2025年・7月号2025-07-17T14:48:31+09:00

宣教クォータリー

2025年 7月号

 

パンを水の上に投げよ

アガペ聖書バプテスト教会宣教師 バーゲット ヨナタン

「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。」伝道者の書11章1節

投資に対して100%の利益が保証されていたら、投資しますか?利益がそれよりさらに高額だったら、どうしますか?おそらく、もっと投資できるお金さえあればと残念がるかもしれない。

パンを水の上に投げると、いつかは戻ってきます。水の上にパンを投げるというのは、私たちには奇妙に聞こえるでしょう。伝道者の書の書かれた当時、水上には何があったでしょうか?貨物船です。見返しを期待してパン(穀物だろう)を船で輸送されることを描いているのでしょう。

穀物を輸送する時は今だ。今のうちに。あまり長く待つと、チャンスを逃してしまう。未来はあまりにも不確かだ。いつ病気になるか、いつ失業するか、誰にもわからない。次の地震がいつおこるのか、愛するあの人がいつ死ぬかもわからない。この説教を最後まで読めるかさえもわからないのだ。人生はもろく、一瞬にして大きく変わってしまうこともありえます。

しかし、ひとつ確かなことがあるのです。主のお働きのために献げるとき、主はそれを必ず報いてくださるのです。神の御約束は確かなのでそう確信します。神は私たちのすべての働きを注意深く見ておられ、それに応じて私たちを報いてくださいます。

心細くなるかもしれない

聖書の時代には、電話もインターネットもなく、迅速にコミュニケーションする手段がなかった。そんな中の王様のことを想像してください。物資を満載した船を送り出したが、毎年毎年、待てど暮らせど、なんの見返りもないままです。

そのような中、きっと次のように悩むこともあるでしょう。「あんなに穀物を一杯輸送するんじゃなかった。愚かだった。何の見返りもない。すべてが無駄だった。なんでこんなことをしたのか。」等と。

初めて船が戻ってきたとき、王様はさぞ嬉しかったに違いない。2歴代誌9章21節によると、ソロモンは船を出し、3年の長い年月を経てようやく船が戻ってきたと記されてある。聖書によれば、船は金、銀、象牙、猿、孔雀を積んで帰ってきたというのです。やっと、輸送の見返りを得たのです。

しかし、船が戻ってくるのを待っているうちに、落胆するかもしれません。毎年毎年、パンを水に投げ続けても、何の結果も見出せないとき、落胆のあまり、水にパンを投げるのをやめてしまうこともあり得ます。しかし、いつか船が戻り、見返りが得るのを期待して続けなければなりません。手にする前では十分にその素晴らしさを理解できないかもしれません。でも船が戻るとき、私たちが水の上にパンを投げ続けたことを心から喜ぶことになります。

宣教師から学ぶ

初めてこの聖句を見たとき、どういう意味だろうと思いました。聖書通読ではなく、広瀬宣教師のカード上で初めてこの聖句に気付かされたのです。先生はなぜこの聖句を用いたのだろうかと思ったが、先生が神の言わんとすることを理解していいたのです。

広瀬先生は自らが水の上に投げたパンのように遣わされたら、いつかさらなる報いを主から受けられることをちゃんと理解していました。先生は自分の人生をインドネシア宣教のために献げました。そこで35年間、福音宣教に励んでこられました。人生を無駄にしたと思う人もいたかもしれません。しかし、救いに預かった多くの魂を考えてみてください。なんと素晴らしい報いでしょう。多くのインドネシア人が地獄の裁きから救われ、永遠の命に預かったのです。神の与えてくださる報いは永遠の報いです。

最近、息子のテトスをブラジルに連れて行きました。息子は3ヶ月の宣教旅行のためにブラジルに行ったのです。そこで75歳の宣教師のお手伝いをします。この宣教師は40年以上もブラジル宣教に励んできました。彼は「水の上にパンを投げる」ことを今もやめようとはしません。新しいことに挑戦することを恐れないので、テント集会を始めたのです。ブラジルで失われた、滅びに向かっていく人々のために命を献げ続けているのです。息子のテトスがこのような宣教師と共に働けることを感謝します。

