2020年・夏号2023-02-20T07:56:39+09:00

コロナ感染中でも圧倒的な勝利者

海外宣教委員長 バーゲット・マイケル

バーゲット先生

「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」ローマ8章37節

諸教会の世界宣教への尊い献金と熱い祈りを心から感謝いたします。

聖書によると主を信じる私たちは、圧倒的な勝利者です。でも、それはこのようなコロナパンデミックの中あってもそうなのでしょうか。冒頭の聖句を中心にそのことについて考えてみましょう。

まず、この箇所の「これらすべてのことの中にあっても」は何を指しているのでしょうか。それは、その先に記されている御言葉です。「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。『あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。』と書いてあるとおりです。」(ローマ 8:35-36)。コロナパンデミックはまさにこの「困難、苦しみ」と言えるのではないでしょうか。だとすれば、この御言葉により主を信じる私たちには圧倒的な勝利が保証されているのです。

では、この勝利とは何を指しているのでしょうか。例えば、クリスチャンはコロナに感染しないとでも約束しているのでしょうか。もちろんそれは違います。主を信じる私たちは、この世において様々な困難に会います。主ご自身もそうであったように、私たちも主の御足跡に従うなら同じ体験をします。コロナ感染もそのような事例の一つにすぎません。

それでは、この勝利は何を意味するのでしょうか。同じ章の12節前にその答えが記されているように思います。「なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。」(ローマ 8:29)。私たちは神のお取り扱いにより、キリストの御姿に変えられるという神の素晴らしい御計画があります。「神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。」(ローマ8:30)とあるように、このことは神の定めと召しから始まり、さらには義認(神の御前に義と認めれる)と、聖化(私たちが聖められ、キリストの姿に歩み寄る)へと進み、最終的に栄化(私たちがやがてキリストと同じようになる)に終わるのです。

主はこのコロナという困難をも用いてくださり、私たちをキリストに似る者へと変えようとしておられるのです。だからこそ、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)と記されているのです。この「益」とは平凡な問題のない生活を意味するのでしょうか。一般的にはそのように考えるかもしれませんが、違います。この「益」とは、キリストに似ることを意味しており、私たちの聖化と最終的な栄化を指しているのです。神が主を信じる一人一人をキリストの御姿に変えられていくのが天の御父の願いです。それが神の御計画であり、御約束でもあります。ですから、やがて主を信じる私たちすべてが必ずキリストに似る者とされるのです。

この御約束を聞くとどのように感じるでしょうか。「私がキリストに似る?いや、それは無理!あり得ない!」そう感じるかもしれません。しかし、そのような神のご計画を保証するのは私たちの努力ではないのです。このご計画を完成させ、保証されるのは神ご自身です。

「無理!」と感じる私たちのために主は次の御言葉を用意してくださいました。「では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ 8:31-32)。神が私たち信者の味方なのです。その証拠に「ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された」事実があるのです。十字架上のイエス様の死がこの約束の保証です。最愛のひとり子を私たちの救いのために犠牲にしてくださった程ですから、私たちの救いの御業が未完成な状態のままで投げ出すようなことは決してなさらない。むしろ、その救いを最後まで見届けてくださるのです。あの最終的な栄化(私たちがキリストの御姿に変えられる)まで私たちに恵みを施し、そのことを成し遂げるために働きかけ続けてくださるのです。

「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(ローマ 8:38-39)とあるように、私たちを神の変わることのない愛から引き離すことのできるものは何一つないのです。コロナパンデミックを含めた何一つです。主にある私たちは圧倒的な勝利者となるのです。

コロナパンデミック以前の世界でも、毎日16万人ほどの人々が亡くなっていたのです。また、その多くが主を知らずに滅びていました。これが世界宣教の現状なのです。

コロナ感染拡大により、世界中の人々が頼りにしていたものが一つ一つ奪われているように思います。経済にしろ、健康にしろ、明日の保証は何一つありませんが、平凡な生活に慣れてしまった者はそのことをついつい忘れてしまいます。結局、神がいなくても問題なく生きていけるように勘違いしてしまうのです。私たちの周りにこのような方々が実に多くおります。主を知らずに滅び行く魂が実に多いのです。

