コロナ感染中でも圧倒的な勝利者

海外宣教委員長 バーゲット・マイケル

バーゲット先生

「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」ローマ8章37節

諸教会の世界宣教への尊い献金と熱い祈りを心から感謝いたします。

聖書によると主を信じる私たちは、圧倒的な勝利者です。でも、それはこのようなコロナパンデミックの中あってもそうなのでしょうか。冒頭の聖句を中心にそのことについて考えてみましょう。

まず、この箇所の「これらすべてのことの中にあっても」は何を指しているのでしょうか。それは、その先に記されている御言葉です。「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。『あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。』と書いてあるとおりです。」(ローマ 8:35-36)。コロナパンデミックはまさにこの「困難、苦しみ」と言えるのではないでしょうか。だとすれば、この御言葉により主を信じる私たちには圧倒的な勝利が保証されているのです。

では、この勝利とは何を指しているのでしょうか。例えば、クリスチャンはコロナに感染しないとでも約束しているのでしょうか。もちろんそれは違います。主を信じる私たちは、この世において様々な困難に会います。主ご自身もそうであったように、私たちも主の御足跡に従うなら同じ体験をします。コロナ感染もそのような事例の一つにすぎません。

それでは、この勝利は何を意味するのでしょうか。同じ章の12節前にその答えが記されているように思います。「なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。」(ローマ 8:29)。私たちは神のお取り扱いにより、キリストの御姿に変えられるという神の素晴らしい御計画があります。「神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。」(ローマ8:30)とあるように、このことは神の定めと召しから始まり、さらには義認(神の御前に義と認めれる)と、聖化(私たちが聖められ、キリストの姿に歩み寄る)へと進み、最終的に栄化(私たちがやがてキリストと同じようになる)に終わるのです。

主はこのコロナという困難をも用いてくださり、私たちをキリストに似る者へと変えようとしておられるのです。だからこそ、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)と記されているのです。この「益」とは平凡な問題のない生活を意味するのでしょうか。一般的にはそのように考えるかもしれませんが、違います。この「益」とは、キリストに似ることを意味しており、私たちの聖化と最終的な栄化を指しているのです。神が主を信じる一人一人をキリストの御姿に変えられていくのが天の御父の願いです。それが神の御計画であり、御約束でもあります。ですから、やがて主を信じる私たちすべてが必ずキリストに似る者とされるのです。

この御約束を聞くとどのように感じるでしょうか。「私がキリストに似る?いや、それは無理!あり得ない!」そう感じるかもしれません。しかし、そのような神のご計画を保証するのは私たちの努力ではないのです。このご計画を完成させ、保証されるのは神ご自身です。

「無理!」と感じる私たちのために主は次の御言葉を用意してくださいました。「では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ 8:31-32)。神が私たち信者の味方なのです。その証拠に「ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された」事実があるのです。十字架上のイエス様の死がこの約束の保証です。最愛のひとり子を私たちの救いのために犠牲にしてくださった程ですから、私たちの救いの御業が未完成な状態のままで投げ出すようなことは決してなさらない。むしろ、その救いを最後まで見届けてくださるのです。あの最終的な栄化(私たちがキリストの御姿に変えられる)まで私たちに恵みを施し、そのことを成し遂げるために働きかけ続けてくださるのです。

「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(ローマ 8:38-39)とあるように、私たちを神の変わることのない愛から引き離すことのできるものは何一つないのです。コロナパンデミックを含めた何一つです。主にある私たちは圧倒的な勝利者となるのです。

コロナパンデミック以前の世界でも、毎日16万人ほどの人々が亡くなっていたのです。また、その多くが主を知らずに滅びていました。これが世界宣教の現状なのです。

コロナ感染拡大により、世界中の人々が頼りにしていたものが一つ一つ奪われているように思います。経済にしろ、健康にしろ、明日の保証は何一つありませんが、平凡な生活に慣れてしまった者はそのことをついつい忘れてしまいます。結局、神がいなくても問題なく生きていけるように勘違いしてしまうのです。私たちの周りにこのような方々が実に多くおります。主を知らずに滅び行く魂が実に多いのです。

コロナパンデミックで感染者数や死者数を毎日見るようになりました。コロナで亡くなった人々が35万人(5月末現在)とWHOが発表しています。本当に大変な数字であり、悲しい話です。しかし、平年の世界の死者数はなんと5800万人です。そう考えると現段階のコロナ死者数は平年の死者数の52時間分にすぎないのです。言い換えれば、コロナパンデミック以前の世界でも、毎日16万人ほどの人々が亡くなっていたのです。また、その多くが主を知らずに滅びていました。これが世界宣教の現状なのです。コロナ感染の中、不要不急の自粛の呼びかけをよく耳にします。確かに不要不急の自粛は必要だと思います。しかしながら、福音宣教は不要不急の一つではなく、むしろ何よりも必要であり、緊急性の高いものです。

コロナ感染により、私たちの日常生活が様々な面で大きく変わりました。コロナ感染の恐怖に囚われている人も少なくありません。また、その気持ちもわからないわけでもありません。気を付けないと、この恐怖に主を信じる者もすくんでしまいます。しかし、今、世の中が必要とするのは麻痺したクリスチャンではなく、主を仰ぎ見つつ、ひたすら福音宣教に励み続けるクリスチャンなのです。主にあって、私たちは圧倒的な勝利者となれるのですから、コロナパンデミックの中にあっても主に頼りつつ、福音宣教の御業に最善を尽くして励んで行きましょう。