広瀬先生をはじめとする多くの宣教師たちは、宣教に命を献げ続けています。一人でも多くの魂がキリストを信じることを切に願っているのです。何年経っても、主が導かれるのであればどこへでも喜んで行きます。このような先生方の模範に倣おうとする他の兄姉の献身者が必要です。世の人々の救いのために自らの命を献げることを厭わない献身者たちです。これこそが、世界の果にまで主の福音をお伝えする唯一の手段です。

パンを水に投げる3つの方法

1・命を主に献げること。

自ら命のパンを持って宣教地に出かけていくことです。「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」(ヨハネ15:13)とイエスは述べられました。

2・献金を主に献げる。

海上輸送にはお金がかかる。船員には給料が必要です。宣教献金を通して宣教師を支援し、他の人々に福音のパンを届けるお手伝いができるのです。

3・祈ること。

祈りによって誰もが宣教に関わることができます。宣教には祈りは最も重要です。天候を支配する主は、船の航行を助け、守ってくださるのです。

手遅れになるうちに、日本や海外の失われた魂のために、心を込めて出かけ、献げ、祈ろうではありませんか。

メキシコシティからブラジルのサンパウロへのフライトを待っていた間のことです。空港の職員が仲間と朝食を食べていた。空港の食事は決して安くはありませんが、この人はトルティーヤ(メキシコのパン)の切れ端をハトに投げて与えていました。やがてそのニュースが広がり、1羽が2羽になり、最終的には6羽までとなったのです。この人は自分のパンの一部を喜んで鳥たちに与えていたのです。命のパンであるキリストを、私たちはどんなにか喜びとし、周りの人々に伝えるべきかと考えさせられたのです。時間があるうちに、他の人々に良い知らせを伝えましょう。その知らせは伝わり、主はその努力を益々豊かに祝福するに違いありません。

報いを与えてくださるという神の御約束を思い出してください。神がこの地上において報いてくださることもありますし、天において報いてくださることもあります。落胆してはいけません。パンを水の上に投げることを続けましょう。まだパンを水の上に投げていないのであれば、今日から早速始めてみてください。必ず主はその働きを報いてくださいます。

宣教地の実

キリストの教会を心から敬いつつ

タビタ・スタバッ単立バプテスト教会牧師  P.シトメアン

二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。 マタイ18:20
五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。使徒2:1

私たちは2001年に救われ、ビンジェイ教会でバプテスマを受け、私は養豚業、妻はビンジェイ教会付属幼稚園の奉仕、という教会生活を送っていました。

2009年4月から、広瀬師夫妻はスタバッ町で借りた集会用の部屋での日曜礼拝を始め、私と妻はこの奉仕に参加しました。

2011年に主の助けにより伝道所用の土地が与えられ、2014年に会堂建設。その後、私たち夫婦はフルタイム奉仕の神からの召しを受け、私は養豚業を辞め、2014年8月に新会堂に移り住みました。主の不思議な導きと助けによって、日々の必要は満たされ、今日に至るまで働きが続けられています。主のみ名を賛美します。

さて、このスタバッ伝道所会堂の行政上の建築許可は、子どもの養護施設として申請し、受理されました。この地域は他宗教の影響力が強く、キリスト教の会堂としては建築許可が実質的に下りません。またこの地域には、貧困や離婚などが要因と思われる、育児への無関心な親を持つ子どもたちが多くいたのです。実際この頃の日曜学校に来ている子どもたちは、皆家庭に事情のある子どもたちでした。それで、教会で子どもを預かれる施設を建てることを提案し、スタバッ伝道所は「子どもの家タビタ」としてはじまったのです。

何人かの子どもたちを預かりましたが、親を含む大人たちの意識も変化し、子どもたちはそれぞれの家族に戻る事ができました。私たちのもとに残った一人の女の子は、 私たちと養子縁組し、わが家の娘となりました。

2018年に私はビンジェイ教会で按手礼を受けました。調布聖書バプテスト教会から石川牧師が来て按手してくださったことを感謝しています。

私と妻は教会を深く尊敬し、心から信頼して歩んできました。その中で、2024年6月のビンジェイ教会会議の時、「なぜ私たち伝道所は会計を自主運用しないのか」という疑問が湧いたのです。当時、教会から伝道所が独立し、自主独立の教会となるためのプログラムの段階的な手順は示されていませんでした。

 

