2022年・冬号2022-06-28T13:32:59+09:00

宣教クォータリー

2022年冬号

 

そこにも福音を知らせよう

大分聖書バプテスト教会牧師 中畑 道章

「イエスは彼らに言われた。『さあ、近くにある別の町や村へ行こう。わたしはそこでも福音を伝えよう。そのために、わたしは出て来たのだから。』」マルコの福音書 1章38節

私たちの歩みは、ダメージが大きいためでしょうか、喜びよりも悲しみの方が多く、やがて悲しみのうちに歩みを終えざるを得ない、と思われる現実があります。しかし、イエス様がこの世においでになられたことは、私たちに大きな喜びをもたらしました。

福音がもたらすもの

預言者イザヤは、救い主を下記のように預言しました。

「傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともなく、真実をもってさばきを執り行う。衰えず、くじけることなく、ついには地にさばきを確立する。島々もそのおしえを待ち望む。」(イザヤ42:3-4)

やがておいでになる救い主イエス様は、苦しんでいるものを慰め、悲しみに寄り添い、回復をもたらして下さいます。折れて朽ちていく葦のような失敗した者を、見捨てることなく、手を添えて立ち直りを助けて下さり、油が切れて消えかけたランプのようなものに、尽きることのない油を注いで、再び輝かせ、周囲に喜びをもたらす存在に整えて下さいます。救い主イエス様は、私たちの苦悩の原因である罪を除去し、神さまとの交わりを回復してくださいます。そのために十字架上での死を遂げ、三日目に復活なさいます。この福音を世界の人々が待ち望んでいます。

世界宣教

この責任を果たされるイエス様の姿をマルコは次のように記しています。

「イエスは彼らに言われた。『さあ、近くにある別の町や村へ行こう。わたしはそこでも福音を伝えよう。そのために、わたしは出て来たのだから。』」(マルコ1:38)

前日の権威ある教えと奇跡で、イエス様の評判は町中に広まり、今日もまた、朝早くから人々は押し寄せてきます。大勢の人々が押しかけている中、福音を伝える良いチャンスと思われたのに、イエス様は、そこを去って、さらに福音を伝えようと、別の町、村に出かけられました。福音は、すべての人々に必要とされています。私たちの働きの場所は、福音を待っている所です。十字架の死と復活をもって切り開かれたイエス様の救いを、多くの人々に告げ知らせることが、私たちの働きです。約3年半のイエス様の伝道活動は、ほぼイスラエルの地でしたが、その後に継承される世界宣教の事業を、イエス様は、教会に託されました。

伝道の原動力

では、救われた私たちを伝道活動に駆り立てる原動力は、何でしょうか。それは「喜び」でしょう。「救われた喜び」「いやされた喜び」「神様に愛されている喜び」「祈りに応えられた喜び」です。

アンデレは、救い主イエス様にお会いした「喜び」を兄ペテロに告げます(ヨハネ1章)。サマリヤの女性は、「喜び」を町の人々に告げます(ヨハネ4章)。シロアムの地でいやされた盲人は、「開いた目の喜び」を人々に見せます(ヨハネ9章)。生まれつき足のなえた男性は、周囲の人々に歩いたり、はねたりし、神を賛美する姿を見せます(使徒の働き3章)。そしてパウロは「キリストの愛が私たちを取り囲んでいる喜び」を証しします(Ⅱコリント5章)。いずれも、自分自身に起こった「喜びと変化」を周囲に示しました。信仰の生きた喜びが原動力です。

福音の進展

この喜びの福音は、どのように進展していくのでしょうか。まず自分の周囲です。次に周囲の人々から少し離れた人々に。さらに遠隔地に住む人々に、教会は、証しの兄姉を派遣してきました。更に、派遣した宣教師の周囲の人々へと進展しています。

「そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」(使徒の働き1章)。

最後に、復活されたイエス様は、「平安があなたがたにあるように。父が私を遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」(ヨハネ20:21)とおっしゃいました。

