2023年・春号2024-02-10T06:25:50+09:00

宣教クォータリー

2023年春号

 

行って、弟子として、教える

インドネシア派遣宣教師 広瀬 憲夫

広瀬先生

「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」マタイの福音書 28章19~20節

世界宣教の模範者に従う

「兄弟たち。私に倣う者となってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。」(ピリピ3:17)

戦後まもなくの日本に、突然吹き始めた風に乗って、とでも言うように御霊に導かれて来てくださったラージャス宣教師ご夫妻は、外国人と身近に接したことがなかった田舎者の私にとっては、「世界」そのものでした。

私がイエス・キリストを信じて救われた調布バプテスト・テンプル(現 調布聖書バプテスト教会)で印象的だったのは、救われて間もない私に普通の青年教会員が熱く世界宣教を語ってくれたことです。そのような教会を建て上げるために、宣教スピリットを育てるために長年に渡って調布の教会、いえ、フェローシップと共に歩んで下さったラージャス師の存在そのものが、敵をも隣人とみて愛し、「行って」との御言葉に従って遠路はるばる出かけて実践する世界宣教とは何かを現していると思います。行ってなすべき世界宣教とは何でしょうか。

告知する働き

第一に、お一人の神が一つの世界、一つとなるべき人間を創造して下さって、神が人と共にいて下さることを実現するために贖いがなされたことを告知する働きです。祈りは、共におられる神との会話。それを実感させてくれたのがラージャス先生でした。

相談事に行くと必ず言われる言葉が、「兄弟、祈りましょう」。神こそが私の相談事を持っていくべきお方で、私の祈りを聞いてくださるお方だ、そして答えてくださるお方、ということを実践をもって示して下さったのです。そのようにして導かれている教会で行われている祈り会もまた、二人ずつのペアで祈りの人々を経験する貴重な機会でした。教会に行き始めた頃、「この人たちは本当に神様に語りかけている!」と感じさせられた事も記憶に深く焼き付けられています。「弟子としなさい」とは、神に額ずく人を育てる働きなのだと教えられたのでした。

教える働き

第二に、世界宣教とはイエス・キリストが命じられたすべてのことを、一点一画過たずに守るように教える働きです。その「すべて」を一言で言い表すなら、キリストが弟子たちを愛したように互いに愛し合うことです。この神の真理を頭で理解するだけではなく、それに従って行動を起こすほどに、何をすれば良いのかをはっきりとわかる説教をすることです。

日曜学校でどのように視聴覚教材を使うか神学校で学んだものですが、それを礼拝説教にも実践すべきことを、ラージャス先生の説教で目の当たりにさせられました。ある時、大きなタイヤを講壇の横に置いて、このタイヤを自動車にそのままはめて使えるかどうか会衆に問いかけたのです。パット見には全くわかりません。でも自動車をよく知っている人が近くに行って調べると、バランスを調整する小さなフックがない、とわかったのです。そのままで走り出したら危険だ、小さくても重要な一点が欠けては大事故につながる、という例話でした。

世界宣教は、慣れない外国語で伝えることが基本です。微に入り細に穿つ説明を言葉ですることはできない、と諦めざるを得ない状況で、それでもなんとかしてわかってもらって、主の命令を実行できる教会を育てなければならないのです。宣教師自身が何かをすることによってではなく、教会によって神の栄光が現されるように、できることはなんでもするのが宣教なのだ、と教えられたのでした。

神への信頼

そして、世界宣教の実践は、神への信頼の結果です。鼻から息をするものを信じるのではなく、主を信じることによってなされるのが世界宣教です。弟子を創り育てるにあたって、自分が指導したことで弟子が育つと思うのは明らかに間違いです。永遠の命を与えてくださるのが神ご自身であるのと同様、成長させてくださるのも神です。今自分の目の前にいる一人の信仰者が主の弟子であって、神の御霊に導かれていることを信じて、共に活動することが求められているのです。

イエス・キリストの弟子たちが二人ずつ遣わされてでかけたように、一緒に訪問し、一緒に個人伝道し、一緒に汗を流しながら御言葉を共有することで、弟子は育てられていきます。

