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ようこそ

JBBF海外宣教のウェブサイトにお寄りくださった事を感謝いたします。海外宣教委員会の私たちは当ウェブサイトを通して、諸教会の皆様方に世界宣教をより身近に感じていただけたらと願っておりますので、大いにご活用下さい。また、皆様のご意見、ご要望などを参考にしながら、ウエブサイトの充実を目指しておりますので、よろしくお願いいたします。

イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」 マタイ28章18〜20 節

異なる教会、しかし一つの宣教大命令

すずらん聖書バプテスト教会牧師 トニー・エバンズ

「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。 父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、 わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。 見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」マタイの福音書28章19〜20節

現在の私たちの交わりにおける宣教を考える時、そこには課題と同時に機会もあることを覚えます。長年忠実に仕えてこられた多くの宣教師方が高齢となり、退役の時期を迎えています。その一方で、神は新しい世代の働き人を起こしておられます。特に日本には、真実な心を持った若い宣教師たちが次々に来ています。福音は不変であっても、今日の宣教の必要は以前と全く同じではありません。私たちは電子化された時代に生きており、情報、コミュニケーション手段、人々の移動などは大きく変化してきたでしょう。このような時代に、教会は祈りつつ問う必要があります。

「神は私たちの教会を通して何をしようとしておられるのか。」
「神はどのような機会や重荷を与えておられるのか。」

新約聖書を見ると、神は異なる教会を様々な形で用いておられます。宣教大命令は一時的な活動ではなく、すべての時代における神の御心そのものです。そして各教会は、それぞれ与えられた機会や資源に応じて、その召しに応答する存在でしょう。ここで、新約聖書に出てくる四つの教会と、それぞれにある独自の宣教の在り方を簡単に見てみたいと思います。

1 エペソ・福音宣教の拠点となった教会

使徒19章において、エペソの教会は福音宣教の戦略的中心地となっていました。パウロは最初に短期間エペソを訪れ、その後再び戻り、「広い伝道の門」が開かれていたため、長期間そこに留まりました(1コリント16:9)。使徒19:10には、「アジヤに住む者はみな…主のことばを聞いた」とあります。もちろん、パウロ一人で地域全体を直接伝道したとは考えにくいでしょう。むしろ彼は(アクラとプリスカを含む)弟子たちを訓練し、信徒たちを強め、働き人を育て、その人々が周囲の町々へと福音を携えて広がっていったのです。その影響は非常に大きく、偶像を作っていた銀細工人たちが、自分たちの商売への打撃を恐れるほどでした(使徒19:24-27)。エペソは、ある教会が「拠点」として用いられることを見せています。神はある教会を戦略的に置き、働き人を育て、信徒を強め、より広い地域へ福音を広げる拠点として用いられるのです。しかし、そのような働きは自然には起こりません。訓練は意図的でなければなりません。

更に、今の日本でも、多くの若い宣教師たちが、宣教のビジョンを抱えて来日しますが、言語、文化、宣教方法、日本での生活適応などの助けを必要としています。経験ある教会、安定した教会、成熟した指導者を持つ教会は、その宣教戦略の一部として、そのような働き人を整える重要な役割を果たせるのではないでしょうか。

2 テサロニケ・福音を響き渡らせた教会

テサロニケの教会は、別の宣教の型を示しています。1テサロニケ1:8「主のことばが、あなたがたのところから響き渡った。」この教会は、積極的に福音を広げる教会として知られていました。

パウロは、その証しが効果的であった理由を幾つか挙げています。第一に、彼らは福音そのものを語りました。個人的証し、招き、伝道などを通して、福音そのものが明確に語られていました(1:10)。第二に、聖霊が力強く働かれました。福音宣教は単なる人間的努力ではありません。神と共に歩む霊的なクリスチャンには、主のために語る機会が与えられます(1:5)。第三に、彼らの生活がそのメッセージを裏付けていました。彼らの生き方が、その言葉に信頼性を与えていたのです(1:6-7)。