救われた私たちは、尊い使命を受けています。この喜びの福音を何とか知らせたい。それが神様から託された使命ですから、福音を伝えます。周囲の人々にも、遠隔地の人々にも、そして遠くの国々の人々にも、です。

「行きて告げよあまねく いずこの民にも 心をば変えて 新たにせよと 新たにせよと 暗き闇もしばし 義の日なるイエスの 輝き世を照らす 明日は近し」(聖歌総合版551番)

大分聖書バプテスト教会の証し

まだ余白がありますので、当教会の沿革を通して、神様のお恵みを証します。

大分聖書バプテスト教会は、米国のバプテスト教会の「そこにも福音を知らせよう」の使命感のもとハウエル宣教師ご家族を大分に派遣して、産声をあげました。現牧師が牧会を引き継いだ時、当教会は大分市のほぼ中心地で伝道していましたが、借家であり建物を自由に改造し使用したい、という思いから、大分市のベッドタウンに移転し、その地を中心に伝道しました。中古の建物でしたが、米国BBCから借りたお金、前米国婦人宣教師の献金、教会員の献金で自分たちの教会を持ちました。大工出身のハウエル宣教師が中心になり、牧師と教会員がお手伝いする方法で、少し建て増しもしました。諸教会の先生をお招きし、伝道集会を何度も行いました。諸先生には、大変お世話になりました。

神様が備えてくださる

中古の建物でしたので、年々、痛みが激しくなり、台風の時は、横殴りの雨で壁から雨水がしみだしてきました。教会員も増えてきました。新築の教会を、もっと広い土地を、次の福音を伝える場所を求める祈りを兄姉と共に励みました。「売地がある」という情報を得ると見に行きました。何件も何件も探しました。

神様は不思議な方法で、未信者の地主兼建築業者を備えて下さいました。郊外の集落です。車で走るとまもなく、旧郡町です。教会員で積み蓄えた会堂献金、兄姉たちの個人的献金、前会堂の売却金、それでも不足していた金額は、未信者の建築業者が貸して下さいました。驚きました。神様のお働きです。隣接する旧郡町にも福音を伝えています。

現在地の野津原は、昔、戦国大名加藤清正の飛び地です。その影響で、高齢者を中心に、今も清正を尊び拝む偶像の強い町です。この神様が備えて下さった地、野津原を中心に、まことの光を照らし続けています。

「闇の中を歩んでいた民は、大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く。」(イザヤ9:2)

ケニアの兄弟と宣教の繋がり

海外宣教委員長 佐藤一彦

太田教会が新会堂になり3年が経ちました。新会堂での2人目のバプテスマ式が去年11月に執り行われました。その方はアフリカ・ケニアから来たパウロ兄弟です。彼がバプテスマに導かれるまでの経緯は、私がウガンダ宣教師であったことと、今太田教会の牧師となったことが繋がっている宣教の働きであることを確信させるものでした。

パウロ兄はとても信仰深かった彼の祖母の影響で小さい頃から教会に行くようになりました。彼の祖母は学校教育を受けておらず、貧しい家庭に育ちましたが、他の誰よりも信仰深い人で、朝に夕に聖書を彼に聞かせ、祈ってくれたそうです。彼はそんな祖母が大好きなおばあちゃん子でした。そのおばあちゃんに連れられて教会の日曜学校に通っていたそうですが、その時はまだ幼すぎて聖書を正しく理解できませんでしたが、日曜学校クラスの子供たち全員がバプテスマを受けることになり、意味がよく分からないままバプテスマを授けられました。しかし、それで彼は自分がクリスチャンになったのだと思ったそうです。実はアフリカの多くの教会では幼児洗礼を行っています。それは、人々の救いと信仰告白を曖昧にさせている原因となっています。

彼は青年期に入り、周りの素行の悪い青年と同じように流された生活になりつつありました。そのような環境の中にあっても、常に祖母から教えられた神様のことが頭の中にあったので守られたそうです。そんな中、大学を卒業後に日本での車修理関係の仕事の機会が与えられて群馬県に来ました。しかし、異国の地で知っている人もいない環境の中に孤独や難しさを感じていた時に、再び彼の祖母の祈りや教えが心に浮かび、教会を探し始めました。そして、神様からの導きに出会うのです。

