2022年・秋号2022-10-24T12:34:28+09:00

宣教クォータリー

2022年秋号

 

主から託されている大きな働き

上越聖書バプテスト教会牧師 加治佐清也

まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。ヨハネの福音書 14章12節

十字架にかかる前夜、イエス様は地上に残される弟子たちに最後のお話しをされました。その中でイエス様は、冒頭のみことばを語られました。信じる者には、主のお働きが託されています。私たち教会は、この時代にあって、どのような歩みを期待されているのでしょうか。あらためて、ともにみことばに耳を傾けてまいりましょう。

まことに、まことに

まずイエス様は「まことに、まことに」(アーメン、アーメン)と言われました。これからお話しすることがとても重要なことであることを示しています。その内容とは、主を信じる者、すなわち教会が、主のわざを行う、さらにそれ以上の大きなわざを行うということです。イエス様よりも大きな働きをするというのは、にわかには信じ難いかもしれませんが、「まことに、まことに」本当にそうなのだと、主は私たちに言われます。

教会の目的

このみことばで教えられていることは、教会には目的があるということです。すなわち教会とは、主イエス様のわざを行う集まりなのです。教会は自分自身が何者かをよく理解しておく必要があります。そうでなければ、教会は簡単に福祉団体や政治団体、単なる研究会やサークルなど世の集まりと変わらないものになってしまうからです。教会には独自の目的・使命があります。それは主イエスのわざを行うことです。

主イエスのわざ

では、主イエスのわざとは何でしょうか。それは第一に福音宣教です。聖書が示す救いの道を宣べ伝えることです。「神はキリストによって私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。」(Ⅱコリント5:18)。和解のメッセージを伝えることは、神と和解したすべての人の務めです。教会は世に遣わされた「キリストの使節」(同5:20)として、和解の福音を伝えます。「この方以外には、だれによっても救いはありません」(使徒4:12)とあるように、主イエスこそ唯一の救いの道であることを世に示していくのです。

第二に、イエス様が人々を愛し、慰め、あわれまれたように、教会もまた、神の愛と慰めとあわれみを、ことばだけでなく、行動を伴って、全生活を通して証しします。イエス様は「群衆を見て深くあわれまれ」ました(マタイ9:36)。彼らが「羊飼いのいない羊の群れのように、弱り果てて倒れていた」からでした。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい」とも言われました(同11:28)。疲れた人とは、赦しのない、裁き合い、競い合い、比べ合う、そういうパリサイ人らの教えに息苦しくなっていた人々であり、イエス様の思いは、そのような人々が福音によって心の癒やしを得ることでした。主の愛とあわれみは、福音宣教にしばしば伴いました。姦淫の現場をおさえられ、衆目にさらされ、言い逃れができない、誰かどう見ても罪深い女性を、イエス様はお赦しになりました。主は嫌われていた取税人ザアカイの友となりました。罪深い生活を送り、世間から孤立していたサマリアの女に声をかけ、救いに導きました。病苦や生活苦の中にあった盲人や病人をいやし、罪を赦しました。イエス様の人に対する優しさ、あわれみ、なぐさめの記事には事欠きません。このような愛とあわれみのわざを行うようにと、私たちも招かれているのです。

さらに大きなわざ

このように教会は、イエス様がなされた福音宣教とあわれみのわざを行うために世に遣わされていますが、それだけではありません。「さらに大きなわざ」をも行うのです。これはもちろん、私たちが質的な意味において、イエス様より大きな働きをするということではありません。教えや働きにおいて、私たちがイエス様を超えることなどできません。何よりイエス様のように十字架にかかって、よみがえり、救いの道を備えることなど絶対にできませんし、そんな資格もありません。

それでは「さらに大きな」とは、どういう意味なのでしょうか。それはさらに大きな時間と空間において、という意味です。イエス様が限られた時代と場所でなされた福音宣教とあわれみのわざを、教会は受け継いで、その後の長い歴史の中で、世界中の広大な地域で行っていくのです。その意味において、教会はイエス様よりも「さらに大きな」働きをしていきます。イエス様のなされたわざを、あらゆる時代、あらゆる地域において継承し、実行していくことにおいて、教会はイエスが地上におられた間になされた働きよりも大きな働きをしていくのです。

