目を上げて前を見なさい

調布バプテストテンプル協力牧師 所 悠

tokoro

「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見出そう。」伝道者の書11章1節

私が、今、ここにこうして立っていることができるのはなぜでしょうか?それは今から66年前に、テキサス生まれ、テキサス育ちの宣教師夫妻が、30日間、貨物船に乗って太平洋を渡り、この福音をたずさえて私たちの国に来て下さったからです。この場にその宣教師がおられます。ラバーン・ラージャス先生、どうぞお立ち下さい。

「目をあげて畑を見なさい。」サマリヤの町スカルで、主は弟子たちにそう命じられました。しかし、その時、目を上げて畑を見たのは、弟子たちでしたか?いいえ。弟子達は買ってきたランチを食べることだけしか考えていませんでした。では誰が目を上げたのでしょうか?誰が畑を見たのでしょう?サマリヤの女自身です。主のおことばによって彼女の霊の目が開かれたのです。彼女は「水桶」をその場に放り出しました。水桶は彼女にとっていのちの次に大事なものの筈です。ところがそれをそこに置いたまま、町に向かって走り出しました。そして町の人々に「来て、見て下さい!」「来て、見てください」と、弟子のピリポが叫んだように、メシヤの到来を告げ知らせたのです。

彼女はイエス様とお会いして、後ろを見る人生 (backward) から前を見る人生 (forward) に変えられました。サマリヤはイエスさまにとって大切な宣教地でした。しかし弟子たちにとっては、残念ながら、ガリラヤに行くための通過点にすぎなかったのです。

私たちは、今、宣教の視野を出来る限り広げなければならないのではないでしょうか。世界中に広がる主の畑を360度の視野で見渡そうではありませんか。主はアブラハムに「さあ、目を上げて、あなたがいるところから北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう」(創世記13:14)とお命じになりました。それは「宣教の大命令」の予表です。主にとって宣教地でない場所は世界中、どこにもありません!

私の長男は、今、Cカントリーの一つの町にJBBFの宣教師として遣わされています。私は、彼にこの集会に来るように誘いました。しかし、彼の返事はこうでした。「この国には56の民族があります。漢民族はその中の最大の民族です。しかし、ほかにも55の少数民族があります。漢民族にはすでに福音が伝わっています。しかし、いくつかの少数民族は、福音が全く届いていない福音未踏達地域なのです。」彼はさらに続けて言いました。「私たちは丁度その時期に、まだ福音が全く伝えられていない少数民族の地域をリサーチのため訪ねたいと願っています。どうぞお祈りください。」

カナンの地を見渡したアブラハムは、ロトが選んだソドムとゴモラに住む人々のためにも祈りました。「神さま、あなたの義とはどのようなものですか」とチャレンジしました。(創世記18:23-25)

主は何と答えましたか?(創世記18:26)「もしソドムで、わたしが50人の正しい者を町の中にみつけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」アブラハムは言いました。「では正しい人が45人いたら?40人いたら?30人いたら?20人いたら、そしてもしや10人見つかるかもしれません。」すると主は仰せられた。「滅ぼすまい。その10人のために。」

アフリカのウガンダに遣わされていた宣教師はJBBFの宣教クォータリーの中で次のように書いています。「アブラハムがソドムのために執り成しの祈りを切に願っている姿は、世界宣教の働き、即ち、宣教地で働く宣教師と宣教師を遣わす国の働きの姿を表わしているように思えます。私たち宣教師は、ソドムとゴモラの町のような、罪深い国々で宣教しています。そして、今や、主のさばきの日は間近です。そのようななかで、私たちは正義を為しているでしょうか。裁きに会うのは彼らの罪の責任です。しかし、それをただだまって見過ごしているのであれば、私たちの正義も問われるのです。」

世界人口は、推定で72億9900万人を超えました。間もなく73億です。1年で7000万人増えています。もしも今、世界の人口を10人で代表してもらい、「イエスとは誰ですか?」という質問に答えてもらうとしたら一体どんな答えが返ってくるでしょうか?10人は次の4つのグループに分かれます。第1のグループからは「イエス様は私の主であり、救い主です」という答えが返ってきます。10人のうちの一人(世界人口の10%)はイエスさまを信じ、従っている人たちです。第2のグループの人々は「彼は、良い教師ですね。でも、私は私のやり方で行きます」と答えます。10人のうちの2人(20%)は、自分たちのことを、クリスチャンというかもしれませんが、彼らがイエスさまに従っているかどうかは疑問です。第3のグループの人々は「え、イエスさまですか?いいえ要りません!」と答えます。4人の人(40%)は何らかの方法で福音に接しているかもしれませんが、彼らはイエスさまを受け入れていないか、または、イエスさまに従おうとしていません。第4のグループからは、「イエスさまですか?それは誰ですか?知りません」との答えが返ってきます。3人の人たち(30%)は実際、福音に接したことが一度もないのです。