次の教会会議で、私は、スタバッ伝道所の会計を分離し独立会計にしたい、と提案しましたが、承認されませんでした。 その後、教会で独立教会となる条件について議論を重ねます。なかなか納得できる結論は見出せませんでした。それで、教会に対する神の御心について祈り、さらに学び続けました。神の教会に対する御心を理解するほど、私はますます熱心に教会を励まし、教会とは何か、神が教会を設立した目的は何なのかを理解するように促しました。

最終的に、2025年3月の教会会議で、スタバ伝道所は4月から独立することに一同一致でき、5月に近隣諸教会の伝道者を招いてのお披露目となったのです。

私たちは、独立した教会となった今、教会員一人ひとりが神の御心をより深く理解し、神に用いられて祝福の通路となり、魂を救うために用いられることを願っています。
教会のかしらである主イエス・キリストに栄光がありますように。

 

連載特集 vol 2

最近来られている日本への宣教師紹介

海外宣教委員長 佐藤 一彦

ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。マタイの福音書28章19~20節

エバスコ宣教師夫妻

エバスコ・マーク先生

派遣国・フィリピン、派遣先奉仕教会・稲毛BBC

信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい へブル人への手紙12章2節

まず、いつもお祈りしてくださっている皆さんに心から感謝します。私たちは、今年の4月で日本に来てちょうど1年になりました。本当に神様の恵みが豊かに注がれてきました。私も妻も海外での宣教の働きには慣れているつもりでした。私はベトナムで3年半、妻は中国で宣教師の子どもとして13年間仕えてきました。それでも、日本での働きは、私たちにとって大きなチャレンジでした。

一番大きな課題は、やはり言語です。日本語には、場面によっていろいろな表現があって、とても奥深いです。しかし、稲毛教会の助けによって、ふつうの日本語とクリスチャンの日本語、両方を学べる環境が与えられて感謝しています。池側真紀姉も、いつもやさしく教えてくださっています。正直に言うと、日本語はおそらく一番難しい言語だと思います。でも、神様の恵みによって、私たちはベストを尽くしています。妻は日本語で教会の子どもたちに教えたり、日曜学校のレッスンや教会の週報を翻訳したりしています。私は、バーリー先生のご配慮で、月に一度ずつ、日本語で説教したり、日曜学校で教えたりする機会をいただいています。

エバスコ・ヨシコ夫人

言葉のほかにも、大きなチャレンジとなっているのが文化の違いです。日本では、クリスチャンが人口の1%にも満たないと言われています。私たちの母国フィリピンとはとても異なります。フィリピンでは、ほとんどの町にバプテスト教会があり、私たちの教会でも平均800〜1,000人が礼拝に出席しています。フィリピンでは人々がフレンドリーで、福音を伝えることも比較的スムーズでしたが、ここでは簡単ではありません。それでも、ことばや文化を学ぶ中で、少しずつ日本の方々と心が通じ合うようになってきています。

神様は、日本の方々に福音を届ける道を一つ一つ見せてくださっています。上の聖書のことばにあるように、私たちはイエス様から目を離さずに歩んでいきたいと思います。問題を解決できるのも、日本の方々を救うことができるのも、ただイエス様お一人だからです。これから自分たちの働きを始めるための準備を進める中で、引き続きお祈りに覚えていただけることを感謝しています。私たちの力だけでは、とてもできません。でも、不可能を可能にしてくださる神様がおられることを、本当に感謝しています。

ウォルターズ宣教師夫妻

クリストファー先生 ワイキン夫人、アラン (左)、ソフィー(右)

派遣国・アメリカ、派遣先奉仕教会・すずらん BBC

日本に来てからの第一印象

私たちの第一印象は、日本は私たちが想像していた通り、いやそれ以上のものでした。2005年に日本での宣教旅行に参加したことで、日本がどんなところかある程度分かっていました。宣教旅行で共に働く機会を得た宣教師たちは、日本での生活と宣教に備える上で、本当に助けになってくれました。文化の違いについて学ぶこともたくさんありました。

