関西合同宣教集会より

吉田宣教師ご夫妻をお迎えしての恵み

亀岡BBC牧師夫人 西牟田 栄

西牟田栄先生

香港から先生ご夫妻をお招きする過程において

昨年関西牧師伝道者会で2020年1月に宣教集会を行うと決まりました。亀岡教会が窓口となりました。私たち夫婦は、香港におられる吉田先生ご夫妻にメールや電話をして関西合同宣教集会や関西諸教会訪問についての詳細やプランについて連絡をさせていただきました。

宣教師ご夫妻と直接何度も連絡する機会が与えられたことは恵みでした。宣教クォータリーやレポートに記載されていることをリアルタイムでお聞きすることができたのです。吉田先生は「私の入院中、同室の坂井さんが救われました!祈ってください」淳子先生は「病気も完全にいやされました。わたしも一緒に行きます!」と連絡して下さいました。

淳子先生とは約20年ぶりの再会となり、ご夫妻の来教と交わりを嬉しく思いました。先生ご夫妻が関西合同宣教集会と諸教会訪問をされるにあたり、私たちが窓口となり、宣教師と連絡し合えることはめったにない恵みで「私にできる宣教」でした。

先生ご夫妻の宿泊地として亀岡教会が用いられて

先生ご夫妻は約18日間関西に滞在し、その間、約10日間は亀岡教会に滞在して諸教会へ移動されました。

吉田先生ご夫妻の滞在中、先生達と食卓の交わりの中で、神学校時代を共に過ごした時の様々な記憶がよみがえり、又お互いの子供たちが牧師・宣教師家庭だからこそ経験した恵みや悩みも共有しました。又、神学校に献身者が起こされ海外宣教師が起こされることを共に願いました。

亀岡教会の三階(和室、トイレ、浴室等)は、現在、講師、宣教師の先生方に自由に気兼ねなく滞在していただいています。教会の皆さんは三階が来教される先生方の滞在の場として用いられたらと願っています。これは「亀岡教会ができる宣教」です。

亀岡教会での宣教集会で得たこと

「涙をもって種をまく者は、喜びの声をもって刈り取る。種を携え、涙を流して出ていく者は、束を携え、喜びの手をあげて・・」詩篇126篇5-6節

吉田先生はこのみ言葉を通して、日本伝道・福音のための種まきは種まきの前に土をたがやかさなければならない。種まきの前にたくさんの働きがあり大変です。しかしその働きをしなければ人は救われない。

パウロも中国への宣教師も神様に従うのをやめないで涙を流しながら出て行って喜びの声をあげることができたのです。私たちも少し先しか見えないでどうしてこんな結果になるのだろうと思うことがあります。神様の御心が分かるのに一年、あるいは十年以上かかることも教えて下さいました。

吉田先生のメッセージは教会形成や伝道の働きにおいて慰めをいただきました。「遣わされている所で(イザヤ6章8節)忠実に主の業に励むこと」これが「わたしのできる宣教と伝道」と教えられました。

私と教会ができる宣教

吉田先生は関西合同宣教集会(高槻聖書バプテスト教会安満会堂)でメッセージをして下さいました。私は、私も含めて亀岡教会が宣教師のために祈り献げることができるようにと、チャレンジをいただき淳子先生と共にお祈りをさせていただきました。

私たちの教会は各信徒が献金する宣教約束献金のみで宣教師、神学校、委員会に支援していますが、今年度わずかですがアップすることができました。亀岡教会と私も小さな働きですが、宣教の働きのために祈りささげる業に加わりたいと願います。

最後に、昨年11月より婦人会のみですが、出席を続けて下さっている婦人がおられます。淳子先生は1月の婦人会メッセージの後、その方と交わってくださり、その婦人の土を柔らかくして下さり、翌週救いを受けることができました。現在はコロナ感染予防の為にしている、婦人のライングループ通話での学びに参加し喜んで学んでおられることを主に感謝します。

関西合同宣教集会

関西合同宣教集会の様子

 

主の与えられた大いなる祝福

高槻BBC伝道師  株本 和英

株本和英先生
敬愛なる、諸教会の先生方はじめ、兄姉の皆さまいつも関西諸教会のためにお祈りに覚えて下さり感謝いたします。また、このように証の場を与えてくださいました主をほめたたえます。

さて、1月13日、高槻聖書バプテスト教会の安満会堂において、吉田宣教師ご夫妻をお招きし、宣教報告、証、賛美、「わたしができる宣教」というテーマで、吉田正治師にメッセージを取り次いでいただきました。午前の部では、ヨハネ12章20~26節より。「両足で走る」といタイトルで、午後の部では、申命記15章5~6節より、「この世に課している」というタイトルでメッセージがなされました。

国内外問わず、「宣教」は、教会が正しい歩みをし、成長するために欠かすことのできないものであること。また、教会にとって、「出すこと」聖書的にだすことで祝福となり、「与えること」主の栄光のために手放すことが、クリスチャンの祝福の基本であると宣教を熱く語ってくださいました。

宣教は、一人でできるものではありません。宣教に遣わされる者がいて、宣教の働きを支える教会、兄姉たちの犠牲、祈りがあり、はじめて宣教の働きが成り立つものだと思います。今回の、吉田先生のメッセージを通して宣教の大切さ、必要性を再認識いたしました。

教会によっては、宣教のほかに取り組まなければならない、さまざまな課題があります。老齢化、後継者問題、新たな計画などすべきことが山のようにあると思います。また、教会の大、小に関わらず、教会が宣教に力を入れるということは、大きな犠牲、労力、時間を費やします。しかし、イエス・キリストは、弟子たちに言われました。「そして彼らに言われた、全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。」(マルコ16章15節・口語訳)。これは、大宣教命令です。

わたしたちは、主の僕です。僕は主人の命令に従います。但し、主の命令は、ただの命令ではなく、約束が伴っている命令だということをわたしたちは覚えなければならないのではないでしょうか。(ヨハネ12章26節)

今回の宣教集会は、関西諸教会にとって初の試み(わたしの記憶では)だったと思われます。どのようになるのかさえ、わかりませんでした。しかし、主はメッセージを通し、大いなる祝福、宣教の大切さ、主の命令には、約束が伴っているということを教えてくださいました。

最後になりましたが、イザヤ6章8節を引用し、宣教集会の証を閉じさせていただきます。

「わたしはまた主の言われる声を聞いた、『わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか』。その時わたしは言った、『ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください』。」(イザヤ6章8節・口語訳)

 

関西合同宣教集会

関西合同宣教集会参加者