宣教師の召しの恵み

日本派遣宣教師 バーゲット・ヨナタン

私は、昨年の8月に宣教師としてアメリカから来日したヨナタン・バーゲットです。私は主が私たちを日本への宣教師として召して下さったことを確信しています。しかし、そこに至るまでには2年程かかりました。その間、主は様々なことを通してこの召しを明確にして下さいました。今回はそのことについてこの紙面に書こうと思います。

最初の出来事は、私の救いです。子供の頃に救いの決心をしましたが、長い間そのことについて悩み続けていました。やっと明確に救いの決心ができたのは25歳になってからでした。その後、主はすぐに私の人生に働きかけて下さるようになりました。主によって変えられた私は、それから教会の奉仕にも加わるようになりました。

二番目の大きな出来事は、3ヵ月の日本滞在です。家族と共に3ヵ月ほど来日する機会が与えられました。アガペ聖書バプテスト教会のスタンフォード師ご家族の留守中の手伝いをするために来日したのですが、なんと職場が与えられ、結果的に「給料付きの短期宣教旅行」になったのです。この経緯の全ては奇跡としか言いようがありませんでした。
本当に楽しい3ヵ月でした。妻のタビーは、主が私たちを日本に宣教師として召して下さると確信していました。実は彼女は、結婚する前から私たちが日本へ遣わされる確信があったのです。
しかし、私自身はまだ主が私たちを日本に導いているとは思っていませんでした。ですが、主はなぜこのような宣教旅行をお許しになったのか疑問が浮かびました。刺激と冒険に満ちた旅でしたが、主がこのようなことを許して下さった理由について思いを巡らせていました。そのような中、公園に出かけ、池を見下ろすベンチに座り、聖書を読みました。イザヤ書6章を通し、神がどれほど偉大なお方であるのかを思い出させられました。偉大なお方だからこそ、人生の一部ではなく、その全てをお捧げすべきだということを改めて示されました。 そして、たとえそれが宣教の働きだとしても、主の御旨を何でも行おうと決意し、主に献身しました。
三番目の出来事は、宣教師として主にお仕えするように召されたことです。これという体験や聖書箇所は特に覚えていませんが、御言葉のメッセージと特別賛美を通して宣教師への導きが示されました。

四番目の出来事は、宣教師として具体的にどこへ行くかを主に求めた時のことです。宣教師として召されたことは明確でしたが、どこに遣わして下さるのかを祈っていました。個人的には日本に帰りたかったのですが、自分の思いではなく、主の明確な導きを求めました。主が私をどこへ導かれるのか、1ヵ月間祈り求めることにしました。
主は日本宣教について、小預言書の聖書通読を通して私の心に働きかけて下さいました。オバデヤ書1章からは、(他国人も皆共通ですが)日本人の心にある高慢さと、来たるべき主の裁きについて考えさせられました。 ヨナ書1章では、困っている未信者が偶像に助けを叫び求め、真の神を知らずに生きているのを見て、『多くの日本人も同じだ』と日本を思い出させられました。 ヨナ書3章においては、主がニネベの12万人に御言葉を与えたことを通して、福音を未だ聞いていない新潟市の80万人の必要について考えさせられました。ハバクク書2章では、日本人は偶像に祈っているが、本当は主の真実な御言葉を必要としていることを示されました。 ゼパニヤ書1~2章では、主がいかに赦しを与え、あわれみを示そうとしておられるのか、そして、その「時」は今ではないか、と気づかされました。
また、主は日常生活の様々な出来事をも用いて、日本への導きを示して下さいました。 仕事に向かっていたある日、橋を渡っている時に日本を思い出させるような匂いがしました。それまでに何百回もその橋を渡っていましたが、今までそう感じたことはありませんでした。主は他にも様々なことを通して、日本へと導いて下さいました。一ヶ月間の祈りの後、主の様々なお働きを通して、主が私たちを日本に宣教師として導いておられることを確信しました。

私は主の召しを心から感謝しています。今後、主が私たちをどのように用いて下さるのか楽しみです。私たちのために祈って頂けると感謝です。今回このような証の機会を与えて下さり、本当にありがとうございました。主がこの証を用いて下さるよう心からお祈りしています。