そこにも福音を知らせよう

大分聖書バプテスト教会牧師 中畑 道章

「イエスは彼らに言われた。『さあ、近くにある別の町や村へ行こう。わたしはそこでも福音を伝えよう。そのために、わたしは出て来たのだから。』」マルコの福音書 1章38節

私たちの歩みは、ダメージが大きいためでしょうか、喜びよりも悲しみの方が多く、やがて悲しみのうちに歩みを終えざるを得ない、と思われる現実があります。しかし、イエス様がこの世においでになられたことは、私たちに大きな喜びをもたらしました。

福音がもたらすもの

預言者イザヤは、救い主を下記のように預言しました。

「傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともなく、真実をもってさばきを執り行う。衰えず、くじけることなく、ついには地にさばきを確立する。島々もそのおしえを待ち望む。」(イザヤ42:3-4)

やがておいでになる救い主イエス様は、苦しんでいるものを慰め、悲しみに寄り添い、回復をもたらして下さいます。折れて朽ちていく葦のような失敗した者を、見捨てることなく、手を添えて立ち直りを助けて下さり、油が切れて消えかけたランプのようなものに、尽きることのない油を注いで、再び輝かせ、周囲に喜びをもたらす存在に整えて下さいます。救い主イエス様は、私たちの苦悩の原因である罪を除去し、神さまとの交わりを回復してくださいます。そのために十字架上での死を遂げ、三日目に復活なさいます。この福音を世界の人々が待ち望んでいます。

世界宣教

この責任を果たされるイエス様の姿をマルコは次のように記しています。

「イエスは彼らに言われた。『さあ、近くにある別の町や村へ行こう。わたしはそこでも福音を伝えよう。そのために、わたしは出て来たのだから。』」(マルコ1:38)

前日の権威ある教えと奇跡で、イエス様の評判は町中に広まり、今日もまた、朝早くから人々は押し寄せてきます。大勢の人々が押しかけている中、福音を伝える良いチャンスと思われたのに、イエス様は、そこを去って、さらに福音を伝えようと、別の町、村に出かけられました。福音は、すべての人々に必要とされています。私たちの働きの場所は、福音を待っている所です。十字架の死と復活をもって切り開かれたイエス様の救いを、多くの人々に告げ知らせることが、私たちの働きです。約3年半のイエス様の伝道活動は、ほぼイスラエルの地でしたが、その後に継承される世界宣教の事業を、イエス様は、教会に託されました。

伝道の原動力

では、救われた私たちを伝道活動に駆り立てる原動力は、何でしょうか。それは「喜び」でしょう。「救われた喜び」「いやされた喜び」「神様に愛されている喜び」「祈りに応えられた喜び」です。

アンデレは、救い主イエス様にお会いした「喜び」を兄ペテロに告げます(ヨハネ1章)。サマリヤの女性は、「喜び」を町の人々に告げます(ヨハネ4章)。シロアムの地でいやされた盲人は、「開いた目の喜び」を人々に見せます(ヨハネ9章)。生まれつき足のなえた男性は、周囲の人々に歩いたり、はねたりし、神を賛美する姿を見せます(使徒の働き3章)。そしてパウロは「キリストの愛が私たちを取り囲んでいる喜び」を証しします(Ⅱコリント5章)。いずれも、自分自身に起こった「喜びと変化」を周囲に示しました。信仰の生きた喜びが原動力です。

福音の進展

この喜びの福音は、どのように進展していくのでしょうか。まず自分の周囲です。次に周囲の人々から少し離れた人々に。さらに遠隔地に住む人々に、教会は、証しの兄姉を派遣してきました。更に、派遣した宣教師の周囲の人々へと進展しています。

「そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」(使徒の働き1章)。

最後に、復活されたイエス様は、「平安があなたがたにあるように。父が私を遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」(ヨハネ20:21)とおっしゃいました。

救われた私たちは、尊い使命を受けています。この喜びの福音を何とか知らせたい。それが神様から託された使命ですから、福音を伝えます。周囲の人々にも、遠隔地の人々にも、そして遠くの国々の人々にも、です。

「行きて告げよあまねく いずこの民にも 心をば変えて 新たにせよと 新たにせよと 暗き闇もしばし 義の日なるイエスの 輝き世を照らす 明日は近し」(聖歌総合版551番)

大分聖書バプテスト教会の証し

まだ余白がありますので、当教会の沿革を通して、神様のお恵みを証します。

大分聖書バプテスト教会は、米国のバプテスト教会の「そこにも福音を知らせよう」の使命感のもとハウエル宣教師ご家族を大分に派遣して、産声をあげました。現牧師が牧会を引き継いだ時、当教会は大分市のほぼ中心地で伝道していましたが、借家であり建物を自由に改造し使用したい、という思いから、大分市のベッドタウンに移転し、その地を中心に伝道しました。中古の建物でしたが、米国BBCから借りたお金、前米国婦人宣教師の献金、教会員の献金で自分たちの教会を持ちました。大工出身のハウエル宣教師が中心になり、牧師と教会員がお手伝いする方法で、少し建て増しもしました。諸教会の先生をお招きし、伝道集会を何度も行いました。諸先生には、大変お世話になりました。

神様が備えてくださる

中古の建物でしたので、年々、痛みが激しくなり、台風の時は、横殴りの雨で壁から雨水がしみだしてきました。教会員も増えてきました。新築の教会を、もっと広い土地を、次の福音を伝える場所を求める祈りを兄姉と共に励みました。「売地がある」という情報を得ると見に行きました。何件も何件も探しました。

神様は不思議な方法で、未信者の地主兼建築業者を備えて下さいました。郊外の集落です。車で走るとまもなく、旧郡町です。教会員で積み蓄えた会堂献金、兄姉たちの個人的献金、前会堂の売却金、それでも不足していた金額は、未信者の建築業者が貸して下さいました。驚きました。神様のお働きです。隣接する旧郡町にも福音を伝えています。

現在地の野津原は、昔、戦国大名加藤清正の飛び地です。その影響で、高齢者を中心に、今も清正を尊び拝む偶像の強い町です。この神様が備えて下さった地、野津原を中心に、まことの光を照らし続けています。

「闇の中を歩んでいた民は、大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く。」(イザヤ9:2)