コロナパンデミックで感染者数や死者数を毎日見るようになりました。コロナで亡くなった人々が35万人(5月末現在)とWHOが発表しています。本当に大変な数字であり、悲しい話です。しかし、平年の世界の死者数はなんと5800万人です。そう考えると現段階のコロナ死者数は平年の死者数の52時間分にすぎないのです。言い換えれば、コロナパンデミック以前の世界でも、毎日16万人ほどの人々が亡くなっていたのです。また、その多くが主を知らずに滅びていました。これが世界宣教の現状なのです。コロナ感染の中、不要不急の自粛の呼びかけをよく耳にします。確かに不要不急の自粛は必要だと思います。しかしながら、福音宣教は不要不急の一つではなく、むしろ何よりも必要であり、緊急性の高いものです。

コロナ感染により、私たちの日常生活が様々な面で大きく変わりました。コロナ感染の恐怖に囚われている人も少なくありません。また、その気持ちもわからないわけでもありません。気を付けないと、この恐怖に主を信じる者もすくんでしまいます。しかし、今、世の中が必要とするのは麻痺したクリスチャンではなく、主を仰ぎ見つつ、ひたすら福音宣教に励み続けるクリスチャンなのです。主にあって、私たちは圧倒的な勝利者となれるのですから、コロナパンデミックの中にあっても主に頼りつつ、福音宣教の御業に最善を尽くして励んで行きましょう。

感謝と祈祷

インドネシア派遣宣教師 広瀬 憲夫

広瀬先生

● 近況報告 ●

COVID-19肺炎の影響で2月に予定していた華僑社会向け中国語レッスン奉仕が中止、3月25日予定だった休日の福音学校も延期となりました。
1月から3月まで、福音学校で分級奉仕担当の青年たちが準備を重ねてきていました。彼らの成長を期待しています。すべての学校の休校措置が、すでに何度も延長措置となっていて、現在5月29日まで休校が決まっています。インドネシアの新学期は7月から始まります。ビンジェイ学園(幼稚園・小学校)も、3月中旬から休校措置です。貧しい家庭が多く、ネット授業が不可能なため、週に2度、教師たちが家庭訪問をして指導を続けています。
メダン北部伝道は、訪問もできない状態が続いています。携帯電話でのメッセージのやり取りをほぼ毎日行っています。

● 祈りの課題 ●

① 集会、訪問活動が制限される中で、教会が霊性を整えられるためのネットワークづくりに知恵が与えられるように
② 行政からの支援は期待できない中で、 教会員の生活が、健康面、経済面で、支えられるように。牧師・伝道者家庭が守られるように
③ ビンジェイ学園教師たちの健康が守られ、授業指導・子供の霊性指導が制約ある中で十分になされるように

 

ハワイ派遣宣教師 上久保 崇

上久保先生

● 近況報告 ●

ハワイでの新型コロナウィルスによる伝道への影響を報告させていただきます。(4月28日現在)ハワイ政府より、3月23日より自宅待機命令(これには、教会で集まることの禁止が含まれています。集まることは違法になります)が発令されたことにより、礼拝とすべての集会、訪問もストップとなっています。その中で日曜礼拝はオンラインによる「ライブ礼拝」を中心としてインターネットの環境のない方々には電話での音声配信と事前に礼拝メッセージとプログラムを郵送することで「異なる場所ですが、同じ時間に礼拝をおささげすること」を励ましています。その後、5月末までこの命令が延長されたためにオンラインでの祈り会やバイブルスタディーが始まります。この法律が発表されて執行されたのが翌日の夕方でしたので、それまでにいくつかの家庭(主にオンラインの環境のない方々)を訪問して共に祈る時を持ちました。
生活面においては、散歩や買物などの外出はできます。物流は止まっていませんので、ほぼ今まで通りに購入できます。観光業や飲食業、サービス業などは営業の縮小や休業、中には閉店するほどの影響を受けています。公立学校は3月中旬から5月の終業まで休校になりました。
この命令が長期化することでさらに混乱や困難、不安になる人が増えてくることと思います。人々にイエス様に在る平安と希望を証しする機会を祈っています。