彼は毎日、職場の社長の子を幼稚園バスが来るコンビニの駐車場まで送迎していました。その送迎バスに乗っている幼稚園の先生が私の娘の喜穂でした。彼女はすぐにパウロさんに声をかけ、自分のウガンダでの生活、父親が現在も宣教師としてウガンダにいることを話しました。その後、職場の社長さんが彼のために教会を見つけ紹介してくれました。それが太田聖書バプテスト教会でした。初めての太田教会に集うと、そこに喜穂がいたので彼は大変驚いたそうです。更に、次の週にはなんと私がちょうどウガンダからファローのために日本に戻り、太田教会にいる日でしたので、そこで彼と出会うことになるのです。それ以来、彼は太田教会に集うようになり、やがて私もウガンダの働きを終えて、太田教会の牧師となり、彼とアフリカ同士の故郷話をしながら聖書の学びをするようになりました。そして、彼の信仰を確認すると、まだちゃんとイエス様を個人的な救い主としての信仰告白をしていなかったので、救いの祈りを共にしました。そして、小さい頃に何も分からず受けたバプテスマではなく、救いを確信したので、次にイエス様に従う信仰の表明としてのバプテスマを受ける決心もすることが出来ました。彼が祖母から受けた教えと彼女の祈りが、日本でウガンダ帰りの私に出合うことによって答えられ、彼の中に生きた信仰となり、今回バプテスマを受けることができたのです!

このように神様の宣教の働きは、海外でも、国内でも、私たちクリスチャンを用いて広がり続けるのです。また、今のコロナ禍にあって宣教は更に新たな道も開かれつつあります。海外と国内という隔たりがあっても、インターネット等を通してどこからでも繋がることができるのです。最近宣教委員会では、毎回宣教師の先生がネットを通じて参加して下さりお交わりを頂いています。また、昨年には「宣教師との交わり(オンライン)」が開催され28名の先生がネット上で繋がり、宣教の現状を知り、祈り合うことができました。この宣教の新たなる可能性や、その他神が私たちに開いてくださっている機会に、私たちはしっかりと参加させていただきましょう。

青少年宣教キャンプの証


一つの決心

滝山BBC 杉本光太郎

僕は宣教キャンプに初めて参加しました。初参加だけれど、同教会の身内と呼べる人も多く、他教会の兄弟姉妹にも顔見知りが多かったのでとても馴染みやすく、初日から楽しく、また宣教師の先生方のメッセージもとても分かりやすく本当に来てよかったなと感じていました。

でも同年代の兄弟姉妹との分かち合いやデボーションの時間になると、兄弟姉妹の強い信仰や、心から恵まれ祝福されている様子を間近で感じ、その凄さに自分とはレベルが違う、次元が違うと勝手に一線を引いてしまっていました。今までキャンプに行くのを渋っていたのも同様の理由でした。他の人と自分の信仰は比べるものではないと分かっていながらも余りにも眩しい兄弟姉妹たちを見て、すぐに神様から目を背ける自分に嫌気がさしてしまっていました。そんな心境の中で、あることに気が付きました。宣教師の先生方との分かち合いの時や個人的に話をしているときに、宣教師の先生方は相手の目をよく見て心から話してくださることです。宣教師という職業?にパワフルで豪快なイメージを強く感じていた自分からしたら、あれだけ繊細に向き合ってくれることに驚きました。でも異国の地でたくさんの人と関わってきた宣教師の先生方だからこそできることなのかと少し合点がいきました。そして「お前はどうするんだ?」という圧ではなく、「君はどう?どうしたい?」という感じ(笑)で向き合ってくれる先生方を見て、神様からすぐ目を背ける自分でも、ちゃんと向き合わなきゃなと思えました。