救われて2年目に、献身し神学校に行きたいと表明した、信仰において全く未熟な若造を、ラージャス先生は、召されたという告白の言葉に詮索も疑義も出さず、「成長させてくださるのは神である」と、神に信頼して若輩者を神学校に推薦してくださいました。入学時に持っていた参考書は、それまで使っていたハーレーのハンドブックと、入学祝にプレゼントされた、教科書として使われるギリシャ語の文法書だけでした。その後、卒業して2年間の母教会でのインターン期間を経て、諸教会訪問させていただき、翌1990年12月にインドネシアへの渡航となったのでした。

共に学ぶ

現地の人達がそれまでどのような神の導きを受けてきていたのか、神はこの人たちに今何をしようとしておられるのか。現地入りしてからは、現地の人達と共に御言葉を学ぶ日々でした。その基本は、神が命を与え成長させてくださる、という確信であり、私も共に学ぶ一人に過ぎない弟子だ、という思いです。

宣教師として、言葉で神の真理を説明することが難しい地に出ていって、これまでの歩みを振り返り、つくづくと感じたことがあります。それは自分はいかに、実際に手取り足取り、宣教師の働き方を教えていただいていたか、ということです。

母教会から二人の青年が宣教地に2週間滞在していってくれました。「赤ん坊に戻った気分」という感想でした。言葉がわからず、右も左も分からない、ただ手を取ってもらってついていくだけだった、と。
私たちは、自分を取り巻く世界について、すでによく知っている、と思い違いをしてしまいがちです。そうではなく、御霊に導かれながら日々を歩むことを体得するのが、弟子としての歩みでしょう。世界宣教に関わることは、その実践の学びなのです。神が私たちに「行って」と命じられているのは、そこで神ご自身が教えてくださることを学び取れ、という目的があるからだと思わされます。

宣教地の実

ビンジェイBC

ダニエル・マナル

 

こんにちは、私の名前はダニエル・スパルマン・マナルです。普段はダニエルと呼ばれています。私は3人兄弟の2番目で、姉はクリスティン、弟がアブラムです。父はコロセ・マナル、母はシルナ・シトゥモランです。

私は自動車関係の教師として働いています。私はとても特別な家庭に生まれました。クリスチャンの家庭に生まれ、父は神のしもべであり、インドネシア単立バプテスト・ビンジェイ教会の牧師でもあります。

神のしもべの家族に生まれたからといって、私の救いが決まるわけではありません。私も罪人・人間であり、この世で多くの試練や誘惑に直面するからです。神のしもべの子どもであることは、多くの人から見られ、神のしもべの子どもとして完璧さを求められるため、とても難しい子ども時代をすごしました。

私は子供の頃、友達が自由に行動しているのがうらやましく、また、いつでもどこでも自由に行動できるのがうらやましかったのです。それで親に反抗し、神のしもべであるはずの自分も、自由にできず、強制的に奉仕させられているように思えて、奉仕することも嫌になったものでした。

しかし、10代の時に私の人生は自分だけのものではなく、神のものであることを悟り、神にゆだねる決心をし、バプテスマを受けました。それ以来、両親の指導により、神のために生きることの大切さをより理解するようになりました。

大学を卒業しようとした時、神様が「収穫は多いが、働き手は少ない」(ルカ10:2-3)と言われたので、神のしもべとなるように召されたと感じました。卒業後、神様に祈り、神のしもべとして用いられることを願って、現在メダンで神学修士を目指し、父と広瀬牧師から聖書学を学んでいます。どこかで開拓伝道に携わりたいと神さまに祈りましたが、父が病気になり、ビンジェイでの奉仕に責任を感じるようになりました。

これからの歩みのためにお祈りいただければ幸いです。私の証が、信仰の兄弟姉妹のモチベーションになることを願っています。ありがとうございました!

スラバヤ南BC

上野直子

 

インドネシアに移住して今年で25年が経ちました。四半世紀でこの国は大きく変化し、移住当時は独裁的とも呼べる政府体制でしたが、今や東南アジアを代表する経済国に成長しました。