● 祈りの課題 ●

① 今の状況の中での牧会と伝道の導き
② 自宅待機命令が解除されて礼拝が再開できるように

 

インドネシア派遣宣教師 入江 一義

入江先生

● 近況報告 ●

早速ながら、インドネシアに来てから約45年に成りますが、最近はこの国も私自身も、今迄に無かった体験の連続です。
昨年11月上旬には、文字通り「九死に一生を得る」自動車事故で全身打撲の複雑骨折でした。目には見えない後遺症ですが、入江流の自宅療養で、今日まで集会奉仕等継続されています。事故後の健忘症がひどい中で、12月のクリスマス・プログラムだけは精一杯奉仕できました。
マレーシアに続いてインドネシアにも戒厳令が敷かれた時は、家に閉じこもる日が続きましたが、最近は外出も出来るし、宣教師館で集会を続けています。今回は、近所の理解もあり、敷地も家も広く、数本のマホガニーの大樹や大きく成った庭木、土が見えない程に芝生の絨毯が敷き詰められて酸素を供給しています。教会での礼拝が許される迄宣教師館で集会は続けます。
4月12日イースターにアルド・サラギ兄(中二)のバプテスマ式が出来ました。アルド兄は、教会での集会が禁止される前に、「信仰告白し、新生の証としてバプテスマを受けたい」と礼拝で証言していましたが、事故後の私の体調が思わしくなく、伸ばしていたのです。
私自身は、老齢化に加えて、大事故の後遺症を抱えつつ、必要凡てを備えられて、この混乱の時勢を乗り切っています。

● 祈りの課題 ●

① 事故後の後遺症からの回復と働きの守り
② ケサワン教会の牧会者
③ 日本人伝道者とインドネシア人伝道者の必要

 

インドネシア派遣宣教師 田村 成幸

田村先生

● 近況報告 ●

家内の事でお祈り下さり感謝致します。その後、数ヶ月に1回の検査以外は通院せず手術前の生活に戻っています。見た目には大病をしたとは思えない感じです。しかし、やはり疲れやすく、部分的なリンパ切除の影響もありますので足の状態等を注意しながら生活しております。引き続き健康の為にお祈り頂けましたら感謝です。
インドネシアも感染者が出てから爆発的に広がり喫煙率の高さからか死亡率も高い状態です。スラバヤ市内もかなりの箇所で封鎖されており往来に不自由さを感じます。中国寄りの大統領が日本をスケープゴート化して、コロナ感染を日本の所為にした為にジャカルタでは邦人への嫌がらせもある様です。
スラバヤ南バプテスト教会でも、政府から教会等の宗教施設でも多くの人が集まる事を禁止されましたので、共に集う事を一時中断してウエブでのメッセージ配信を続けています。3月末に予定していたバプテスマ式も無期限延期になりました。刑務所訪問も一時中断です。早期の収束を祈るばかりです。

● 祈りの課題 ●

① インドネシア宣教の拡大と祝福
② スラバヤ南バプテスト教会の今年中の組織独立
④ クランジバプテスト教会の祝福
⑤ ネンゴラン師、フランキー・タンブーナン師の為
⑥ 長く教会を離れている兄姉のリバイバル
⑦ 救われていない親兄弟の救いの為
⑨ 家内の健康と田村家族の守りの為
⑩ 新しい働き場が示されるように

 