また、メッセージをどこか他人事のように聞いてしまっていて冷めた感じでいる自分に、他教会の兄弟が自分のことに当てはめて聞く大切さを教えてくれました。そして自分に当てはめて考えたところ一つの決心が与えられました。父の救いです。救われていない父に伝道することに立つことを諦めた僕が立つこと。そして田村先生や上久保先生のメッセージにあったように食い下がること、諦めないことです。道は絶対に神様が用意してくれています。自分にできることはその道を歩くことだけです。神様の道が絶対に正しいことを僕は知っています。だからゆっくりでもいいから歩むことを諦めないように神様をただ信じます。本当に宣教キャンプに行くことができてよかったです。

送り出す母の気持ち

滝山BBC 杉本あゆみ

息子から、宣教キャンプに行くことを知らされたのは、わりと日も迫ってから。もう成人しているのでほとんどのことは自分で決めているし、たとえ何かに反対してももう聞くわけもなく、干渉しないようにしているので、宣教キャンプに関しても「行っていいか?」ではなく「行くから」でした。今まで宣教キャンプには行ったこともなく、むしろどうして行くことにしたのか不思議でした。理由を聞いたらもちろん「誘われたから・・」。今までどんなに勧めても行かなかったのに、どうしたのかなあと思いましたが、逆に「なんで?」とか「よかったよかった」とあまり喜んでもまた気分が変わると思い、「そう?」ぐらいの返事をしました。

でも、よくよく考えたら今はコロナ禍、何もかも中止のこの世の中で、果たしてこれは行われるのか?まあ中止でしょう・・と内心思っていました。そのうちキャンプに行くお母さんのライングループができ、そこに宣教師の先生の証、思いが送られてきました。「キャンプに行くために全て整っていること、道が閉ざされていたのに、障害をかいくぐるように道が開けたこと」それを読んで、行くことが当然のように思え、行く子ども達、青年達、先生方全員が守られないわけがないと思いました。

更に日が迫り、参加者の保護者向けのオンラインの説明会があり、そこでの吉田先生のお気持ちを聞き、準備を担ってくださった教会の先生方、青年達の熱い思いと万全な準備に感動し、コロナ番長と呼ぶには申し訳ないくらいの可憐な?看護師の先生方もいらっしゃって、この上何を望めるのでしょうか?

しかし、もちろん物理的なものは整っていますが、やはりキャンプに行く子どもたち、青年たちの大きな決断、神様をもっと近くに感じ、恵みを味わい、自分が神様に愛されていることを体験することを真に望みます。そして送り出す私は、ひたすらそのことを祈りました。

なんと大きな神様のご計画だったのでしょう。疲れたけど充実した3泊4日を終えて戻った息子の顔を見たとき、不安は払しょくされ神様の愛に感謝しました。何よりも裏でたくさんご奉仕してくださった先生方、神様を信じるが故、宣教キャンプを中止してはならないという思い。私も悔い改めました。ありがとうございました。息子は疲れた疲れたと言っていましたが、とても楽しく、たくさんの信仰の友と交われた貴重な時間を感謝しているようでした。

愛をもって語る勇気

仁戸名BBC 山路桃香

宣教キャンプに参加するのは3回目でしたが、全日参加できたのは今回が初めてでした。参加にあたって不安なこともありましたが、このように素晴らしい機会を与えてくださった神様に感謝します。

特に印象的だったメッセージでは、家族の救いのために諦めず伝道した先生のお話をうかがいました。家族に福音を伝えようと立ち上がり、神様に祈り求めたら、不思議な方法で道が開かれていき、最後は一緒にイエス様を信じるお祈りをできたというお証でした。困難な状況でも、熱心に祈り求めれば神様は応えてくださるのだ、と感じながら自分の父のことを思い浮かべました。

私の父は、まだ救われていません。私が信仰をもって教会に行くことに反対はせず、むしろ色々と助けてくれます。しかし、あくまでも、「自分は信じない。自分は関係ない」という姿勢なので、聖書の話をしたり、教会に誘ったりすると、あまり良い顔をしません。父は優しいけれど怒ると怖いので、「これ以上踏み込んだら、きっとお父さんの機嫌が悪くなる」と思ったところで身をひいてしまい、やがて父の救いのために祈ることを諦めかけていました。

そのような中、メッセージでこの御言葉が与えられました。「神の賜物と召命とは変わることがありません。」(ローマ11:29)