助け主である聖霊

このような偉大な働きを託されていることは、大変光栄なことですが、同時に果たして自分たちにそんなことができるだろうかとも思うでしょう。そういう気持ちに応えるかのように、イエス様はこう付け加えられています。「わたしが父のみもとに行くからです。」イエスが復活後、天に戻られました。だから、クリスチャンは、イエスの行うわざ、福音宣教と愛のわざを行うことができると言われるのです。でも、なぜイエス様がいなくなると、それができるのでしょうか。逆にイエス様がずっといてくださったほうが良いのではないでしょうか。

その答えはヨハネ16章7節にあります。「わたしが去っていくことは、あなたがたの益になるのです。去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はおいでになりません。でも、行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします。」すなわち、イエスが去っていくことによって、助け主である聖霊が来てくださるのです。聖霊はイエス様の代わりに来られる「もう一人の助け主」(ヨハネ14:16)であり、「イエスの御霊」(使徒16:7)です。ですからイエス様が弟子たちとずっとともにいてくださったように、主は御霊において、いつも私たちとともにいてくださいます。聖霊は信じる者に内住される助け主、慰め主、カウンセラーです。この方によってクリスチャンは内側から力づけられ、教えられ、慰められ、主のわざ、すなわち福音宣教とあわれみのわざをなすことができるのです。自分の力ではありません。聖霊なる神の助けによって、私たちの心は動かされ、みことばを伝え、真実な愛をもって慰めのわざを行うことができるのです。

主を信じる者、その集まりである教会は、主が地上で行われたわざを続けて行うように召されています。世の中は様々な出来事が起こり、色々な意見やことばが飛び交いますが、ヨハネ14章1節の御言葉にある通り、私たちは心騒がせることなく、神を信じ、主イエスを信じ、「まことに、まことに」大切な教会の使命と目的を見失わず、内なる聖霊の力と励ましをいただいて、主のわざをさらに大きく行ってまいりましょう。

井垣勇基師インタビュー

※今後の働きのため井垣師の顔はぼかしています。

このコーナーでは、2022年9月8日に調布聖書バプテスト教会の伝道師井垣勇基師に谷井涙賀(ルカ)委員がインドネシア訪問についてZoomでインタビューした模様をお届けします。

まず、インドネシア訪問の期間を教えて下さい。

4月27日~5月31日の一か月強に渡る訪問となりました。出国前にはわからなかったのですが、ジャカルタに到着した日から入国者へのPCR検査と隔離が不要となり、また日本帰国時もその日から規制緩和され隔離不要となりました。主のなさることは時にかなって素晴らしいことを実感しました!!

過去に様々な宣教地に行かれたと伺っていますが、インドネシアの第一印象はどうでしたか?

実は、インドネシアに行くことが長年の夢でした。というのは、調布から派遣されているすべての宣教地に行くことが夢で、インドネシアにだけ行ったことがなかったからです。現地に着くと、ラマダン(断食の期間)の最中でした。インドネシアの印象は、フィリピン、台湾、韓国、中国、香港を足して割ったような雰囲気でした。町はどこか中華風、空港で旅行者に人懐っこく話しかけてくる様子は台湾やフィリピンにも似ていました。

現地ではどのような活動をされたのですか。

マンダラ教会の日曜学校を見学させていただき、弟子訓練を受けた若い奉仕者が熱心に奉仕しておられました。また、ビンジェイ、スタバッ、マンダラ教会の青年たちの日曜学校教師訓練会にも参加し、生き生きと楽しそうに学んでいる様子が印象的でした。それから、現地高校の日本語クラスや日本語学校にも行き、生徒たちと交流をしたり、また現地の牧師に付いて訪問伝道、個人伝道にも出かけたりしました。広瀬宣教師が作成したインドネシア語のトラクトをイスラム教の方に渡すこともできました。

滞在中に特に心に響いてきたみことばはありましたか。

インドネシアではキリスト昇天記念日が祝日となっています。教会の集会で語られたマルコ16章15節のみことばから、復活とイエス様の昇天に関連しての福音メッセージが心に残りました。

