宣教における独身女性宣教師の役割

海外宣教委員長 バーゲット・マイケル

バーゲット先生

聖書において

まず聖書において「宣教師」の役職名が用いられていませんので、「独身女性宣教師」の役職名ももちろん用いられていません。しかし、使徒パウロが使徒の働きにおいて宣教師として活躍したことを否定する方はいないと思います。アンテオケ教会から宣教師として派遣された使徒パウロは、決して一人で宣教の働きをしていたのではなく、絶えず多くの同労者と共に宣教に励んでいました。その同労者の中には女性の方々も少なからずいました。ローマ16章では、パウロは少なくても6名(フィベ、プリスカ、マリヤ、ユニアス、ツルパナ、ペルシス)を女性同労者と呼び、その働きに感謝を述べています。ここから使徒パウロが宣教活動において女性同労者をも多いに用いていたと考えられます。もちろん、これらの女性同労者は指導的立場をとることはなく、主によって女性として許される範囲で宣教の働きに仕えていたのです。

世界宣教の歴史において

世界宣教の歴史を見ても、多くの独身女性宣教師の働きを見ることができます。よく知られた女性宣教師として、マリー・スレッサー(ナイジェリアへの宣教師)、エミー・カーマイケル(インドへの宣教師)、エリザベス・エリオットとレイチェル・セイント(エクワドールのワオダニ部族への宣教師)などが思い浮かびます。統計上、宣教師の四分の一ほどが独身女性宣教師であるとも言われています。
もっと身近なところでは米国フェロシップの初代宣教委員長のダネルソン先生は、スウィート婦人宣教師(未亡人)の証により、中国宣教への重荷が与えられ、主の召しを確信し、米国での牧会を退かれて中国宣教に出かけました。スウィート婦人宣教師と他に二人の独身女性宣教師が中国の上海に戻り、ダネルソン先生ご家族の来中の時を待っていました。待ちながら、彼らは以前から始めていたセントラルバプテスト教会での奉仕で主に仕え、ダネルソン師が上海に来られた後も同師と共に主の働きに励みました。
その後、共産党によって中国から退去させられたダネルソン先生は、米国フェロシップの初代宣教委員長となりました。BBFI創立初期から独身女性宣教師が世界宣教の働きに送り出され、現在も、米国の諸教会から20名ほどの独身女性宣教師が送り出されています。幸いにも現在、その内の2名の先生が日本宣教で働いておられます。

日本宣教において

独身女性宣教師の働きは日本宣教においても数多く見られます。フェロシップと関わりのある先生達としては、ルイーズ・メーヨー先生、グレナー・リッテル先生、マーサ・カクラン先生、ルツ・キング先生、デニーン・エイカーズ先生などをあげることができます。また、クララ先生もマーズデン先生の召された後、宣教師として独りで再び来日され、滝山BBCで(ラジャス先生と結婚するまで)活躍されていました。
さらに、国内宣教活動に関わられた独身女性伝道師も多数おられました。代表的な先生として、清水の辻昌先生熊谷の横田啓子先生、調布の辻恵先生などをあげることができます。今もフェロシップの諸教会では実に多くの独身女性伝道師とさらに女性伝道師が活躍し続けておられます。非常に乱暴な言い方をすれば、独身女性宣教師は独身女性伝道師の海外版です。これまで私たちが身近で見てきたお働きを海外で行うのです。
これらの独身女性宣教師や独身女性伝道師たちは決して指導権を握ることをせずに、女性伝道、児童伝道、宣教の様々な分野において励み、豊かに主に用いられてきました。彼女達の主へのご奉仕を本当に感謝いたします。

独身女性宣教師のお働きの特質

確かに、独身女性宣教師は説教や牧会など、できないことは少なからずありますが、他に多くのことができるのです。イエス様の時代からそうであったと思いますが、教会には女性たち、子どもたちが多く集います。そのような中での働き場が数多くあるのです。むしろ男性にはない賜物を多く与えられており、女性や児童に伝道し導くのには、男性以上に適任であるともいえます。

鈴木しのぶ宣教師のこと

鈴木先生がが台湾と東アジアに一日も早く出発できるように共にお祈りください。また、先生のお働きへの宣教献金についてお祈りくだされば幸いです。主が先生を豊かに用いてくださることを期待しつつ、皆で応援していきましょう。