期待通りでしたか

はい、期待通りだったと思います。ベテラン宣教師と話す機会が多く、日本への移住にあたり現実的な期待を持つことができました。

日本宣教の意味と宣教師が取り組むべきことについて

日本での宣教とは、日本における福音宣教に生涯献身することです。何よりもまず、私たちは神への愛を確信し、神の召しに従って生きていかなければなりません。神を愛するならば、神に召された人々を愛することにもなります。宣教師にとって、言葉は非常に難しいものです。しかし、宣教師にとって学ぶべき最も重要なことは、やはり言葉です。人々の心の言葉を理解しなければ、日本の人々の心に働きかけることはできません。宣教師として来日したものの、日本に長期滞在しない人が、これまでも、そして今も、あまりにも多くいます。永住権を取得することで、宣教師と日本人との間に永続的な信頼関係を築くことができ、日本での宣教の強化につながります。

 

感謝と祈祷

 

インドネシア派遣宣教師 田村 成幸

近況報告

バリ開拓伝道の為のお祈りとご支援に感謝致します。 お祈り頂いていましたビザ手続きですが、当初は、私の 5 年ビザの延長と家内の単年ビザの 延長が重なり時間が足りないと言われていたのですが、諸教会の兄姉の皆様のお祈りとご支援 により無事に済みました。しかも、私の 5 年ビザが無制限ビザに変わり、今後はビザ延長手続きと再入国許可延長が不要になりました。神様の恵みと憐みに感謝致します。 今年の8月で開拓伝道1年になります。記念集会を計画していますが、これまで50名以上の 新来者があり、その内の何名かが続けて礼拝に来て下さっています。今年中にバプテスマを 受ける兄姉が与えられる様に祈っておりますので、主がお応え下さる様にお祈り下さい。
 

祈りの課題

①バリ開拓伝道の祝福。
②バリでの同労者が与えられる様に。
③ジャカルタ、スラバヤの教会の祝福。
④田村の家族親族の救い。
⑤田村家族の健康と全ての事の守り。
 


 

インドネシア派遣宣教師 広瀬 憲夫

近況報告

昨年から続いていたスタバッ伝道所独立の話し合いは、今年のテーマ聖句(コロサイ3:15)のとおり、キリストの平和が心を支配することの現れとなりました。3月 のビンジェイ教会会議で、4月1日からスタバッ伝道所は 独立した活動を始める、と一致。近隣教会の伝道者が集まる5月の祝日にお披露目集会が行われました。
20余年続いているスタバッ教会の水曜子供集会は、時代の変化で供たちの生活も大きく変わり、以前ほどの人数は集まれなくなってきています。それでも、シトメアン師発案の暗唱聖句を取り入れた「伝言ゲーム」で、暗唱聖句に励む子供が増えました。 さらに、シトメアン師夫妻による他宗教の方々への訪問伝道も継続されています。
メダン・ビンジェイ・スタバッの青年合同集会がしばしば開 かれるようになり感謝です。地方の教会では青年といっても中高生も含まれます。メダン市の青年たちとの交流は、身近な年長者と交われることが楽しみのようです。
一時帰国での検査結果は、特に異常はなく、憲夫は老化に伴う症状のようでした。令子は一年に一度の経過観察検診継続です。
 

祈祷課題

①スタバッ教会の成長、シトメアン牧師夫妻の働きのため。
②メダン・ビンジェイ・スタバッ青年合同集会の祝福。
③広瀬宣教師夫妻の働きと健康のため。
 


 

香港/東アジア派遣宣教師 吉田 正治

近況報告

5月:吉田は、2日から9日まで帰日し、JBBF全国青年フェロシップキャンプでメッセージのご奉仕をさせていただきました。
甲府BBCより、藤田夏穂先生が香港に私たちを訪ねてくださり、淳子師と一緒にフィリピンのGBELS(ジーベルズ)にご奉仕に行ってくださいました。先生は英語で、GBELSの子どもたちに聖書のお話をしてくださり、グレース姉妹には「ここに残って手伝って欲しい!」と言われました。コーナーストーンでもみんなに「ナッチャン、ナッチャン」と呼ばれ、英語で証しもしてくださり、積極的に交わっておられました。すぐにでも宣教地に来ていただきたい人材です。
 


 

祈りの課題

①コーナーストーン教会により大きく、使い勝手の良い会堂が与えられるように
②フィリピンGBELSに、助け手、伝道者、サポートが与えられるように
③内地Y市教会の守りと祝福
④息子基生兄の献身者としての歩みのため
 


 

 

台湾・東アジア 鈴木 しのぶ

近況報告

6月から8月末までファーローで諸教会を訪問させていただいております。すべての教会にお伺いできないことをどうぞお許しください。皆様の尊いお祈りとサポートに心から感謝しております。
 