1996年に私は、インドネシア国籍である夫と知り合い、翌年、夫がカトリックである事からカトリック教会でカテキズムを学び洗礼を受けた後インドネシアで結婚しました。その当時は、聖書に書かれている事は信頼できるのか否かとまだ検証段階であり、丁度パリサイ人や 律法学者がイエス様のメシア性を検証するような不信仰な姿勢でした。その後長男、次男に恵まれた後、2004年からスラバヤ市で勤務を始め、インドネシア人の先輩の勧めで日本から牧師先生が来るからと家庭集会に招かれ訪れる様になりました。そこでは、聖書の学びを字義通りに行い、今まで現地のカトリック教会で明確でなかった部分が理解できる様になり、何度か通ううちに個人伝道を通して信仰告白に導かれました。その時分からカトリック教会からは距離を置く様になり、カトリック以外の教会で礼拝を捧げるようになりました。数年が経ちスラバヤ南で宣教されている田村先生と出会い、その教会で月に2度ほど礼拝を捧げる様になりました。田村先生はインドネシア語でメッセージをされていますが、私が来る様になってから日本語とのバイリンガルでメッセージしてくださる様になりました。更に大きな霊的祝福の促進剤となったのは、田村先生による個人的な聖書の学びです。不思議な事に御言葉の知識を積み上げていくごとに霊的にも促され、生活は神様だけを信頼する歩みに変えられて行きました。

2019年12月の聖書の学びで、バプテスマについての講義を受けていた際に、田村先生からバプテスマを受ける決心はあるか否かを問われました。私は長い間、自らの意志でバプテスマを拒んでいました。それは婚姻の際に既にカトリック教会で滴礼を受けていた事、また信仰告白により聖霊が内住しているため象徴的な儀式であるバプテスマは必要ないと自分勝手に判断していたからでした。しかし、聖霊は私を導いて下さり学びを継続する中でバプテスマを受けていない事が私の霊的バランスを崩すような感覚を覚える様になりました。

その理由は、①イエス様が公生涯を開始する前にバプテスマを受け従順を示された事から、その従順に倣いたい気持ちが生まれた事。②新約聖書でバプテスマを受けた信者は全て信仰によりイエス様を受け入れ救われた後にバプテスマを受けている為、カトリックの滴礼はイエス様を受け入れる確信がないまま受けたので無意味であった事。③本来、バプテスマの方法は浸礼である為、滴礼は受浸を示した事にならない事。④キリストの体としての教会の一部として用いられたい願いがあった事が挙げられます。私は、御言葉の教えと聖霊に押され導かれる様な感覚でバプテスマの決心を田村先生に伝えました。

2020年は、コロナ感染が拡大した年で3月にバプテスマ式の予定を頂いたのにも関わらず延期が続きました。しかし、その期間に神と向き合う祝福の時間が与えられ、2022年の2月についにバプテスマを受ける事が出来ました。受浸した後、教会の一部としての働きが可能となる事に感謝すると共に、以前より執り成しの祈りを捧げる機会が多くなりました。そして何よりも霊的バランスが取れる様になり霊肉ともに喜びで満ち溢れています。振り返れば、今日まで神様は長い時間をかけて、無力で無知な私を支え、失敗を通して心を砕いてくださり、ご自分のもとに導いてくださっていた事に気づかされました。神様に感謝してもしきれない気持ちで一杯です。これからも神様の愛に応答する歩みを続けて行きたいと願っています。

ラリー・バーゲット宣教師ご夫妻召天記念

幕張BBC、神学校校長時代のラリー・バーゲット師ご家族

バーゲット宣教師ご夫妻との思い出

札幌BBC 青木弥生

 

昨年12月に、ラリー・バーゲット先生、今年の3月にルツ先生が天に召されたとのお知らせがありました。なんと懐かしく、そしてなんと寂しいことでしょう。このお二人には若いころから本当にお世話になりました。

私が初めて神様を知ったのは、55年前の秋、バーゲット先生の恵庭伝道の初めの時期、恵庭町町役場前の空き地にテントを張って行われた特別集会でした。説教者は名古屋聖書バプテスト教会の上田晃先生でした。私は自宅の庭先で特別集会の集会案内をもらって、最初の日から参加しました。3日目の集会で自分の内にある罪を強く示され、イエス様を自分の救い主と信じました。集会の後上田先生が話しかけてくださり、Ⅰペテロ2章2節「生れたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し救いを得るためです。」の聖句を教えてくださいました。帰る時にはキリストにある喜びで心がいっぱいでした。ここからバーゲット先生ご一家とのお付き合いが始まりました。

バーゲット先生ご一家は、東京で2年間日本語の学びをしてから「アブラハムのように、行くところを知らずして」車に家財道具を積んで、札幌に来られたとのことでした。初めに自宅アパートから集会をはじめ、次に真駒内団地の集会所を借りて、日曜学校と礼拝をしました(夫から聞いた話です)。バーゲット先生から、ルツ先生の体調を考えられて家事を手伝ってほしいと頼まれて、恵庭から福住の先生の自宅に通うようになりました。まず、聖書の時間を持ち、先生方が英語、私は文語訳聖書を通読し、共に祈りの時を持ちました。その時、何度もヨハネ3章16節の御言葉を教えていただきました。

