「デピュテーション」って?

海外宣教委員長 マイケル・バーゲット

「デピュテーション」とは一般的に聞きなれない言葉ですが、どういう意味でしょうか。海外宣教委員会発行の宣教ハンドプックには次のようにあります。「デピュテーションとは宣教師が自分の召命と宣教地への重荷を示すため、母国の諸教会を廻って歩く旅行に関する表現である。」さらに「その目的は宣教地での働きのため、神の民の祈りと経済的援助を求める事にある。成功する時、宣教師の召命の実現のみならず、地方教会もまた大命令を実行する事が可能になり、その結果、地方教会の働きに対する神の祝福が与えられる。」と記されています。

この言葉は英語の deputation から来ています。また、それは deputize(代理に任命する)から来ています。すなわち、デピュテーションとは派遣教会はもちろん、サポートする諸教会も宣教師を自分たちの代理として宣教地に任命される事から使われるようになったようです。

そのような訳で、デピュテーション中の宣教師は宣教地に遣わされる前に金銭的なサポートと祈りのサポートを募ります。金銭的サポートは重要ですが、祈りのサポートもそれ以上に重要です。宣教師が地方教会を訪問し、サポートをお願いし、主の与えてくださった重荷についてアッピールします。このアッピールは経済的援助よりも、重荷を共有する事を第一の目的としています。地方教会も宣教師の重荷を共有し、心からサポートできるようになる事が目的です。また、しばしばこの重荷を共有することを通して新たな働き人も起こされるのです。

デピュテーション中の宣教師には保障された給料はなく、交通費も自己負担です。ぜひ、そのことを考慮して、お迎えくださると幸いです。また、可能であれば、宣教地に出かける前からサポート開始をしてくださるようお願いします。というのは、日本もそうですが、宣教師ビザ審査の一つには収入源の保証が必要であり、ある程度のサポートを証明できないと、宣教師ビザの申し込みもできないからです。

私たち夫婦も今から36年前にデピュテーションで多くの米国の教会を訪問しました。困難もありましたが、それをはるかにまさる素晴らしい多くの祝福に恵まれました。何よりも覚えた事は主の備えです。派遣教会も小さく、人間的には何の保証もなかったものの、金銭的には一度も困った事がありませんでした。主は訪問先の先生はじめ、兄弟姉妹を通して絶えず必要を豊かに満たしてくださったのです。日本宣教の重荷に押し出された未熟な私たちにとって貴重な体験となり、その後の日本での働きにおいても大きな励ましともなりました。

新しく遣わされようとしている鈴木しのぶ先生の証もぜひお読みください。先生のデピュテーションがまもなく始まりますので、それが守られ、恵まれるよう、お祈りください。鈴木先生が少しでも早く台湾また東アジアに派遣されるよう、祈りつつお迎えくださると幸いです。

鈴木しのぶ宣教師の諮問会の参加者

1月20日・鈴木しのぶ先生の諮問会の参加者