生かされている女性としての働きがあるということを知り、違った祈りが必要だと示されました。

第十回の講義では、婦人単身では、開拓伝道の働きができないのでは?、や、そもそも女性は召しを受けられないのでは?などといった疑問に、みことばから解決をいただくことができ、心のもやが晴れたように感じました。また、先生方の知られざるご苦労があることもお聞きし、祈りの足りなさを痛感しました。

講義の中には、実践的且つ具体的な内容も多く、今の私には難しいなと感じたり、理解できないことも正直ありました。けれど、神様の導きをいただいて、今心に与えられているビジョンを祈り求めて行くならば、それらは決して無駄にはならず、神様の時にもう一度明らかにしてくださると確信しています。宣教委員の先生方、10回の講義のために労してくださった先生方にも心から感謝します。ありがとうございました。

 

学びに参加して

調布聖書バプテスト教会 橋場 さくら

講義の中で特に印象に残ったのは広瀬先生の『異文化理解』です。宣教師の先生方が言語はもちろん現地の習慣や宗教において、様々な配慮をしたり、困難を感じることがあると知りました。私は日本国内でカルチャ―ショックを感じたことがあったので、海外などはもっと無理だろうと思っていました。しかし全講義を通して、宣教師の先生方が困難な場面にあっても神様の導きで解決を得ていることを知りました。私は、(宣教以前の問題ですが)神様にある地に出て行けと言われたときにはいつでも出ていけるように、私自身がもっと砕かれる必要があると感じました。頑なさを捨てるように日々悔い改めて、主が扱いやすい働き手でいられるように備えていこうと思います。

先生方の講義、本当にありがとうございました。全講義から宣教の素晴らしさと助け手が必要であることを感じました。先生方のお働きのために祈るとともに私自身の歩みについても続けて祈って行こうと思います。

 

参加して良かった

流山聖書バプテスト伝道所 青島 洋美

今回、宣教師志願者学校に参加させていただく恵みをいただき、神様に感謝致します。
また、講義してくださった先生方や企画してくださった宣教委員会の先生方、本当にありがとうございます。

宣教師志願者学校をオンラインで受けられると聴き、私も参加してよいのかと迷いました。
しかし、講義してくださる先生たちを知り、こんな貴重な講義を逃しては、もったいないという思いで、参加の申し込みをさせて頂きました。

10月から毎週火曜日は、日々の仕事を終え、子どもたちにご飯を食べさせ、講義に間に合うようになんとか着席する、慌ただしい日々となりましたが、毎回、沢山の恵みと学びをいただく幸いな時間となりました。

講義を通して、自分自身の神様からの召命を再確認する機会をいただきました。自分の弱さに打ちのめされていた時に、講義を通して与えられたみことば(第一コリント1:26~29)に励ましをいただきました。私ではなく、主が成し遂げてくださるという信仰をもって、主にお仕えしていこうと改めて思わされました。

「宣教師志願者学校」と聞くと、少しハードルが高い印象がありましたが、思い切って参加させていただいて本当に良かったです。

コロナ禍ということもあり、オンライン講義という形になったかと思いますが、このような学びの機会がまた与えられれば、遠方の方やなかなか学びの場に来ることができない方にはよい学びの機会になるのではと感じました。

 

参加でき、感謝

茨木聖書バプテスト教会 池側 真紀

主の御名を賛美いたします。今回、宣教師志願者学校に参加できたのは、本当に神さまからの大きな祝福で、とても恵まれた学びでした。

まず、世界宣教が「主の御心であり、すべての信徒にとって最も重要な使命である」ということを聖書から学ぶところから始まり、宣教師の準備について、海外宣教委員会や派遣教会、支援教会との関わり、デピュテーションや派遣準備、実際の宣教地での宣教活動について、また宣教師個人の霊性の保ち方、人間関係、異文化理解など様々なことを具体的に学ぶことができました。

今回はまた、女性として、未婚の女性宣教師について、実際に日本で活動されている二人の女性の宣教師の先生方から学び、また宣教師夫人としてという点から、宣教師夫人として、現在また過去に遣わされていた先生方から具体的な学びや励ましを得ることができました。とても大きな恵みでした。

特に今回、私が個人的に教えられたことは、石川先生から教えられた「宣教師自身の召命の確信」という点でした。まず前提として、神さまが召される人について、第一コリント1:26-29から学び、具体的にはイザヤやエレミヤの例から学びました。神さまがみことばを通して与えてくださる確信やビジョンをどのように保つか具体的に示され、励ましを受け、とても感謝でした。神さまが召してくださるところで、いつでも、どのような時でも、感謝しつつ、主を見上げながら、主の証人として歩んでいきたいと強く思わされた学びでした。開校していただき、本当にありがとうございました。

「兄弟たち、自分たちの召しのことを考えてみなさい。人間的に見れば知者は多くはなく、力ある者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。肉なる者がだれも神の御前で誇ることがないようにするためです。」第一コリント1:26-29

 