香港/東アジア派遣宣教師 吉田 正治

吉田先生

● 近況報告 ●

3月29日の礼拝から1ヶ月、香港政府の発令で4人以上の集会を禁じられているので、YouTubeを用いて、オンライン礼拝、水曜日もオンライン祈祷会としています。ただ教会は閉じておらず、日曜日に教会に来る人は拒まず、という形です。4月19日までで、それ以降は通常の礼拝、日曜学校、水曜日の祈祷会に戻します。

● 祈りの課題 ●

① 3月に召された坂井兄の元奥様アキさんの救い
② コーナーストーン教会に、広い会堂が与えられるように
③ 香港のデモと、新型肺炎の影響で、半年間訪問できていない中国の家の教会での働きが再開できるように
④ 日本にいる吉田の母吉田俔子(ちかこ)、家内の父新井匡夫(まさお)、ほか家族の救い
⑤ 主から離れ気味の吉田基生の信仰がリバイバルされるように

主の与えてくださった重荷

台湾/派遣宣教師 鈴木 しのぶ

私は救われて、仕事をしながら中高の教員免許を取得しました。学校の教員になれば、多くの子どもたちの名前を知り、子ども達の救いを祈れると考えたからです。「子ども達にイエス様のことを伝えたい」と願ったのは、17歳で初めて福音を聞いて感動したからです。高校時代アメリカに11か月留学し、田舎の素朴なクリスチャンの夫婦に愛してもらい、身をもってキリストの愛を味わいました。神様が私にしてくださったこの素晴らしいことに、時が経つほど感謝しています。

私が「宣教」「伝道」について初めて聞いたのは、2007年9月に滝山BBCで行われたJBBFの宣教大会でのことです。「子ども達にイエス様のことを伝えたい」という願いは、「宣教」というもので、私には宣教の重荷が与えられていると合点しました。この集会で神様の招きに私は応え、前に出て祈りました。

その後、私は教員としてキリスト教系の私立中高一貫校に3年間勤めました。2014年8月から神学校で学びと訓練をいただき、卒業論文を通して与えられた召しに向き合いました。神学校を卒業した後、2017年11月に吉田正治宣教師ご夫妻を通して香港とY市の教会に連れて行っていただきました。そこで信仰を働かせるクリスチャン達には格別な喜びがあるのを見ました。これを機に、主は私に東アジア宣教の重荷をくださいました。

2018年4月から3か月間、米国フロリダ州にある私の牧師スミス先生の母教会で訓練をいただきました。私は、日曜学校で主に仕えるための知識や技術を求めましたが、むしろ神様と人への愛、子ども伝道の情熱をいただいて戻りました。また、働き手が足りないのは日本や東アジアだけではない、アメリカでもそうなのだということに衝撃を受けました。世界中どこでも、いつの時代も「収穫は多いが、働き手が少ない(マタ9:37)」のだという現実が胸に刺さりました。

2019年の4月から約2か月間、再び香港を訪ね、吉田宣教師ご夫妻にご指導いただきました。香港は正に東アジア宣教のハブでした。大陸に聖書を運ぶ人や、大陸で聖書の学びを導いている人たちに出会い、多くの教会が大陸の教会や宣教師をサポートしている姿を目撃しました。ある地域が閉ざされると香港に一時滞在し、その間、開けた地域を探して次はそちらに行く姿を見ました。東アジア宣教は表立って目には見えませんが、確実にうねりをもってしたたかに行われていました。また台湾の高雄にも1週間滞在し、吉田宣教師の台湾時代からのお知り合いの先生方とお会いしました。公立の幼稚園や小学校、特別支援の幼稚園を訪問して福音を伝えるのに同行しました。また一緒に高齢者施設を訪問し、台湾語話者や日本語話者の方々と私も交わり、賛美や証をする働きに加えていただきました。私と東アジアを結ぶものはないように見えましたが、確信を求めて祈ると、主は「主がお入用なのです」(ルカ19:31)というおことばで答えてくださいました。