神様に期待して伝道を続けることを、何度も諦めてしまいました。それでもなお神様は、この召命を取り去らないで、与え続けてくださっているのだと知り、胸がいっぱいになりました。神様は本当に憐れみ深いお方です。私がもしも逆の立場だったら、とっくに罷免していたと思います。神様に感謝し、使命から背を向けていたことを悔い改めました。

こうして、父のために祈りと伝道を続けていく決心が与えられました。福音を語ることで波風を立ててしまい、仲の良い関係が壊れてしまうのではないかと恐れていましたが、父が永遠の滅びに向かっていく方がもっと恐ろしいことです。愛をもって波風を立てる勇気が与えられるよう、拒絶されてしまっても諦めずに伝え続けられるよう、祈り求めていきたいです。

また、キャンプ最終日の証会を通して、同じように家族の救いのために祈っている参加者が多くいることを知りました。互いに励まし、祈り合う関係が与えられたのも、キャンプの素晴らしい恵みでした。

感謝と祈祷

インドネシア派遣宣教師 田村成幸

田村先生

● 近況報告 ●

これまでアジアで最悪の感染者数、死者数を出していたインドネシアですが、現在落ち着き収まっています。しかし、新株や第6波への懸念は小さくありません。そんな中ですが、この12月に2回目のワクチン接種(アストラゼネカ)を終える事が出来ました。当初、外国人の私が接種出来るには、どれ程待たされるのかと思っていましたが、神様のお働きにより道が開かれ接種に至りました。その為、教会のスタッフ全員が2回目の接種に至った事から、1年半ぶりに対面での礼拝を再開しました。2週続けて新来者が与えられる等、恵みも頂いています。

● 祈りの課題 ●

①インドネシア宣教の祝福と拡大。
②スラバヤ南バプテスト教会の組織独立
③クランジ・バプテスト教会の祝福
④シモン・ネンゴラン師、フランキー・タンブーナン師の為
⑤田村家族の守りと親兄弟の救いの為
⑥家内の健康、経済的祝福と守りの為
⑦スラバヤ後の働きが具体的に示されるように

インドネシア派遣宣教師 広瀬憲夫

広瀬先生

● 近況報告 ●

世界的な新型コロナ感染の新たな拡大が起きている中、インドネシアでは2021年末現在、落ち着いている状況です。ただ、年末、年始の移動規制など、政府主導の規制はまだまだ続いています。クリスマスから2週間経過して、若干の増加傾向が認められています。

クリスマス諸集会は、例年行っている日曜学校クリスマスのほか、各部会、家庭集会、およびビンジェイ学園(幼稚園、小学校)の諸集会はすべて中止。ただ、メダン北部伝道の家庭集会でのクリスマス子供会は実施できました。

24日クリスマスイブ礼拝と25日(国民の祝日)クリスマス礼拝、および年末と元旦礼拝までが、クリスマス一連の集会という位置づけです。もともとインドネシアでは、1月はキリスト教暦の正月という理解だったからです。他にイスラム暦、中国暦に則った正月祝日があります。ただ、2000年以降、ミレニアムをみんなで祝う風潮が出来上がり、近年はほぼすべての人が祝う正月になっていました。例年は大勢の人が街に繰り出し、広場では花火が挙げられて、大変混雑するのですが、今年はそれらが規制されて、街では静かなクリスマス・正月を迎えています。

私たちは、スタバッ伝道所のクリスマスイブ礼拝、同年末集会、マンダラ教会のクリスマス礼拝、同元旦礼拝でのご奉仕でした。

ビンジェイ教会、スタバッ伝道所、マンダラ教会それぞれに、クリスマス諸集会に新来者が与えられました。

● 祈りの課題 ●

①マンダラ教会での諸教会伝道者による集会奉仕および献身者教育が実を結ぶように
②マンダラ教会での青年聖書訓練会の他にビンジェイ教会での青年聖書訓練会がスタート、用いられるように
③感染収束の見通しが立たない中でいのちの福音宣教に教会がますます熱心になるように