 
客家地域にある高齢者活動センターでの奉仕は、1~2月は月に1回、3月には月2回行いました。気温が毎回25度以下だったため、スクーターで片道1時間の道のりも熱中症にかからずに通うことができました。4月には山頂教会の牧師、牧師夫人をはじめとした訪問団(私も訪問団の一人です)がイースターのプログラムをしてくださいました。福音への抵抗は強いものの、これまで訪問が許されてきました。ファーロー後に再訪できるかは未定です。
 

 
介護施設には、私が風邪を引いた時の他は、4月末まで毎週訪問する機会が与えられました。薬の副作用でプログラムの間、眠くなってしまっていた方が、ある時に日本語話者だと分かりました。その時から日本語と中国語でその方に声を掛け始め、福音をお伝えしました。その方はまだ信じる決心をされていませんが、「神様が私を愛してくださるとはどういうことですか」という質問を何度も日本語で繰り替えして仰いました。この方の救いを祈っています。
 

 

祈祷課題

①台湾・東アジアの人々の救いのため
②第二期の働きのため
③主にあって共に喜んで主を拝し、互いに仕え合う同労者が与えられるように
④語学の上達のため
 


 

ハワイ宣教師 上久保 崇

近況報告

2月に宣教集会と信仰約束献金の更新がありました。今回は新規に1組の宣教師へのサポートと現在の10組の支援宣教師へのサポートの増額を祈り、目標額(昨年の10%増)の約束が与えられました。このことを通して私たちの教会も宣教の働きに参加させていただけることを感謝します。
4月のイースター礼拝には神様の導きがあり御名をあがめました。こひつじサークル(就学前の子供の集い)を通してと教会員のご友人ご家族などの新再来会者がありました。また、休暇を利用してハワイに帰省していた娘家族も礼拝に参加して御言葉を聞く機会をいただけました。この方々の救いのためのお祈りをお願いします。
教会は今年25周年を迎えます。5年後の30周年が次世代への引継ぎのきっかけとなるために、この教会での働きのための賜物と重荷を持つ働き人が導かれることを祈っています。
 

祈りの課題

①イースター礼拝、こひつじサークル、休暇利用で来会された方々が救いに導かれるように。
②教会と宣教活動を次世代に引き継ぐ、新たな働き人が起こされるように。
 

強い宣教文化のある教会

海外宣教委員 ジェームズ・スミス

使徒パウロがピリピのクリスチャンについて語ったように、私たち宣教師も派遣教会と支援教会に対して主に深く感謝しています。

「私は、あなたがたのことを思うごとに私の神に感謝し、 あなたがたすべてのために祈るごとに、いつも喜びをもって祈り、あなたがたが、最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています。」(ピリピ人への手紙 1:3-5)

妻と私は、2025年1月28日から4月16日までファーローのためにアメリカに戻り、支援教会をいくつか訪問しました。宣教カンファレンス、礼拝、水曜祈祷会、そして特別な深い交わりに恵まれました。多くの人々と会い、主から賜って日本宣教について報告するとともに、彼らが約20年間宣教のために祈り、支えてくれたことを感謝しました。

二つの素晴らしい支援教会

私たちが訪れた諸教会のうち、二つの教会が心に強く残っています。どちらの教会も宣教に素晴らしい情熱を注いでいますが、その表し方はそれぞれに異なっていました。
一つの教会は、宣教カンファレンスのために詳細なスケジュールを立てていました。私たちは車で二日間移動し、金曜午後にそこに到着。すぐに宣教カンファレンスが始まりました。その折、教会の牧師夫妻に夕食に招かれ、そこで宣教活動について時間をかけて尋ねてくださいました。翌朝、教会スタッフとの打ち合わせ後、別の夫婦が私たちを昼食に招いてくれました。彼らもまた、私たちの宣教活動について詳細な質問をしてくれました。それから教会の客室に戻り約1時間後、さらに別の夫婦が訪ねて来て、私達を彼らの家に案内してくれました。そこでは手作りの夕食が用意されており、こちらでも日本宣教について質問してくれたのです。しかもそれは今までに尋ねられたことのない質問でした。翌日の日曜日、午前の礼拝で2回説教し、日曜学校、そして夕拝でも説教しました。その夕拝前のこと、教会の宣教委員会の方々が私たち夫婦に、日本での宣教活動について色々と質問してくれました。彼らは私たちのために祈り、日本での宣教活動についてできる限り多くの情報を知りたいと考えていたのです。また、日曜日の昼食と夕食には、教会の方々とでかけ、そこでも日本での宣教活動について話す機会を頂きました。
 