2019年9月に若葉聖書バプテスト教会は、東アジア宣教の第一歩として台湾に私を宣教師として遣わすことを決議しました。まず台湾の地方教会で主にお仕えしながら北京語を学び、大陸の人々に福音をお伝えする道を探り、機会をとらえたいと願っています。私は何も特別なことはできず、何も成し遂げたこともありません。しかし神である主が人の救いのためにすべてを成し、JBBFの先生方が私をも愛し、その真実を私にも語ってくださいました。こんな私をも入用と言ってくださる主にお従いし、またお交わりをいただいているJBBFの諸教会の先生方や兄姉と共にこの道を進みたいと願っています。

鈴木しのぶ先生の台湾訪問

2019年の台湾訪問

 

関西合同宣教集会より

吉田宣教師ご夫妻をお迎えしての恵み

亀岡BBC牧師夫人 西牟田 栄

西牟田栄先生

香港から先生ご夫妻をお招きする過程において

昨年関西牧師伝道者会で2020年1月に宣教集会を行うと決まりました。亀岡教会が窓口となりました。私たち夫婦は、香港におられる吉田先生ご夫妻にメールや電話をして関西合同宣教集会や関西諸教会訪問についての詳細やプランについて連絡をさせていただきました。

宣教師ご夫妻と直接何度も連絡する機会が与えられたことは恵みでした。宣教クォータリーやレポートに記載されていることをリアルタイムでお聞きすることができたのです。吉田先生は「私の入院中、同室の坂井さんが救われました!祈ってください」淳子先生は「病気も完全にいやされました。わたしも一緒に行きます!」と連絡して下さいました。

淳子先生とは約20年ぶりの再会となり、ご夫妻の来教と交わりを嬉しく思いました。先生ご夫妻が関西合同宣教集会と諸教会訪問をされるにあたり、私たちが窓口となり、宣教師と連絡し合えることはめったにない恵みで「私にできる宣教」でした。

先生ご夫妻の宿泊地として亀岡教会が用いられて

先生ご夫妻は約18日間関西に滞在し、その間、約10日間は亀岡教会に滞在して諸教会へ移動されました。

吉田先生ご夫妻の滞在中、先生達と食卓の交わりの中で、神学校時代を共に過ごした時の様々な記憶がよみがえり、又お互いの子供たちが牧師・宣教師家庭だからこそ経験した恵みや悩みも共有しました。又、神学校に献身者が起こされ海外宣教師が起こされることを共に願いました。

亀岡教会の三階(和室、トイレ、浴室等)は、現在、講師、宣教師の先生方に自由に気兼ねなく滞在していただいています。教会の皆さんは三階が来教される先生方の滞在の場として用いられたらと願っています。これは「亀岡教会ができる宣教」です。

亀岡教会での宣教集会で得たこと

「涙をもって種をまく者は、喜びの声をもって刈り取る。種を携え、涙を流して出ていく者は、束を携え、喜びの手をあげて・・」詩篇126篇5-6節

吉田先生はこのみ言葉を通して、日本伝道・福音のための種まきは種まきの前に土をたがやかさなければならない。種まきの前にたくさんの働きがあり大変です。しかしその働きをしなければ人は救われない。

パウロも中国への宣教師も神様に従うのをやめないで涙を流しながら出て行って喜びの声をあげることができたのです。私たちも少し先しか見えないでどうしてこんな結果になるのだろうと思うことがあります。神様の御心が分かるのに一年、あるいは十年以上かかることも教えて下さいました。

吉田先生のメッセージは教会形成や伝道の働きにおいて慰めをいただきました。「遣わされている所で(イザヤ6章8節)忠実に主の業に励むこと」これが「わたしのできる宣教と伝道」と教えられました。

