自ら覆いを被る愚かさを知る

桶川バイブル・バプテスト教会牧師 内島 隆

私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。コリント人への手紙 第二 3章18節

主の御前における私達

ユダヤ教徒たちは、律法を守り行う自分の行いが救いに至る道だと思っていました。ところが、その思いこそが覆いとなり、あろうことか待ち望んでいたはずのキリストを、自らの手で十字架に着けてしまいました。

しかし、同じ罪人である私たちは、決して彼らをとがめることはできません。かつては「神などいない。生命は偶然の産物で進化した。」そう言って、仕事、収入、家庭、教養、健康、運勢など神ならぬものを拠り所として生きる偶像礼拝者でした。神を信じて律法を厳守しようとするユダヤ教徒たち以上に、罪の覆いのうちに閉ざされていました。

そんな私たちのためにも、キリストは人となって世にお生まれになり、その人生に寄り添い、ついに十字架の死と復活をもって私たちの罪を贖い、御国への道を開き、絶望とむなしさの覆いを取り除き新しい命、新しい人生をお与えくださいました。今日その恵は、キリストが父なる神のみもとからお遣わしくださっている神の聖霊によってもたらされています。

こうして私たちは、偶像ではなく真の神を礼拝する者とされ、鏡のように主の栄光を映し、世に向かって大いにイエス・キリストを証しする者とされました。

私の愚かさ

2018年に、ある国の地下教会を訪ねました。宣教師が昇天されて以後、捕縛を恐れることなく無牧の教会を守り続けている彼らの信仰に、励ましを得たいと思っていましたし、彼らは修養会を計画しており、御言葉の御用の依頼も受けておりました。とは言っても私は宣教師ではありません。しかも伝道者としての経験は桶川での12年だけ。加えて日本との通信手段が検閲されているため、あらかじめ打合せをすることが出来ません。現地へ行ってから準備するよりないという、じつに消極的な条件ばかり。しかしその一方で、休暇をとってまで準備をしてきた彼らの姿があっては、到底後ろを向く気にはなれません。宣教師がお使いになっていたデスクをお借りし、恐れつつ祈りつつ御言葉の準備をさせていただきました。

修養会の二日目、御言葉に様々な応答があるなかで、なんと一人の兄弟が献身したのです。夢を見ているのかと思いました。今まで私の働きを介してそんなことを言い出した人は一人もいません。どうしてこんなことが起きたのか、聖書に「これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」とありますように、聖霊なる主が彼をお召しになったからに他なりません。

そもそも私たちが授かっている御言葉には、「行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」とおっしゃるイエス様の御心が伴っているものであって、それを誰かが語るならば、聞き入れたあらゆる国の人々に、神の御業が現れるのは当然ではないでしょうか。

後にコロナ禍によって厳しい移動制限政策がなされる中、地下教会では、献身した兄弟が亡き宣教師が残したテキストを頼りに御言葉を取り次ぎ、教会を守るべく奮闘したそうです。私は「宣教師ではありませんから。」と自ら覆いをかぶっていました。それだけに「主と同じかたちに姿を変えられ」続けなければいけないことを痛感したのです。

福音宣教に励む教会へ

私たち夫婦が宣教地から帰って後、一人の兄弟が宣教地訪問をしたいと申し出ました。そこで、折々励ましを頂いている田村宣教師にお願いして、彼をインドネシアに派遣させていただきました。

帰国後、彼の報告によると、礼拝の折に救いの証をさせていただいたところ、一人の日本人求道者が、彼の証しを聞こうと出張先から飛行機で戻って来たのだそうです。

救いの証、それはイエス・キリストの福音そのものではありませんか。それを語る兄弟はもちろん宣教師ではありません。しかし、求道者に福音をもたらすことは、もとより主の御心です。福音書には、イエス様が行かれると大勢の群衆が集まってきたので、御言葉を語られたと記してあります。私たちはこの方と同じかたちに姿を変えられている過程にあります。そうであれば、兄弟が福音を語り、求道者が求めてやってきたのも、聖霊なる主の働きによることではないでしょうか。宣教師であれ、牧師であれ、信徒であれ、それぞれ与えられた奉仕の働きは違っても、授かっている御言葉と救い、そして御霊は同じです。与えられた御言葉の恵みは、自分だけに留まるものと思ってはいけません。あらゆる国の人々のためにも、主が恵みをもって私たちに託してくださっているのです。

これを機に私達は、通常の祈祷会とは別に宣教祈祷会を設け、宣教地から届けられる報告や、宣教地訪問によって得た情報を頼りに、国内外の宣教を覚えて定期的に祈ることを開始しました。

展望

昨年の桶川教会のクリスマス集会に、8名の新来会者と6名の再来者がありました。こんなことは今までになかったことで、身近にも求めている人々がいることを示されるクリスマスとなりました。

この2023年も私たちは福音宣教の働きに励み、再び覆いを被ることなく鏡のように主の栄光を映すものとして、聖霊なる主の御業にあずかり続けたいと思います。