今回はインドネシアを訪問したわけですが、将来の働きのビジョンについて教えて下さい。

宣教地に行った時、キリスト教的背景のない方たちと接した時、今まで自分がもっていた宣教師像と大分ずれがあることに気付きました。福音を必要としている人たちは、実際には宣教師としては入って行けない地域に住んでいます。主が遣わして下さる所で、従来のような会堂建設や組織運営を目標とするアプローチではなく、個人伝道と弟子訓練を重視した家庭集会的なアプローチで福音宣教に携わりたいと期待に胸をふくらませています。

横浜BBC宣教部のご紹介

宣教部部長 中畑太一

1)はじめに

主の御名を賛美いたします。海外宣教委員会の先生方よりご依頼をいただき、今回このような形で横浜教会宣教部の働きを紹介できること、主にあって感謝いたします。JBBF諸教会の宣教の働きのため、少しでも参考になることがあればと願いつつ、私たち宣教部の活動内容を紹介させていただきます。

2)宣教部について

現在宣教部では、中高生・学生・青年・婦人・壮年の幅広い年代の教会員21名が、宣教部員として奉仕しています。横浜教会は現在35箇所(神学校や宣教委員会などを含み、国内11箇所、海外24箇所)の支援先をサポートさせていただいております。各部員はその中からそれぞれ担当宣教地を受け持ち、支援先の先生方との連絡等を行っています。

宣教部の1年の活動の概要は、下記「横浜教会宣教部の1年(2021年度)」のとおりです。

3)部会

宣教部では、毎月部会を行っています。コロナ禍前は第一聖日の夕拝前の時間に集まっていましたが、現在は第一聖日の20時から21時まで、Zoomにて行っています。部会では、各宣教地の祈りの課題の共有、宣教カンファレンスや宣教月間の準備、その他宣教部の活動に関する話合いをしています。また、各宣教地のための祈りの時も持っています。

4)宣教カンファレンス・宣教月間

宣教部のメインの活動は、何と言っても毎年2月の宣教カンファレンス・宣教月間の計画、準備です。毎年7月頃より準備を始めています。

宣教カンファレンスは、例年2月第3聖日に開催される、宣教尽くしの一日です。特別に講師(宣教師の先生のことが多いです。)をお招きし、教会学校、礼拝、夕拝で宣教報告やメッセージをいただきます。愛餐も講師の先生にちなんだ特別仕様(たとえばインドネシアの田村先生をお招きした際はピサンゴレンがデザートに付きました。)で、愛餐後夕拝までの時間には宣教祈り会、子どもたちのためのすごろく企画や紙芝居企画などを行っていました。また、夕拝では宣教部員が色々な国の民族衣装を着て特別賛美をお捧げしていました。コロナ禍以降は宣教カンファレンスも教会学校と礼拝のみとなってしまっていますが、その代わりカンファレンス当日の夜に講師の先生と宣教部員とでオンラインでの交わり会を開催したり、礼拝で宣教部員が動画による特別賛美(勿論各自民族衣装を着て撮影します。)をお捧げしたりしています。

また、宣教への重荷が増し加えられていく中で「宣教に目を向ける機会を宣教カンファレンスの1日だけで終わらせたくない」という思いが与えられ、10年ほど前よりカンファレンス当日を含む2月の1ヵ月間を「宣教月間」として、教会学校の協力も得て、教会全体で宣教に目を向ける期間とするようになりました。具体的には、この1ヵ月間は教会全体を万国旗や地球儀で飾り、皆で宣教部作成の宣教バッジを着け、礼拝・水曜祈り会・教会学校では毎週宣教に関するテーマからメッセージをいただき、また教会学校各科で宣教のための特別企画を準備するなどして、宣教への思いを深める1ヵ月としています。加えて、宣教月間の終わりには宣教約束献金の更新をし、教会員一人ひとりが宣教月間で与えられた宣教のために捧げる思いをあらわしています。

5)祈りの冊子

毎年宣教月間の時期には、支援先の先生方からお聞きした祈りの課題をまとめた「祈りの冊子」を作成・配布しています。各家庭での祈りのために用いていただいているほか、水曜日の祈り会において、祈りの冊子から毎週1箇所をピックアップして教会の祈りに加えていただいています。