録画の講義を聞く機会を感謝

西舞子バプテスト教会 馬渡 みどり

神さまの導きによって日本バプテスト・バイブル・フェロシップの宣教師志願者学校に参加することが許され、時間の関係でライブでの参加は難しかったのですが、録画の講義を聞く祝福に与れたことに感謝いたします。講義では聖書に基づいた大事な世界宣教の学びだけではなく、主の器として世界宣教のお働きをされておられる先生方の生きた信仰の証もお聞きすることができ本当に感謝でした。

特に感謝だったことは、世界宣教は神さまの御心でありご計画の中にあること、神さまは取るに足りない者をも宣教の働きのために用いようとしてくださっていること、また世界宣教に加われることは恵であることを今一度覚えるひと時が与えられ、世界宣教の前進のために祈り、捧げ、積極的に加わっていきたいという思いが増し加えられたことです。

先生方のお話を聞く中で、それぞれ異なった背景や召し、また賜物を持っていますが、世界のどの場所に置かれていたとしても、イエスキリストにあって一致し、神さまの愛を伝えるための通り良き管として主のお働きに協力できることは本当に素晴らしいことだと感じました。男性と女性で神様から与えられる役目や任される働きは全く異なります。だからこそ、女性宣教師の先生方のお話がとても勉強になりました。講義の中でお話くださったよりもはるかに多くの労苦や困難の中を歩まれてきたと思いますが、それらは主のために本当に価値のあるものであるということが、先生方の内に抑えておくことができないほどの溢れ出る喜びから明らかでした。

女性は恐れによってサタンの策略に惑わされてしまうと語られているときに、主に信頼しきれずに恐れの中で自分の不十分さばかりに目をむけてしまっている不信仰さを示され悔い改めに導かれました。また今置かれている境遇に感謝すること、日々御言葉を通して自分自身の霊性を保つこと、自分でしっかり立つこと、書いてしまうと基本的なことに感じますが、それらのことを忠実にしていくときに、先生方のように教会に集われる一人一人に心を寄せ、話を聞き、共に祈り、教会を建てあげていくことができるのだと気づかされました。部分的や片手間での献身ではなく、全部の心、全部のいのち、全部の力で、主を愛し、わたし自身小さな信仰の罪深い者ですが、力強く働くキリストの力によって世界宣教前進のために励んでいきたいと思います。本当にこの様な素晴らしい時を与えてくださりありがとうございました。続けて先生方の働きを覚えて祈っています。

 

機に適ったお恵み

つくば伝道所宣教牧師 山宮 利忠

かつて宣教委員会が米国宣教委員会との交わりをも求めて米国志願者学校の視察に訪れたことがありました。日本でもこのような志願者学校が出来ればと願ってきましたがこの度バーゲット宣教委員長の下で、コロナ禍を利用して志願者学校を開催されたことは、機に適ったお恵みでした。

計画し実行された先生方のご労苦に心から感謝致します。

貴重な講義のすべてが、今後の宣教師の為に有効に用いられることをお祈りいたします。

 

 

新しい企画を感謝

香港/中国派遣宣教師 吉田 正治

まず、この新しい試みを企画立案され、実行に移されたことを、心から感謝し、私たちに大きな励ましになったと確信します。特に心に残ったことは以下のことでした。

1)他の宣教地の様子を知ることができたこと。イスラム圏で伝道されているインドネシアの先生たちの、戦いを垣間見ることができました。
2)新宣教師、鈴木姉妹のためのレクチャーという位置づけでしたが、婦人宣教師たちのご苦労を知ることができました。アメリカであっても婦人宣教師たちが、無理解と闘いながら、派遣され、宣教地での働きを続けられていることを知り、婦人宣教師の方々への祈りの必要を覚えました。
3)各宣教師の働きを聞くにつれ、私自身は心に刺されることばかりで、自分はなんと働きの少ないものであることに心が責められ、痛むばかりでした。
4)それぞれ違う場所へ遣わされながらも、宣教師としての共通の悩み、問題、喜びなどを聞いて、同じ宣教師としてとても慰められました。
5)奥様たちのレクチャーの時間があり、男性だけでなく、女性として、妻として、母として、助け手としての宣教の働きをお聞きし、改めてその働きの大変さと、ご苦労を知ることができ、感謝いたします。
6)宣教師、母教会、宣教委員、諸教会などなど、一軒の教会がどれだけの犠牲と投資と祈りの末に開拓され、成長し、現地において名実ともに一軒の教会になるかを再確認し、改めて感謝に溢れます。
7)各宣教師の信仰と喜びの表情を拝見し、主のお働きの素晴らしさを知り、こちらも同様の喜びに与りました。

※最後に、さらに新しい宣教地、東南アジア、インドシナ、中東など、日本人宣教師の行くべき宣教地に、ますます宣教師が遣わされるように祈る必要を強く感じました。また、宣教地に、強いバプテストの群れを建設しなければならない必要も感じ、日本のB B Fの群れが、このように強固で、宣教の働きが続けられていることを感謝いたします。

 

