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JBBF海外宣教のウェブサイトにお寄りくださった事を感謝いたします。海外宣教委員会の私たちは当ウェブサイトを通して、諸教会の皆様方に世界宣教をより身近に感じていただけたらと願っておりますので、大いにご活用下さい。また、皆様のご意見、ご要望などを参考にしながら、ウエブサイトの充実を目指しておりますので、よろしくお願いいたします。

イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」 マタイ28章18〜20 節

神はすべての人の救いを待っておられる

港北ニュータウン聖書バプテスト教会牧師 鹿毛独歩

「すると、再び声があって、彼にこう言った。『神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。』」使徒の働き10章15節

聖霊行伝

「使徒の働き」は、初代教会の宣教の歴史です。主イエスの昇天の後、聖霊がこの世界に降られ、全世界への福音宣教の力となられた歴史でもあります。それゆえに「聖霊行伝」とも言われたのです。聖霊なる神は、五旬節(ペンテコステ)の日、それまで恐れおののいていた弟子たちに降られました。その多くはガリラヤの田舎の出身でありました。その日、弟子たちは習ったこともない外国の言葉で、キリストの福音を証しし始めたのです。それは突然の大事件でした。人々はこの不思議な出来事に驚き「いったいこれはどうしたことか」と互いに話し合ったのです。

キリスト教信仰による魂の救いは、人の理性では計り知ることができない大きな驚くべき出来事です。人の心、生活、生き方、価値観さえも変えてしまう出来事だからです。それまで自分中心で常に損得勘定で行動していた人が、キリストを信じた時から、ただ神の愛によって生きることを選択するようになるのです。私たちは、ここに聖霊の豊かな働きを見るのです。しかし、多くの人々は「一時的な感情に酔っているのだ」「洗脳され、騙されているのだ」「それこそ損な生き方ではないか」と批判します。
神は、キリストによって人が最も必要としている「罪の赦し」と「永遠のいのち」の祝福を約束してくださいました。これこそ、神が全人類に与えられた最高の賜物(贈り物)です。しかし、人の心はかたくなで、聖書のみことばを知ろうとも、受け入れようともしません。そして、むなしい偶像に対しては、伝統、習俗として何のためらいもなく膝をかがめるのです。聖霊は、このような様々な文化の中から、キリストの教会をお立てになりました。教会は、キリストの福音を宣べ伝える神の福音の砦です。

教会は、このすばらしいキリストの福音を伝え続ける使命があります。しかし、時々、目の前の働きの忙しさの中で、神の命令と神のみこころを忘れてしまうことがあるのではないでしょうか。それは、神の救いの福音は、全世界の人々に提供されているということ、また、福音宣教の大命令は全世界に出て行くことが求められているということです。

ペテロへの幻は、彼らユダヤ人たちが持っていた古い律法的な価値観を打ち破る神のチャレンジでした。ペテロは幻の中で、これまで律法の中で「きよくない動物、汚れているとされた動物」が敷布に包まれ、天から降りてくるのを見たのです。そして、天から「ペテロ、さあ、ほふって食べなさい。」との声がしました。彼は「主よ。それはできません。私は、まだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」それは旧約聖書の神の定めだったからです。しかし、神は言われました。「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。」

神のみこころが変わったのでしょうか。神のみこころは決して変わってはいないのです。神はアブラハムに天の星を見上げさせ「あなたの子孫はこのようになる。」と語られました。また、預言者ヨナを敵国ニネベに遣わし、「わたしはこの大きな町ニネベを惜しまないでいられようか、そこには、右も左もわきまえない12万以上の人間と数多くの家畜がいるではないか。」と仰せられたのです。南ユダ王国を滅ぼしたバビロニアにおいてもダニエルを通して、神はご自身の栄光を現されました。神はすべての創造主であり、すべての造られた者を愛し、あわれんでおられるのです。

神の御子イエス・キリストによって神の救いのみわざは完成しました。そして、神は、イスラエルを通して、全世界にキリストの救いを明らかにされたのです。ハドソン・テーラーが中国の奥地に宣教をした時、救われた中国人は彼に尋ねました。「この福音が、イギリスに伝えられてから何年になるのですか。」ハドソン・テーラーは「数百年前になります。」と答えると、彼は言いました。「何ということです。この福音を数百年も前に知っていながら、今やっと伝えに来るなんて。私の父は20年以上も真理を求めていました。そして、見出せずに死にました。ああ、なぜ、もっと早く来て下さらなかったのです。」

国際社会の中で大きな経済力を持つ日本は、世界各地にビジネスマンを送り出し、メイド・イン・ジャパンの製品を世界へと輸出しています。しかし、「どれほど福音のために、人を送り出し、犠牲を払っていますか。」と問われるならば、私たちの手の中には、乏しいささげ物しかないのです。ペテロは、神のおことばを聞きながらも「主よ。それはできません。」と神の命令を拒みました。私たちも、その働きの乏しいことの理由をいくつも挙げることはできるでしょう。「教会がまだ小さいですから」「日本にはまだ救われていない人が多くいますから」「働き人がいませんから」。この幻が三回も繰り返し繰り返し示された時、ペテロは神がこの福音を異邦人にも宣べ伝えることを良しとされていることを知ったのです。

聖霊は、私たちに信仰の気づきを与えてくださいます。キリストの福音の宣教は、神の最大の願いであるということです。神はすべての滅び行く民をあわれみ、全世界への福音宣教の時、恵みの時を今もなお延ばしておられるということです。

考えてみるならば、日本の宣教も、世界宣教の大きなビジョンによって祈られ、遣わされた宣教師たちによって福音の種が撒かれてきたはずです。神は世界宣教の働きの中で、私たちを召し出し、それぞれのところに遣わしておられるのです。それが海外であるか、日本国内であるかという違いがあるだけです。神にとって、その一人の魂の重さは同じです。
救いを求める魂の叫びを聞きながら、共に祈り、まだ福音を知らずに滅びに向かう魂の救いのために仕える者となりましょう。

数年前、台湾に行かせていただいた時、台湾人の牧師夫人が「私の親は日本語世代であり、自分の親でありながら、日本語で福音を伝えることができません。日本から福音の働き人を送ってください。」その叫びは、今も私の心に響いているのです。