私と教会ができる宣教

吉田先生は関西合同宣教集会(高槻聖書バプテスト教会安満会堂)でメッセージをして下さいました。私は、私も含めて亀岡教会が宣教師のために祈り献げることができるようにと、チャレンジをいただき淳子先生と共にお祈りをさせていただきました。

私たちの教会は各信徒が献金する宣教約束献金のみで宣教師、神学校、委員会に支援していますが、今年度わずかですがアップすることができました。亀岡教会と私も小さな働きですが、宣教の働きのために祈りささげる業に加わりたいと願います。

最後に、昨年11月より婦人会のみですが、出席を続けて下さっている婦人がおられます。淳子先生は1月の婦人会メッセージの後、その方と交わってくださり、その婦人の土を柔らかくして下さり、翌週救いを受けることができました。現在はコロナ感染予防の為にしている、婦人のライングループ通話での学びに参加し喜んで学んでおられることを主に感謝します。

関西合同宣教集会

関西合同宣教集会の様子

 

主の与えられた大いなる祝福

高槻BBC伝道師  株本 和英

株本和英先生
敬愛なる、諸教会の先生方はじめ、兄姉の皆さまいつも関西諸教会のためにお祈りに覚えて下さり感謝いたします。また、このように証の場を与えてくださいました主をほめたたえます。

さて、1月13日、高槻聖書バプテスト教会の安満会堂において、吉田宣教師ご夫妻をお招きし、宣教報告、証、賛美、「わたしができる宣教」というテーマで、吉田正治師にメッセージを取り次いでいただきました。午前の部では、ヨハネ12章20~26節より。「両足で走る」といタイトルで、午後の部では、申命記15章5~6節より、「この世に課している」というタイトルでメッセージがなされました。

国内外問わず、「宣教」は、教会が正しい歩みをし、成長するために欠かすことのできないものであること。また、教会にとって、「出すこと」聖書的にだすことで祝福となり、「与えること」主の栄光のために手放すことが、クリスチャンの祝福の基本であると宣教を熱く語ってくださいました。

宣教は、一人でできるものではありません。宣教に遣わされる者がいて、宣教の働きを支える教会、兄姉たちの犠牲、祈りがあり、はじめて宣教の働きが成り立つものだと思います。今回の、吉田先生のメッセージを通して宣教の大切さ、必要性を再認識いたしました。

教会によっては、宣教のほかに取り組まなければならない、さまざまな課題があります。老齢化、後継者問題、新たな計画などすべきことが山のようにあると思います。また、教会の大、小に関わらず、教会が宣教に力を入れるということは、大きな犠牲、労力、時間を費やします。しかし、イエス・キリストは、弟子たちに言われました。「そして彼らに言われた、全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。」(マルコ16章15節・口語訳)。これは、大宣教命令です。

わたしたちは、主の僕です。僕は主人の命令に従います。但し、主の命令は、ただの命令ではなく、約束が伴っている命令だということをわたしたちは覚えなければならないのではないでしょうか。(ヨハネ12章26節)

今回の宣教集会は、関西諸教会にとって初の試み(わたしの記憶では)だったと思われます。どのようになるのかさえ、わかりませんでした。しかし、主はメッセージを通し、大いなる祝福、宣教の大切さ、主の命令には、約束が伴っているということを教えてくださいました。

最後になりましたが、イザヤ6章8節を引用し、宣教集会の証を閉じさせていただきます。

「わたしはまた主の言われる声を聞いた、『わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか』。その時わたしは言った、『ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください』。」(イザヤ6章8節・口語訳)

 

関西合同宣教集会

関西合同宣教集会参加者

「デピュテーション」って?