また、子どもたち用として、祈りの課題を易しい言葉に変換した「祈りのカード」も作成しています。

6)宣教レポートの共有

各支援先から定期的にいただく宣教報告は、以下のような方法で教会の方々に共有しています。

①掲示板への掲示

横浜教会には宣教部が管理させていただいている掲示板があり、支援先を記した世界地図(青森恵みバプテスト教会のキャンター師が作成してくださいました。)や日本地図、各支援先の祈りの課題等を掲示しています。そして、その中に「新着コーナー」を設け、直近に届いた宣教報告を掲示し祈りに覚えていただけるようにしています。

②漁(すなどり)の発行

また、長江牧師より「教会の方々がご自宅でゆっくり宣教報告を読めるようにしたい」とのご要望をいただき、これに応えて宣教部では、2か月に1度、その間に届いた各地からの宣教報告をまとめて「漁(すなどり)」として発行し教会の方々にお配りしています。今年10月に発行される漁で45号になります。中高科の学び会でも漁を用いて各宣教地の状況を共有し祈ってくださっています。

③海外からの宣教レポートの翻訳

横浜教会が支援している海外の宣教師の先生方の中には、外国人の先生方もおられます。当然、外国人の先生方から届く宣教報告は英文です。そのような宣教報告については、宣教部に与えられている英語の賜物を持つ8名の兄弟姉妹から成る「翻訳チーム」が、日本語に翻訳のうえ、他の宣教報告と同じように皆さんに共有しています。現在英文で報告が届く支援先は10箇所ほどありますが、そのすべてを翻訳チームが翻訳してくださっています。

7)サポート送金

各支援先へのサポート送金のうち、海外宣教地の外国人宣教師宛送金の段取り、送金連絡も宣教部が担当しています。近年、海外への送金はかなり厳しくなっているようで、なかなか簡単には送金できません。送金先の国によっても事情が異なります。担当者が送金先の先生方と(当然ながら英語で)協議しながら、送金サービスとしてMoneyGramを使ったり、Western Unionを使ったり、Wiseを使ったりと、確実に先生方にサポートが届くように試行錯誤しつつ進めています。

8)贈り物・クリスマスカード

横浜教会では、毎年夏に「夏の贈り物」を国内の教会・伝道所3箇所に、クリスマスの時期には「クリスマス愛の贈り物」を海外の支援先3箇所にお贈りしています。贈り物手配や先生方からの希望聴取も宣教部でさせていただいています。また、毎年クリスマスカードを全支援先にお送りしています。

9)宣教地訪問

コロナ禍前、宣教部有志で海外宣教地(東アジア、台湾)や国内の伝道所等を訪問することもありました。私は行けていませんが、参加された方からは「宣教地をより身近に感じ、より具体的に祈りたい、宣教地支援のために働きたいと思うようになった」と聞いておりますので、是非近いうちに再開できればと願っています。

10)おわりに

以上、横浜教会宣教部の働きについて紹介させていただきました。

この原稿のご依頼をいただいてから、部会において皆でこれまでの宣教部の働き、与えられた恵みを振り返りました。その中で、宣教部としてのターニングポイントの一つは、長江牧師が教会のビジョンとして宣教強化を掲げられたことにあると気付かされました。神様が牧師を通して教会の向かうべき方向を示し導いてくださっていることを改めて覚えます。

そして、横浜教会では、2016年度より、宣教月間テーマに「YBBCから宣教師を」という副題をつけています。これまでもすべてを満たしてくださった主が、このビジョンも実現してくださることを期待しつつ、宣教のための働きを続けていきたいと願っています。

感謝と祈祷

インドネシア派遣宣教師 田村 成幸

田村先生

● 近況報告 ●

教会訪問の働きが導かれている事を感謝致します。幾つかの教会で、メッセージの後に救いの決心者が起こされている事を主に感謝しています。ある方は長年祈られて来て91才で信仰告白に導かれました。ある方も長らく教会に来られていましたが80才代で信仰告白に導かれました。先の宣教キャンプでも救いの決心が与えられ、神様の御業に感謝しています。12月まで訪問が続きますが、ほぼ対面での教会訪問が導かれています事を主に感謝致します。