その結果、彼らの影響はマケドニヤやアカヤ全体へ広がりました。普通の信徒たちを通して福音が力強く広がっていくことを、パウロは喜びました。このような伝道も、意図的な努力なしには育ちません。教会員たちは、個人伝道において励まされ、訓練され、支えられる必要があります。証ししたいと思いながらも、不安を感じている信徒は少なくありません。私たちは、人々がキリストを語れるように整えているでしょうか。

3 ピリピ・経済的支援によって宣教に参与した教会

ピリピの教会は、宣教における経済的パートナーシップの重要性を教えています。パウロはピリピ人たちの「福音にあずかること」(ピリピ1:5)を感謝しました。4章では、彼らがパウロの重荷を共に担い、他の教会がしなかった時にも、経済的支援を続けたことを語っています。彼らの献金は、単なる寄付ではありませんでした。パウロはそれを、交わり、協力、犠牲、そして実を結ぶ働きとして表現しています。

しかし、宣教献金もまた、意図的な計画とビジョンなしには育ちません。余ったお金を献げる程度では、宣教の働きはなかなか強く育たないでしょう。多くの教会では、「信仰約束宣教献金」のような仕組みを通して、教会全体が祈り、意識的に献げ、継続的に宣教を覚える助けとなっています。たとえ多くの宣教師を直接送り出せなくても、祈りと献金を通して力強い『送り出す教会』となることはできます。また、ささげる姿勢が強まるにつれて、献身へと導かれることも少なくありません。ピリピの教会は、宣教のための献げものが深く霊的な働きであることを教えています。神はそれをご覧になり、喜ばれ、福音の前進のために用いてくださるのです。私たちは、宣教を支えるために、より意識的に祈り、ささげる教会となっているでしょうか。

4 エルサレム・神が宣教地を教会へ連れて来られた教会

使徒2章では、ペンテコステのために様々な国から人々がエルサレムへ集められていました。そこで福音が語られ、多くの人々は福音を携えて自国へ帰って行きました。ローマの教会なども、その時福音を聞いた人々によって始まった可能性があります。もちろん、ペンテコステは特別な出来事でした。しかし、一つの原則は今も変わりません。時には、教会が世界へ出て行きます。また時には、神が世界を教会の近くへ連れて来られるのです。

今の日本は、そのような時代かもしれません。多くの外国人が、日本に住んでいます。留学、仕事、様々な事情によって来ています。中には、孤独の中にいる人々や、宣教師が入りにくかった国々から来ている人々もいます。神は、そのような人々を私たちの近くへ導いておられます。しかし、日本語を話さない人々への働きは簡単ではなく、自然にも育ちません。この必要のある方々を歓迎し、助け、コミュニケーションを取り、橋を架ける備えが必要です。彼らを単なる負担として見るのではなく、宣教大命令を果たすために神が与えてくださった機会として見るべきではないでしょうか。

結論

新約聖書を見ると、教会は様々な形で宣教に関わっていました。エペソは、訓練と派遣の拠点となりました。テサロニケは、証しによって福音を広げました。ピリピは、経済的支援によって働きを支えました。エルサレムは、神が諸国の人々を近くへ導かれた場所となりました。すべての教会が同じ形になる必要はありません。神は、それぞれの教会に異なる機会、能力、重荷、資源を与えておられます。

私たちは、自分たちの教会を祈りつつ見直す必要があります。神は、訓練できる働き人を与えておられるでしょうか。伝道への重荷を与えておられるでしょうか。宣教を支える経済的祝福を与えておられるでしょうか。あるいは、国際的な機会を地域に与えておられるでしょうか。方法や機会は時代によって変わっても、その召しは変わりません。キリストが再び来られる日まで、教会には諸国の民へ主を知らせる責任と特権があります。

神が私たちに与えられている機会に敏感であり、主がなさろうとしておられることに応答する教会となりたいものです。そして、機会を見抜く霊的感覚、踏み出す大胆さ、さらに深みに漕ぎ出していく信仰を、私たちに与えてくださいますように。

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