宣教地の実

ビンジェイBC

ダニエル・マナル

 

こんにちは、私の名前はダニエル・スパルマン・マナルです。普段はダニエルと呼ばれています。私は3人兄弟の2番目で、姉はクリスティン、弟がアブラムです。父はコロセ・マナル、母はシルナ・シトゥモランです。

私は自動車関係の教師として働いています。私はとても特別な家庭に生まれました。クリスチャンの家庭に生まれ、父は神のしもべであり、インドネシア単立バプテスト・ビンジェイ教会の牧師でもあります。

神のしもべの家族に生まれたからといって、私の救いが決まるわけではありません。私も罪人・人間であり、この世で多くの試練や誘惑に直面するからです。神のしもべの子どもであることは、多くの人から見られ、神のしもべの子どもとして完璧さを求められるため、とても難しい子ども時代をすごしました。

私は子供の頃、友達が自由に行動しているのがうらやましく、また、いつでもどこでも自由に行動できるのがうらやましかったのです。それで親に反抗し、神のしもべであるはずの自分も、自由にできず、強制的に奉仕させられているように思えて、奉仕することも嫌になったものでした。

しかし、10代の時に私の人生は自分だけのものではなく、神のものであることを悟り、神にゆだねる決心をし、バプテスマを受けました。それ以来、両親の指導により、神のために生きることの大切さをより理解するようになりました。

大学を卒業しようとした時、神様が「収穫は多いが、働き手は少ない」(ルカ10:2-3)と言われたので、神のしもべとなるように召されたと感じました。卒業後、神様に祈り、神のしもべとして用いられることを願って、現在メダンで神学修士を目指し、父と広瀬牧師から聖書学を学んでいます。どこかで開拓伝道に携わりたいと神さまに祈りましたが、父が病気になり、ビンジェイでの奉仕に責任を感じるようになりました。

これからの歩みのためにお祈りいただければ幸いです。私の証が、信仰の兄弟姉妹のモチベーションになることを願っています。ありがとうございました!

スラバヤ南BC

上野直子

 

インドネシアに移住して今年で25年が経ちました。四半世紀でこの国は大きく変化し、移住当時は独裁的とも呼べる政府体制でしたが、今や東南アジアを代表する経済国に成長しました。

1996年に私は、インドネシア国籍である夫と知り合い、翌年、夫がカトリックである事からカトリック教会でカテキズムを学び洗礼を受けた後インドネシアで結婚しました。その当時は、聖書に書かれている事は信頼できるのか否かとまだ検証段階であり、丁度パリサイ人や 律法学者がイエス様のメシア性を検証するような不信仰な姿勢でした。その後長男、次男に恵まれた後、2004年からスラバヤ市で勤務を始め、インドネシア人の先輩の勧めで日本から牧師先生が来るからと家庭集会に招かれ訪れる様になりました。そこでは、聖書の学びを字義通りに行い、今まで現地のカトリック教会で明確でなかった部分が理解できる様になり、何度か通ううちに個人伝道を通して信仰告白に導かれました。その時分からカトリック教会からは距離を置く様になり、カトリック以外の教会で礼拝を捧げるようになりました。数年が経ちスラバヤ南で宣教されている田村先生と出会い、その教会で月に2度ほど礼拝を捧げる様になりました。田村先生はインドネシア語でメッセージをされていますが、私が来る様になってから日本語とのバイリンガルでメッセージしてくださる様になりました。更に大きな霊的祝福の促進剤となったのは、田村先生による個人的な聖書の学びです。不思議な事に御言葉の知識を積み上げていくごとに霊的にも促され、生活は神様だけを信頼する歩みに変えられて行きました。

2019年12月の聖書の学びで、バプテスマについての講義を受けていた際に、田村先生からバプテスマを受ける決心はあるか否かを問われました。私は長い間、自らの意志でバプテスマを拒んでいました。それは婚姻の際に既にカトリック教会で滴礼を受けていた事、また信仰告白により聖霊が内住しているため象徴的な儀式であるバプテスマは必要ないと自分勝手に判断していたからでした。しかし、聖霊は私を導いて下さり学びを継続する中でバプテスマを受けていない事が私の霊的バランスを崩すような感覚を覚える様になりました。

その理由は、①イエス様が公生涯を開始する前にバプテスマを受け従順を示された事から、その従順に倣いたい気持ちが生まれた事。②新約聖書でバプテスマを受けた信者は全て信仰によりイエス様を受け入れ救われた後にバプテスマを受けている為、カトリックの滴礼はイエス様を受け入れる確信がないまま受けたので無意味であった事。③本来、バプテスマの方法は浸礼である為、滴礼は受浸を示した事にならない事。④キリストの体としての教会の一部として用いられたい願いがあった事が挙げられます。私は、御言葉の教えと聖霊に押され導かれる様な感覚でバプテスマの決心を田村先生に伝えました。

2020年は、コロナ感染が拡大した年で3月にバプテスマ式の予定を頂いたのにも関わらず延期が続きました。しかし、その期間に神と向き合う祝福の時間が与えられ、2022年の2月についにバプテスマを受ける事が出来ました。受浸した後、教会の一部としての働きが可能となる事に感謝すると共に、以前より執り成しの祈りを捧げる機会が多くなりました。そして何よりも霊的バランスが取れる様になり霊肉ともに喜びで満ち溢れています。振り返れば、今日まで神様は長い時間をかけて、無力で無知な私を支え、失敗を通して心を砕いてくださり、ご自分のもとに導いてくださっていた事に気づかされました。神様に感謝してもしきれない気持ちで一杯です。これからも神様の愛に応答する歩みを続けて行きたいと願っています。