● 祈りの課題 ●

①インドネシア宣教の祝福と拡大
②スラバヤ南バプテスト教会の組織独立
③クランジ・バプテスト教会の祝福
④シモン・ネンゴラン師、フランキー・タンブーナン師の為
⑤田村家族の守りと親兄弟の救いの為、家内の健康の為
⑥経済的祝福と守りの為
⑦スラバヤ後の働きが具体的に示されるように

ハワイ派遣宣教師 上久保 崇

上久保先生

● 近況報告 ●

9月4日は教会の22周年記念でした。この日は礼拝前に主の晩さん式を行ない教会がイエス様の十字架を覚える時を持つことが出来ました。礼拝ではこれまでの22年を感謝してこれからの教会の祝福を共に祈りました。礼拝後には数年ぶりに、注文したお弁当でランチフェローシップを持つことも出来ました。

エナさんは今年パラオの高校を卒業しておば様をたずねてハワイに来られています。彼女たちの近所に住んでいる教会員のご夫妻がエナさんをお誘いをして礼拝に出席しました。彼女はミッションスクールに通っていたということでしたが、イエス様を個人的な救い主と信じたことがありませんでした。6月のウェルカム礼拝の時に招きに答えてその後の個人伝道によって救いの決心をされました。秋ごろまでハワイに滞在する予定です、これからのフォローアップの導きを祈っています。

● 祈りの課題 ●

①礼拝の祝福:7月より、第一日曜はバイリンガル礼拝をおささげしています。単一原語でメッセージを聞くことも幸いですが、教会として一堂に会して礼拝できることも感謝です
②秋からの伝道:第三日曜のウェルカムサンデー(10月:秋の伝道集会、11月:感謝祭、12月:クリスマス)を通して救われる魂が導かれるように
③それぞれの場所にいる家族に、主からの導きと守りがあるように

香港/東アジア派遣宣教師 鈴木 しのぶ

● 近況報告 ●

5月から6月は各月に1度、教会訪問をしました。若葉BBCでは、交わり会や特別集会の準備、墓地や新会堂のビジョンに向かっての奉仕に携わりました。7月から8月は、4つのキャンプでお話の奉仕をさせていただきました。コロナウィルスの新規感染者数が減少したことに伴い、キャンプが再開されつつあることを主に感謝しました。諸教会のお子さん達、奉仕者の皆様と直接にお会いし、救い主イエス様をお伝えする喜びをいただいたすばらしい夏でした。主が救いの決心に導かれたお子さん達のこれからの信仰の歩みのために、お祈りしています。この他に参加したキャンプのうち、手話キャンプでは救われたろう者の姉妹のすばらしいお証と賛美をおききし、主を褒めたたえました。宣教キャンプでは、キッチンや朝夕のデボーションでの奉仕に加わらせていただいたことを感謝いたします。

夏のキャンプ・シーズンが始まるのと時を同じくして、台湾で宗教ビザの発行が再開されました。現在、必要書類を準備し、ビザを申請し、受理される一連の過程にあります。皆様の尊いお祈りに心から感謝いたします。続けて皆様にお祈りいただけましたら幸いです。どうぞよろしくお願い致します。

● 祈りの課題 ●

①台湾と規制が厳しくなっている東アジアで、続けて福音が宣べ伝えられるように
②宗教ビザの申請が受理され、ビザが発行されるように
③教会訪問と出発の準備の祝福

香港/東アジア派遣宣教師 吉田 正治

吉田先生

● 近況報告 ●

7月:暑い夏になり、香港の上水でも39度になる。コーナーストーンでは3人が救いの決心。28日から日本に帰り、31日より北海道でファーロー。
8月:前半は北海道でファーロー。二週間強で4教会を訪れる。コロナで一教会がキャンセルとなり、二組の牧師先生とは、教会外でお会いし、お交わりをいただく。15日に帰京し、22日から26日まで、JBBF軽井沢グレースキャンプ場にて宣教キャンプ。救い一人、バプテスマ一人、献身4人の決心者が与えられる。コロナ感染もあり、吉田も罹るが、自宅隔離10日で快復する。
9月:第一週まで隔離。第二週以降は身体検査など、健康を整え、日本の家族との交流。25日聖日、母教会でのメッセージを最後に、10月1日に宣教地へ。