その間に、日曜学校教師セミナーがあり、フランネルなどの視覚教材の作り方や使い方、お話の仕方などを学びました。それは今でも役に立っています。

恵庭で小さな家を借りて、礼拝と祈祷会が行われて、文語訳聖書を用いて毎週力強いメッセージが語られました。ルツ先生はいつもニコニコしながら奏楽されていました。会堂での奏楽は、ピアノ鍵盤の全域を使って力強く行われ、私は非常に感動しました。これらのことが昨日のように思い起こされます。私は今でもバーゲット先生、ルツ先生に感謝の思いでいっぱいです。

ラリ=・バーゲット宣教師ご家族

札幌伝道を始められた当初のバーゲット師ご家族とハジェス師

校長時代のラリー・バーゲット師

ラリー・バーゲット先生の思い出

葛西BBC牧師 大木英雄

 

私は名古屋大学の大学院で物理(素粒子)の研究をしていましたが、肩こりがひどくて修士でやめました。そして名古屋学院高校で数学を教えていました、その学校で瀬戸に職員住宅が1軒空いたので、入りたい人は申し込んでください、と言われたので私は申し込みましたが、13倍のくじでしたが、当りました。そして瀬戸教会に集うことになりました。瀬戸教会にベテイ先生も集っていました。ベテイ先生は産婦人科と提携して、出産しても赤ちゃんを育てられない人から赤ちゃんを預かってアメリカに送っていました。私たち夫婦も赤ちゃんがいなかったので、赤ちゃんが欲しいと申し込みました。そして、名前が「愛」という子をいただきましたが、愛のお母さんは一人目は流産、二人目も流産、三人目の赤ちゃんは生まれて一カ月で亡くなりました。四人目の赤ちゃんが生まれたその日にお母さんは出血多量で亡くなりました。ベテイ先生は「大木さんこの赤ちゃんはかわいそうでしょう?しかし、神様が必要だったから生まれてきたんだよ!神様はこの子をきっと益にしてくださる」と言われました。私は自分の人生に置き換えて考えました。私は好きな物理がやれない、肩こりがひどい、しかし神様に委ねたら必ず益にしてくださるという信仰が与えられて神学校へ行く決心をしました。

神学校1年生の時から卒業するまでバーゲット先生にお世話になりました。私が神学生の2年の時、滝山教会は無牧だったのでバーゲット先生が毎月1回メッセージに行っておられました。バーゲット先生は忙しいので先生の代わりにあなたが行ってメッセージしなさいと言われて、私が滝山教会でメッセージをさせてもらう事になりました。すると滝山教会から私に滝山教会の牧師になってくださいと言われました。私は伝道のことはわかるが牧会のことはよくわからないので「無理」ですと断りましたが、祈ってくださいと言われて祈りました。

祈っていると詩篇37篇5節「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」このみ言葉が与えられました。イエス様に信頼すればイエス様が牧会してくださると言われるのです。ところがなかなか信頼しきれないのです。祈り始めてから1年ほどたったとき、滝山教会の方から「滝山教会に何か問題がありますか?」と言われました。滝山教会には何の問題もありません。私がみ言葉を信頼しきれないのです。そうしているうちに卒業式が来てしまい、滝山教会に行くことにしました。滝山教会にはずいぶん迷惑をかけたと思います。招聘されたときは礼拝出席が10数名でしたが、退任したときは礼拝出席が120名程になっていました。バーゲット先生のご指導に感謝しております。すべては神様の恵みだと感謝しています。

編集後記

宣教クォータリー春号の発行が遅れてしまい、初夏となってしまいました。蒸し蒸しとする暑さの中、さらに暑い宣教地に遣わされている先生方はもっと大変な暑さの中で宣教のわざに励んでおられることを想いました。これからの季節、宣教師の先生方の健康が支えられるように祈ります。

本号は、前号のラバン・ラージャス宣教師記念に引き続き、ラリー・バーゲット宣教師ご夫妻の召天記念の記事が掲載されました。主のご命令に従って日本宣教に生涯をささげられた先生方に感謝いたします。先生方の後に続いて宣教地に赴く献身者が起こされることを切に祈ります。

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