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ようこそ

JBBF海外宣教のウェブサイトにお寄りくださった事を感謝いたします。海外宣教委員会の私たちは当ウェブサイトを通して、諸教会の皆様方に世界宣教をより身近に感じていただけたらと願っておりますので、大いにご活用下さい。また、皆様のご意見、ご要望などを参考にしながら、ウエブサイトの充実を目指しておりますので、よろしくお願いいたします。

イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」 マタイ28章18〜20 節

自立教会を建て上げる急務

浜聖書バプテスト教会 宣教牧師 山宮利忠

それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。エペソ人への手紙 4章12節

この度宣教クォータリーの原稿を依頼され、1991年の宣教クォータリーの巻頭メッセージを開いてみました。1987年から8年間宣教委員会の責任を負わせていただいた33年も前の巻頭メッセージです。

任期2期8年間の恵みは大きく、宣教クォータリーの継続発行、宣教センターの設置、宣教ハンドブックの発刊、宣教委員会によるインドネシアと台湾をそれぞれ宣教地視察、米国での宣教委員会との交わりと宣教師志願者学校参加、そして田村、吉田、広瀬、堺、稲葉5組の宣教師の派遣式、私を含めて5名の委員の先生方と共に10組の宣教師の派遣をビジョンにしてご奉仕をさせていただいた時期でした。

私の当時書いたクォータリーのメッセージは、今も必要なメッセージであると思わされ、そのメッセージの趣旨は自給自立教会の建設こそが海外宣教の土台であるというものでした。教会の自立は、現在も宣教活動において急務であると思われます。

第一に、宣教の目的は、主のおからだなる教会を建設することにあります。

「それは聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。」(エペソ4:12)

エペソ書によれば、主がお立てくださった伝道者の使命は、教会を建て上げることにあると教えられています。宣教の第一目標は、たましいの救いであることは当然のことですが、救われたたましいが主のおからだなる教会につながり、養われ、育てられ、訓練されて神の栄光を現す器として用いられることが主のご計画なのです。

驚くべき成長を示した初代教会の姿には、明確に聖徒の成長と数の増加が記録されています。

「そして、主を信じる者たちはますます増え、男も女も大勢になった。」(使徒5:14、6:7および9:31も)
数を求めて伝道することは本末転倒ですが、教会の成長には、より多くのたましいの救いが伴います。全ての人が悔い改めに導かれ、救われることが主の求めであれば当然のことです。そのためにこそ、主はご自身をお献げになりました(エペソ5:25)。聖徒が神の家に集められ、成長した結果、救われるたましいは増加しました。

教会は数ではないとよく言われますが、それは聖書的でしょうか? アメリカ諸教会訪問の際、多くの聖徒が集まる祝された教会の牧師に「教会は数ではなく、質でしょう?」と問うた時に、その牧師は「質が良ければ、数は必然でしょう」ときっぱりと答えられました。

課題は、たましいがしっかり教会に留まり、教会を自分の霊的な家として育まれていくことです。それは、霊的・信仰的指導がないと実現しません。すなわち適切な牧会がないと難しいのです。また、教会は会堂ではありませんが、救われるたましいが多く集まれば、当然会堂が必要となり、その会堂は教会の存在を証しし、さらに多くのたましいに知られて、救われる者も起こされるのです。貧しくてみすぼらしい会堂での伝道活動より(実は私たちも最初はそうだったのですが)、主の家として相応しい美しい会堂となれば、伝道の助けとなるに違いありません。そのために教会には力がなければなりません。

まず教会を築き上げることが、生まれた教会の使命なのです。

第二に、宣教の使命は、力ある教会を建設することです。

「そればかりか教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。」(エペソ1:23)

弱い身体では十分な働きはできません。キリストのおからだである教会も弱ければ十分な働きはできないのです。

私も年を加え、かつ病を負い、若い時にできたことができなくなりつつあります。やはり健康体であることこそが重要なのだと痛感する日々です。教会も同様、健康体であればより良い働きができるわけです。

主のおからだとしての教会に一致と力があれば、極端に言えば何でもできる、と今まで牧会してきた経験を通して証しすることができます。一致がなければできることもできないのです。

聖徒の集まりである教会が成長を遂げて、自給自立、自主独立を果たせば、自らの働きを支えることができるだけでなく他の働きにも支えの手を伸ばすことができ、献身者も起こされます。

わずか1%のクリスチャン人口という現実の中で、力ある教会を建設することの困難さは、充分に経験してきました。時には呟き、諦め、くすぶり、燃え尽き、言い訳もありました。しかし、主の命令とみこころは、全てのたましいが悔い改めて救われることなのです。「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。」(Ⅰテモテ2:4)。このみこころを変えることは、私たちにはできないのです。

力のある教会を建設することができれば、牧師を豊かに支え(Ⅰテモテ5:17)、宣教師をより多く支えることができ、伝道所を生み出すことができます。母なる教会がその子どもである伝道所を生み出せないとしたら、主はお喜びくださるでしょうか。

第三に、教会に必要なのは、宣教のビジョンです。

来日宣教師からは、ビジョンの必要を強く教えられました。私たちにビジョンが足りなかったということなのでしょう。

主のみこころは、全世界に福音を伝えることであり、「使徒の働き」によれば、最初の教会の模範は進展、成長、拡大です。この志を持つことが私たちには必要なのです。しかも具体的なビジョンが必要です。

以前、献身して神学校に学んでいた学生にビジョンの必要性を語ったことがありましたが、不評でした。神のために大いなることを期待する志が失われつつあるように思えて残念でした。いつの間にか困難に潰されて消極的になり、神のことばだけを忠実に伝えてさえいれば良いのであって、ビジョンを持っても実現は無理だという風潮が蔓延しつつありました。

50年間の横浜での牧会を終えて、宣教牧師の立場で、「伝道者の墓場」などと言われている茨城県つくば市での伝道に遣わされました。たしかに都会での伝道との違いを痛感する8年間でしたが主に期待し、自分のできる最善で主に仕えた結果、主は憐れみをもって信徒を与え、会堂を与え、後継者を与え、自給自立教会として独立を可能にしてくださいました。伝道生涯の終末期を迎えた私たち夫婦にとっては、大きな励ましと慰めでした。ただただビジョンをもって真剣に主にお願いして働いただけだったのです。

復活の主は、今も生きてお働きくださいます。

「イエスは彼女に言われた。「信じるなら神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか。」(ヨハネ11:40)

今、必要なのは主に在るビジョンであり、主への期待です。これは、主への信頼とも言えるでしょう。

私たちの働きは、神にどれほどの期待をしつつ全力を尽くすかなのではないでしょうか。

福音宣教の目的は、たましいの救いと主のおからだである教会の建設です。しかも強い自立教会の建設です。これを実現するには、現実を見れば程遠いのでしょうが、主を見つつ、主のみこころに従うのです。そして、全能の主を信じて求めるのです。

海外宣教の祝福は、教会の自給自立にかかっています。

これは、急務なのです。

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