宣教の大命令を真に宣教の大命令として実践していくためには、これからのBBFIの宣教地は、これまでの第3グループに加えて「イエスって誰のこと?知りませんよ」という世界人口の30%を占める第4のグループに焦点を当てなければならないのではないでしょうか。30%とは約20億人です。彼らに福音を伝える人は誰もいません。彼らが福音に接するための、いかなるリソースも持ちません。そればかりではありません。彼らはキリストの福音宣教に激しく抵抗しています。彼らは「来なくていいよ!」「来ないでくれ!」と叫んでいるのです。

私たちの目の前の現実は厳しさを増しています。サタンは大きく働いています。宣教師の入国を許可しない国は1974年には32か国でしたが、2000年には77か国に増えました。2015年にはさらにどれだけ増えるでしょう?入国を許可している国もきびしい条件を付けるようになっています。宣教は閉ざされつつあるように見えます。兄弟姉妹の皆様、だからこそ、だからこそ!目を上げて前方を見ましょう。主はフィラデルフィアの教会に何と約束しておられますか!黙示録3:8で主は言われます。「わたしは、あなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれにも閉じられることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。」「主よ、この「あなた」というところに、どうぞ、ここに集っているすべての主の僕たちの名前をあてはめさせてください。BBFIに属するすべての国のすべての教会の名前をあてはめさせて下さい!」

宣教の働きは宣教師だけでは出来ません。世界宣教の働きを凧揚げにたとえて見ましょう。凧は誰ですか?BBFIの宣教師たちです。でもだれかが凧を上げようとしなければ凧はあがりません。それは誰ですか?BBFIに属する地方教会です。そして凧が高く、遠く上がるためには丈夫で切れない、長い糸が必要です。それは教会の祈りとささげものです。でも、もし風が吹かなかったら、凧は上がりません。風は聖霊なる神のお働きです。

みんなが力を合わせて、今、各国の宣教地に揚がっているBBFIの凧をひとつも落とさないように、糸が切れてどこかにとんでいかないようにするためには何が必要でしょうか?そして、もっと多くの凧をもっと遠くまで上げるために何が必要でしょうか?

キーワードは4つあります。第一に、全世界規模のパートナーシップです。第二に、全世界的な連帯の努力です。第三は、互いに力を合わせる精神です。そして第四は、世界規模の共同事業への協力です!そして、そのために今一番必要なのは、お互いの間の情報の共有ではないでしょうか!

しかし、360度の世界宣教にチャレンジするために、私はもう一つアピールしたいことがあります。それは、使徒パウロを助けた「アクラとプリスキラたち」のような働きがBBFIの中で広がることへのヴィジョンです。パウロはローマ人への手紙16章で、「プリスキラとアクラ」から始まって、「オルンパおよびその人たちと一緒にいるすべての聖徒たち」まで、30組以上の信徒同労者たちの名前をあげて、感謝しています。今や政治の世界、経済の世界はグローバル化の一途をたどっています。BBFIの諸教会から、世界宣教の現場で、宣教師を助け、生活を共にしながら奉仕する、アクラとプリスキラたちが起こされるように祈ろうではありませんか。

さあ,皆さん!前を見ましょう!皆さんの目に何が見えますか?黙示録22章20節でイエスさまは何と仰っていますか? 聖書66巻の最後のおことばです。「これらのことを証しする方がこう言われる。しかり、わたしは直ぐに来る。」そうです。主は約束しておられます。「しかり、わたしはすぐに来る。」では、私たちは何とお答えするのでしょう。「アーメン、主イエスよ、来て下さい。」そうです。御一緒に叫びましょう!「アーメン、主イエスよ、来てください。」さあ、皆さん、前を見ましょう。そしてBBFIに集う世界中の仲間たちが手を携え、心を一つにして、宣教の大命令を実現するために共に前進しようではありませんか。 Let’s Go Forward! アーメン!

グローバル・ミーティング2016でのメッセージの抜粋