メダン北部クリスマス子供会

マンダラ教会クリスマス礼拝

香港/東アジア派遣宣教師 吉田正治

吉田先生

● 近況報告 ●

11月、ミッションカンファレンスにて、コンゴの現地牧師 David Mwepu 師のサポートを決議する。アフリカ人では初めて。

12月、12日のクリスマス子供会は、上の階とご近所に住む小学生、幼稚園生、その親御さん達で、新来、再来合わせて19人の参加。昨年はコロナの影響で開けなかったので、感謝でした。19日のクリスマス礼拝には、狭い会堂に30人が集まり、広い会堂の必要を痛感しました。26日には、フィリピン人のメリー姉とジャメイカ姉がバプテスマを受けられました。(写真:右がメリー姉、左がジャメイカ姉)

オミクロン株の感染で香港も第5波に突入し、緊張しています。集会は大きいものは中止ですが、私たちのような小さい集会はお目溢しがあり、続けることができます。もし以前のように広い会堂だったら、集会禁止になっていたかもしれず、小さい群れであったことに感謝です。

● 祈りの課題 ●

①香港コーナーストーン教会に新しく、広く、使い勝手の良い会堂が与えられるように
②内地Y市の家の教会に主の守りがありますように
③今年のミッションキャンプに主の祝福がありますように
④2022年も不測の事態が起こると思いますが、留まって働きが続けられますように

2人の姉妹のバプテスマ

コーナーストーン教会のクリスマス礼拝

香港/東アジア派遣宣教師 鈴木しのぶ

● 近況報告 ●

コロナウィルスの世界的大流行が始まった2020年1月に諮問を受け、フェローシップから宣教師の公認を受けた後、2020年9月からデピュテーションを開始しました。世界中で人々の生活様式が変わり、多くの人々が亡くなり、失意の中に置かれている方々も少なくありません。そのような中、真のいのちであられる主イエス様をお伝えするために、諸教会の皆様がこの2年間お祈りくださり、ご支援くださったことを心から感謝いたします。

2021年12月の時点で34の教会を訪問しました。神様が「今」と仰せられる時に、いつでも出て行くことができるよう準備をしています。今なお世界中で渡航が難しい状況が続いており、台湾もビザの発給を停止しています。教会訪問のない間は若葉BBCで、伝道、諸連絡・フォローアップ、掃除・買い物・修理等の会堂管理、翻訳・通訳、事務作業等の手伝いを通して主にお仕えしています。2022年も諸教会の皆様に主の祝福がありますようにお祈りしています。

● 祈りの課題 ●

①台湾・東アジアで続けて福音が宣べ伝えられるように
②世界中でビザの新規申請が停止されている間、私を含め新規の各宣教師が今置かれた場所で主に感謝し、続けて主にお仕えするように
③デピュテーションを通して宣教地、諸教会、遣わされる者に祝福があるように

ハワイ派遣宣教師 上久保崇

上久保先生

● 近況報告 ●

9月には21周年記念礼拝をおささげしました。月に一度のウェルカムサンディーには来会者が与えられています。 11月の宣教カンファランスではインターネットを通して日本から鈴木しのぶ先生のお証しをうかがうことが出来ました。新しい宣教のサポートに加わる恵みを祈り、新規更新された宣教献金は増額となり、主をほめたたえました。

クリスマス礼拝は今までのように一堂に会してイエス様のご降誕を共にお祝いしました。クリスマス礼拝ではコール君(小学五年生)のバプテスマ式も行なわれました、彼はご両親、ご両祖父母がクリスチャンと言う三世代目のクリスチャンです。

ハワイでは12月に入ってから感染者が激増していますので、来年もしばらくは二部制での礼拝になります。

婦人会に最近は二名の新しいご婦人の出席があります。こひつじサークル(就学前の子供とお母さんへの伝道)は、9月より施設の屋外で再開しました。今年度はすべて新規の参加者で、新しい子供たちとご家族に伝道や証しをする機会となっています。

