インドネシア宣教の軌跡

1974年、佐倉聖書バプテスト教会牧師であり宣教委員でもあった入江一義師は、インドネシア宣教への召しを受け、語学学習と諸教会への訪問を開始されました。翌75年にビザを申請し、7か月後の76年5月にインドネシアへ出発。バンドンで宣教を開始し、語学学校でインドネシア語を学びながら働きを進めていきました。

当初は、複雑な移住手続きや生活環境、家族の病気や文化の違いなど、多くの困難に直面します。しかし、諸教会は祈りと献金、献品をもってインドネシア宣教を支え続け、宣教の働きは守られ、77年には大学の日本語学科で教鞭を執りながら福音を伝え、ますます活発に伝道活動が展開していきます。そして、78年には北スマトラ・メダンへの導きを受け移住。同年7月、メダンで最初の集会が開かれ、現在に至るメダン伝道の礎が築かれていきました。

その歩みの中では、三女ルツさんが重い病にかかり、日本で治療を受けることになりました。入江師夫妻は愛する娘を日本に残して宣教地へ戻ることとなりました。そして、82年に3歳で主のもとへ召されるという大きな試練を経験されますが、この出来事は諸教会に宣教の尊さと犠牲の重みを深く示すものとなりました。
79年には現地神学校が開校し、伝道旅行や開拓伝道も活発に行われるようになり、受浸者も次々に与えられ、教会形成が進展していきます。その中で、宣教基地(神学校と宣教師館の将来の用地) が熱心に捜し求められ始めたのもこの頃のことで、同年には宣教基地となる土地が与えられることとなります。
80年代後半から90年代初頭にかけては、86年のスハルト第五次政権発足以来、10年以上の滞在者へのビザ打ち切りが徹底され、他の宣教団体の日本人宣教師の殆どが引き上げさせられたり、地域住民からの反対、施設問題など数々の困難がありましたが、主の哀れみと恵により様々な形を通して入江師のインドネシア宣教は続けて前進し、メンテン教会、バプテスト学園、ケサワン教会、シアンタール伝道所、そして神学校校舎と宣教師館の建設が完成するなど多くの主の御業が現されました。更に田村師、広瀬師がインドネシア宣教に加わるという奇跡も主は起こして下さり、インドネシア宣教は大きく発展していったのでした。また、現地からも献身者が多数起こされ、インドネシア人リーダー育成の実りが結ばれていくようにもなりました。
また、近年では宣教基地の近隣の人たちに日本語を教える形を通しての伝道活動や地域の子どもたちのための活動をビジョンに掲げたり、最後までインドネシア宣教のために祈り、人々の救いのために人生を捧げてこられました。そして、今年2026年3月に、その働きを現地の働き人に引き継ぎ退任することとなりました。

このように、約50年にわたる入江一義師・博子師夫妻の尊い宣教の歩みは、多くの魂の救いと教会形成、そして次世代の宣教師育成へとつながる大きな祝福となりました。その働きの背後には、主の豊かな導きと、祈りをもって支え続けた日本の諸教会の存在があります。私たちは、入江宣教師ご夫妻の長年にわたる忠実なご奉仕に心から感謝し、主の御名を心から崇めます。




