エレン宣教師の証

高槻BBC牧師 ジョージ・ヘンリー・キング

エレンは、ニューヨーク市に非常に近い勤勉なオランダ移民家族で育ちました。父は建築家でした。家族は教会で育ち、毎日聖書を読み、聖書の教えを実践する事を心掛けていました。父親が連れて行った青年集会で福音を聞き救われ、高校時代に宣教師の召を受け、ジャングルで宣教師になることができるようにと看護学校に進みました。しかし、看護師として数年働いた後、宣教師になるために必要なさらなる訓練のために神学校に行きました。神学校でジョージ・キングと出会い、1年後に結婚しました。二人で神学校の訓練を終え、カンザスで開拓伝道を手伝うように頼まれました。二人で3年間開拓伝道に携わりました。2人の子供に恵まれ、人生の重要な部分である子育て、主の訓戒に忠実に歩む子供を育てる事が目標でした。キングは教会や伝道活動で不在がちのため、子育ての大部分はエレンの肩にかかりました。子供たちはどちらも病気気味で、息子は生後1か月で生命の危機に陥りました。

日本宣教

1961年に3歳以下の2人の子供を連れて来日しました。夫妻で日本語を学び、素晴らしい日本人女性が子供たちの世話を手伝ってくれました。横浜教会で足踏みオルガンを弾くことを学び、日本人司会者との連携を学びました。牧師婦人はカウンセリングに専念できるようにエレンはオルガンを弾きました。奏楽を続け、日本人奏楽者や牧師婦人の育成にも励みました。バプテスト女子聖書神学院でも女性伝道者として必要なことを教えました。天国に行く4ヶ月前まで奏楽の奉仕をする事が出来ました。
甲子園、小豆島、枚方、茨木、高槻、稲毛の伝道で奏楽、アルトを歌い、女性伝道と子供伝道に熱心に取り組みました。ラジャース宣教師夫妻、山宮先生ご夫妻、パイエット宣教師ご夫妻、岡戸ご家族、奥村夫人、當麻先生ご夫妻、近松先生ご家族、上田先生ご家族、西牟田先生ご家族、バーリ宣教師ご夫妻、藤本先生ご家族、大越ご夫妻、森先生ご夫妻、堀川師、青山さん、大原先生ご夫妻、株本ご家族との伝道活動は素晴らしい宝物でした。大切な人を見逃しているでしょう。歯に絹を着せない言葉で、ときには厳しいと指摘されましたが、日本人と一緒に主に仕えた人々を愛していました。

次の世代への教え

25年間関節炎を患って、動き回ることが非常に困難でしたが、タフな性格で、この身体的困難に決して負けませんでした。7年間、アルツハイマーを患っていましたが、89歳までピアノを弾き続け、89歳までイエスを証し、86歳まで訪問伝道とチラシ配り、母鶏のように教会の人々を迎えました。神はこれらの恐ろしい病気を使って多くの人をイエスに導きました。次の世代に多くのことを教えてくださいましたが、その内3つのことが目立ちました。
1. 特に困難な時期や困難な人々について祈る。
他の人と話したり不平を言ったりせずに、祈りで神の導きを求める大切さ。(ピリピ4:6)
2. 困難な時代の喜び。
やってくる試練や直面しなければならない困難を選ぶことはできませんが、それらにどのように対応するかは自分で決める事ができます。「主の喜びは私たちの力である」ネヘミヤ8:10と書かれているので喜びを選ぶように教えました。最後の日々は、聖書と賛美に囲まれて日本で過ごしました。訪問やお祈りをしてくださった方々に心より感謝申し上げます。
3. すべてのことで聖書に忠実であるように、特にイエスの死と復活を伝える事に熱心でした。(箴言3:5-6 )
最大の喜びは、次の世代が続けて信仰にたち、主に仕えることでした。日本人女性が奏楽者、牧師夫人、クリスチャンナース、CS教師やクリスチャン子育てママさんになるのを心から願っていました。残された私たちも最後まで主に忠実でありたいです。