海外宣教委員長 マイケル・バーゲット

「デピュテーション」とは一般的に聞きなれない言葉ですが、どういう意味でしょうか。海外宣教委員会発行の宣教ハンドプックには次のようにあります。「デピュテーションとは宣教師が自分の召命と宣教地への重荷を示すため、母国の諸教会を廻って歩く旅行に関する表現である。」さらに「その目的は宣教地での働きのため、神の民の祈りと経済的援助を求める事にある。成功する時、宣教師の召命の実現のみならず、地方教会もまた大命令を実行する事が可能になり、その結果、地方教会の働きに対する神の祝福が与えられる。」と記されています。

この言葉は英語の deputation から来ています。また、それは deputize(代理に任命する)から来ています。すなわち、デピュテーションとは派遣教会はもちろん、サポートする諸教会も宣教師を自分たちの代理として宣教地に任命される事から使われるようになったようです。

そのような訳で、デピュテーション中の宣教師は宣教地に遣わされる前に金銭的なサポートと祈りのサポートを募ります。金銭的サポートは重要ですが、祈りのサポートもそれ以上に重要です。宣教師が地方教会を訪問し、サポートをお願いし、主の与えてくださった重荷についてアッピールします。このアッピールは経済的援助よりも、重荷を共有する事を第一の目的としています。地方教会も宣教師の重荷を共有し、心からサポートできるようになる事が目的です。また、しばしばこの重荷を共有することを通して新たな働き人も起こされるのです。

デピュテーション中の宣教師には保障された給料はなく、交通費も自己負担です。ぜひ、そのことを考慮して、お迎えくださると幸いです。また、可能であれば、宣教地に出かける前からサポート開始をしてくださるようお願いします。というのは、日本もそうですが、宣教師ビザ審査の一つには収入源の保証が必要であり、ある程度のサポートを証明できないと、宣教師ビザの申し込みもできないからです。

私たち夫婦も今から36年前にデピュテーションで多くの米国の教会を訪問しました。困難もありましたが、それをはるかにまさる素晴らしい多くの祝福に恵まれました。何よりも覚えた事は主の備えです。派遣教会も小さく、人間的には何の保証もなかったものの、金銭的には一度も困った事がありませんでした。主は訪問先の先生はじめ、兄弟姉妹を通して絶えず必要を豊かに満たしてくださったのです。日本宣教の重荷に押し出された未熟な私たちにとって貴重な体験となり、その後の日本での働きにおいても大きな励ましともなりました。

新しく遣わされようとしている鈴木しのぶ先生の証もぜひお読みください。先生のデピュテーションがまもなく始まりますので、それが守られ、恵まれるよう、お祈りください。鈴木先生が少しでも早く台湾また東アジアに派遣されるよう、祈りつつお迎えくださると幸いです。

鈴木しのぶ宣教師の諮問会の参加者

1月20日・鈴木しのぶ先生の諮問会の参加者

編集後記

編集担当 谷井 涙賀

BC(ビフォアコロナ:コロナ前)とAC(アフターコロナ:コロナ後)という言葉を最近よく耳にします。BCとACでは、世の中が大きく変化していくことでしょう。海外宣教委員会でも、コロナの影響で以前から懸案事項であったオンライン会議をスタートしました。移動時間がなく、経費も削減でき、大変良い変化だと実感しています。さて、そのような中ACでも変わらないスピリットをお持ちの方が私たちの群れにはいます。それは紛れもなく群れの初代宣教師、ラバン・ラージャス師です。師は、1950年5月5日、エバレン夫人と共に戦後の日本に主の救いを携えて来てくださいました。祖国アメリカを離れて、どんなにか大きな変化を経験されたことでしょう。今年で来日70年。93才になられる今でも日本人を心から愛し、大きなヴィジョンを語り、力強くみことばを語るスピリットは70年前も今も同じです。先日、御代田でお会いした時は、コロナの影響でいつもの力強いハグは御預けとなりました。私も先生のスピリットに倣いACの時代を生きる者でありたいです。最後にこの場をお借りして、「ラージャス先生はじめ宣教師の先生方、日本に来て下さり本当にありがとうございます。」と主にあって感謝申し上げます。

ラージャス先生

ラージャス先生

ラージャス先生

ラージャス先生、エバレン先生

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