● 祈りの課題 ●

①教会が、霊的な祝福の実を結ぶために(ヨハネ15:8)
②今の伝道の継続と、今までとは違う方法での働き。今の状況だからこそできる伝道の開始のために
③それぞれの場所にいる家族に、主からの導きと守りがあるように

ラナキラ教会のクリスマス礼拝

ラナキラ教会の婦人のクリスマス

宣教のためにチームで働く

海外宣教委員プロモート担当 ジェームズ・スミス

宣教の働きにおいて、チームで働かないという選択肢はありません。イエス様は弟子たちやすべての信仰者が一致することを祈りました(ヨハネ17:20-23)。使徒たちや初期の宣教師たちは不一致や困難にも関わらず、共に働くことに努めました。さらに、共に働くことは賢明なことです(伝道4:9-12) 神様からいただいた使命のために、私たちは共に働かなくてはなりません。では「チームで働く」とはどういうことでしょうか。ある人は「共通のビジョンに向かって共に働くための力」だと言います。また「一般的な人が、すばらしい結果を得るための燃料」だと言います。つまり、共通の目標に向かって効果的に働くことは、一人で努力するよりもはるかに良い、ということです。それは、宣教師を海外の宣教地に送り出すことや、牧師を開拓伝道に送り出すために特に効果的です。

聖霊の導きの下にある教会は、宣教師を派遣する機関です。宣教師や伝道師を派遣するには、教会が多くの面でチームとして働くことが必要です。第一に、教会員はイエス・キリストの大宣教命令を信じなければなりません。イエス様はご自分に従う者に対し、出て行ってイエス・キリストの福音を伝えるように命じておられることを理解しなければならないのです。事実、日々イエス・キリストを知らずに亡くなる人々がおり、その人たちは神様がおられない永遠を過ごすのです。ですから、全ての人が福音を聞き、救い主としてイエス様を信じる応答の機会が必要です。第二に、聖霊は教会が喜んで宣教師を派遣するように必ず導きます。第三に、教会には喜んで宣教地に行く霊的に成熟した者がいなくてはなりません。第四に、教会は宣教師のために祈り、サポートしなくてはなりません。第五に、宣教師が派遣された後にも続けて連絡を取り続けなければなりません。問題が起こるときには、心理的にも、霊的にも助けが必要になります。より良くチームで働くことができれば、宣教師や伝道師はより効果的に福音を伝えることができるのです。

さらに、多くの教会が大宣教命令のために共に働くとき、各個教会が単独で働く場合よりもさらに多くの宣教師や牧師を派遣し、より効果的なサポートができます。そのことが起こるためには、諸教会は共通の信仰を強める必要があります。また諸教会が互いに深い交わりをもつ必要があります。つまり、有意義な交わりが求められます。諸々の委員会やコンサート、キャンプや交わり会などは、信仰のつながりを強め合う上で大変重要なことで、これにより私たちが全世界に福音を伝えるために共に働くことができるのです。

私たちの世界は、パンデミックにより深刻な影響を受けています。あたかも終わりの時が来ているようです。パンデミックは、世界中の多くの人々に人生のはかなさや不確かさを明らかにしました。したがって、私は、人々が応答するために福音を伝える機会は以前より多く与えられていると考えます。日本バプテスト・バイブル・フェローシップとして、私たちは今後どうすべきでしょうか。パンデミックによって私たちの力が失われていくのでしょうか。それとも、以前に増して実のある交わりを持ち、地の果てにまで福音を伝えるために、共に働くようさらにささげ、すべてをかけようとするのでしょうか。

編集後記

教会の新年度計画を考えていた矢先に、オミクロン株による感染者が急増してきた。近辺に感染者も出ている。スゴロクで振り出しに戻ってしまったような感覚に陥る。今後はウィズコロナであると理解しながらも、心の片隅ではコロナのない世界が戻ってくるかのように期待していたのかもしれない。

しかし、神の計画は後戻りすることはない。人に見えるところは後退でも、神の側では前進し続けていることを覚えたい。今、求められる忍耐は、かつての世界が戻ってくることを待つことではなく、今、ここに、しっかりと腰を据え、神が私に期待しておられることに十分に生きることだろう。

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