学びの場を感謝

香港/中国派遣宣教師 吉田 淳子

この度は鈴木先生の派遣にあたって、このように素晴らしい学びの場を用意してくださりどうもありがとうございました。
大変励まされ、また教えられました。講義のテーマがとても実践的・具体的で、お知らせをいただいた時にはワクワクしました。遠くに離れていても、現場の先生方の生の声をお聞きすることができ、その思い、熱意、戦いを知ることのできた貴重な機会でした。それぞれの宣教地に「始めの一歩」を踏み出して以来、たくさんの経験を重ねてこられた先生方のお言葉には重みがありました。そして、そのような先生方を支えておられる奥様方にも心から敬意を感じます。

鈴木しのぶ先生の「始めの一歩」に向かって豊かで確かな主のお導きを、さらに二歩目からの歩みの上にも主のお助けと祝福を祈り続けます。応援します。

 

あらためて学びなおした世界宣教の大切さ

インドネシア派遣宣教師 広瀬 憲夫

「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」(マタイ28:19)

主のお導きの内にあって宣教のお交わりに加えられていますことを、主に感謝するとともに、この交わりにある皆様にも感謝いたします。

それぞれの場で宣教の最前線にかかわる人の生の声として聞くことができたのはとても大きな恵みで、オンライン・ミッション・カンファランスと言える程、それぞれメッセージが込められていた学びだったと思います。今後、ミッション・クォータリーの巻頭メッセージのような宣教メッセージ特集のオンライン集会が行われることも期待しています。

私に与えられた異文化理解というテーマは、私自身の宣教現場で現在進行形の課題です。今回、お話の準備をしていて一番教えられたことは、「最も遠くを照らす光」から学ぶことができるこの内容は、近くをも照らすことになる、教会の日常の働きにかかわる事柄だということでした。参考図書の中で、「グローバル社会における異文化コミュニケーション—身近な「異」から考える—」では、日常で接する「異文化」についても考えさせられました。インドネシアでは教会メンバーにある部族の違いからくる、案外とちょっとした言葉遣いや語気の強弱の癖の違いで感情的なすれ違いを起こしている可能性があります。

地域の文化、家庭の文化、個人の文化がそれぞれにあって、その違いが交わりの妨げになっている可能性も、十分にあり得るわけです。そこで、福音によってそうした違いを乗り越える具体的な知恵が、教会の現場で探り求められるべきだということを教えられました。違う部族、ということで考えるとはっきりわかるトラブルの原因も、いつも顔を合わせているメンバー同士ではその違いをつい忘れてしまって、感情的なぶつかり合いになりがち。

新型コロナ感染の影響もあって、準備不足や日程のことでご迷惑をおかけしたこと、申し訳ありませんでした。宣教現場で突然起こる様々な事情を汲んでくださり、忍耐をもって対処していただき、ありがとうございました。

 

世界宣教の火種

港北ニュータウン聖書バプテスト教会 鹿毛 愛喜

「私は主が言われる声を聞いた。「だれを、わたしは遣わそう。だれが、われわれのために行くだろうか。」私は言った。「ここに私がおります。私を遣わしてください。」(イザヤ書6:8)

今回、宣教師志願者学校を導かれた主の御名を崇めます。各講義をご担当くださった講師の先生方、宣教への祈りをもってご参加くださった敬愛する諸教会の兄姉の皆様方に心から感謝いたします。

コロナ禍により社会的にも(教会においても)様々にオンライン化が進む中で、宣教師志願者学校の開催もオンラインで開催する運びとなりました。オンライン開催を宣教委員会において検討していた当初は、テクニカルな面も含めて「どうなるのか」ということは未知数でした。ただ、コロナの感染状況を考えても、遠方の参加希望者がおられるということを考えても、オンライン開催以外に道はないという状況でした。オンライン開催であったために、場所に限定されずリアルタイムで皆さんにご参加いただくことができ、また毎週宣教地から宣教師の先生方が参加してくださり講義をご担当いただくことができたということは、私たちの想定を大きく超える主の恵みでした。新たな宣教地とのつながりの可能性がオンラインというかたちで開かれていることを実際的に経験させていただく時となりました。

また、多くの敬愛する諸教会の兄姉と共にオンラインではありましたが、一堂に会し、世界宣教についての同じ学びを共有できたということは、今後の世界宣教への取り組みにおいて大変大きな一歩となったことを実感させられています。画面上において、真剣に学ぶお一人、お一人の姿が印象的であり、そこに世界宣教の火種を見せられた思いでした。世界宣教における召しをいただいている方々もおられれば、そうではない方々もおありだったと思います。前者の方々には具体的に働きをイメージできる学びとなったでしょうし、後者の方々もどのようにしてご自分の教会において世界宣教に関わることができるのかというヒントを多く得られたのではないかと思います。世界宣教は宣教師個人の働きではなく、教会にゆだねられた働きであると確信します。それゆえ、この火種が諸教会において、御霊によって大きな世界宣教の炎となることを心より期待していおります。派遣者である神の声が一段と大きく聞こえるこの時代にあって。「だれを、わたしは遣わそう」。