 
実に多くの教会員たちが、宣教活動について深い関心と重荷をもっていたのです。後で私たちは疲れを覚えるほどでしたが、しかし、この教会にはとても感謝しています。
数週間後、別の教会の宣教カンファレンスに参加しました。そこでは、牧師が、教会員の一人が所有する農場の敷地内にある、とても素敵な家に私たち夫婦が滞在できるよう、手配してくださいました。そこはとても静かで穏やかな場所でした。金曜日に宣教委員会と、このカンファレンスに参加している宣教師たちがレストランでの夕食に招かれました。その折、宣教師たちは皆、宣教の祝福と祈祷課題について証する機会を頂きました。土曜日には、宣教師たち全員と教会員たちが礼拝堂に集まり、昼食をとりました。その後、宣教師たちはステージに上がり、それぞれに短く証をしました。すると教会員たちがいくつかの質問をして後、私たちのために祈ってくれました。
 

 
その後、片付けをしながら、教会員たちとさらに交わりを深めました。その日の午後、滞在先に戻り、夕方には、滞在先の家のオーナー夫婦と夕食を共にしました。そこでも前述の教会と同じように、私たちの宣教活動について質問し、私たちのためにどのように祈ればよいか尋ねてくれました。翌日曜日の礼拝で、招かれている宣教師たち一人一人が証し、ビデオを使って宣教報告をしました。そして礼拝後、再び教会員たちと共に昼食をとり、ここでの宣教カンファレンスを終えました。この教会も前述の教会と同様に、宣教の重荷を担っており、宣教師に対する特別な考えを持っていました。それは、宣教師たちに休養をプレゼントすること。私たちはこの教会にもとても感謝しています。

あなたの教会はどのような教会ですか?

どちらの教会も、牧師の指導のもと、教会内に宣教の文化を育んでいました。これは、教会が宣教師、宣教活動、そして大宣教命令について単なる一般的な知識を持っているということではありません。彼らの知識はそれ以上です。彼らは、他の教会では聞かれないような多くの質問をもって、宣教師たちとかなりの時間を過ごすのです。牧師も、教会員が常に宣教師たちと共にいて、できるだけ多くの知識を得ることを望んでいました。それは、教会が支援する宣教師たちを適切に支え、祈るためです。
もう一方の教会は、宣教師たちの休息の必要性をより深く考えていました。どちらの教会も、深い宣教の文化を育んでいます。あなたの教会はどのような教会ですか?宣教師が訪問した時、できるだけ多くの時間を一緒に過ごそうとしますか?一緒に何度か食事をし、質問をし、何度も話を聞こうとしてますか?それとも、宣教師たちの休息に重点を置いていますか?どちらの教会も宣教に情熱を持ち、宣教師たちがイエス・キリストの福音をさらに伝えられるよう支援したいと考えています。あなたの教会には、どのような宣教の文化が根付いていますか?
 

編集後記

今回ご紹介した二人の来日宣教師の証の中に、日本語習得の難易性について触れられていました。私は来日宣教師の牧会のもとに育った一人なのですが、こんな思い出があります。「兄弟、あなたが書いた救いの証しを読みましたが、字が間違ってましたよ。」と宣教師に誤字を指摘され、顔を真っ赤にして慌てたことを思い出しました。裏を返せば、日本人の誤字を指摘することが出来るほど、その宣教師は語学習得のために多くの時間と情熱をもって、自身を水の上に投げていたということです。その信仰による投資を主が報いて下さり、宣教地に教会を起こしてくださり、異邦人宣教師に誤字を指摘された日本人を召し、伝道と教会形成の任に遣わされたのです。まさにいつの日か、水の上に投げたパンを見出させてくださる主の導きです。

いま私は、牧師としての任務を主と教会から賜っていますが、果たして教会員たちは、宣教についてどのような重荷、ビジョンを担っているだろうかと、改めて考えさせられました。

今後教会内にどのような宣教の文化を起こし、育み、後世に伝えていくのか、自身を主の水の上に投げて行こうと思います。

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