● 祈りの課題 ●

①未信の93歳新井匡夫(淳子父)、92歳吉田俔子(チカコ)(母)、兄弟妹たちの救いのために
②無牧のライトハウス、母教会の調布に牧師が与えられるように
③コーナーストーン教会に良い会堂が与えられるように
④内地との往来が再開するように

インドネシア派遣宣教師 広瀬 憲夫

広瀬先生

● 近況報告 ●

6月中旬より一時帰国、6つの教会を訪問させていただいた。また秋田の母(94歳)を見舞うこと3回、1か月ごとに体力の減衰が認められるが、行ったり来たりの私の事をより心配してくれる。調布教会の青少年夏行事に久しぶりに参加、若い力に触れて力を受けた。9月29日インドネシアに出発。

● 祈りの課題 ●

①ダニエル・マナル兄、ジョン・バンチン兄の神学校の学びと教会奉仕の祝福
②互いの交わりを通して伝道者たちの聖書理解が実践的に深められ、恵みのうちに伝道の働きが進められ、拡大するように
③憲夫の秋田の母(94歳)、弟夫婦の救いと健康のため

インドネシア派遣宣教師 入江一義

入江先生

● 近況報告 ●

10月4日(火)谷井委員が宣教師宅に電話をして近況報告と祈祷課題を伺いました。博子先生が電話に出られ、入江先生を待っている間、電話越しにスピーカーからコーランが聞こえてきました。宣教師宅の周りはほとんどの方がイスラム教の方だそうです。改めて、そのような異教文化の中で宣教をされていることを実感しました。以下、近況報告です。

3年前の事故の影響もあり、身体が思うように動かず日常生活で大変ご苦労なさっているようです。特に左足が弱っているとのことですが、車は運転できるそうです。また、宣教基地の庭の手入れなども思うように手が付けられないでいます。その様な中で、以前から入江先生のお手伝いをされていたメンテン教会の兄弟が、近々宣教基地内の建物に移り住んで来られるようです。ケサワン教会には忠実に10名程の兄弟姉妹が集っておれるとのこと。現在は、教会での水曜日の集会は行っておらず、先生が回って集会を持っています。

● 祈りの課題 ●

①事故の後遺症も残る中、日々健康と働きが支えられること
②宣教師宅や宣教基地の必要な修繕作業が行えるように
③物価高で治安が悪くなっているので、安全が守られるように
④宣教の働きの後継者が与えられるように

地域教会のリーダーシップ

プロモート担当 鹿毛 愛喜

●生き方としてのリーダーシップ

海外宣教という働きにおいて海外宣教委員会がリーダーシップをもって進めていく役割と責任があることは確かである。しかし、同時に海外宣教委員会の役割と責任は、フェローシップ諸教会における海外宣教の働きに全面的に仕え、支援することにあると理解している。そのような意味では、海外宣教のリーダーシップは地域教会にあると言えるのである。聖書中において、ピリピ教会の宣教の関わりが思い起こされる。「ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、福音を伝え始めたころ、私がマケドニアを出たときに、物をやり取りして私の働きに関わってくれた教会はあなたがただけで、ほかにはありませんでした。テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは私の必要のために、一度ならず二度までも物を送ってくれました。」(ピリピ4:15〜16)パウロの宣教を支えるために関わろうとしたピリピ教会は決して大きな群れではなかった。余裕があったから支援しようとしたのではなかった。彼らはパウロの宣教の必要に仕えるという点で「ほかにはありませんでした」と言われる程のリーダーシップを発揮した。リーダーシップに関する本の中で、「リーダーシップとは生き方である」という言葉を目にしたことがある。海外宣教におけるリーダーシップとは、全体を牽引していくことができる特定の教会がもつ特殊な賜物ではなく、宣教に関わる一つ、一つの地域教会の生き方そのものと考えることができるのではないだろうか。フェローシップ諸教会に目を向けるならば、宣教師を海外に派遣しようとしている教会がある。また、宣教師候補者を訓練している教会があり、海外からの宣教師を受け入れ育てている教会が幾つかあることは幸いなことである。これらの諸教会は、まさに実際的に海外宣教のリーダーシップを執っているのである。

●批判ではなく一致を生むリーダーシップ

今後の海外宣教の見通しは決して明るくはない。世界規模のパンデミックや世界情勢を考えれば、海外宣教における「今まで通り」が通用しない状況に直面している。そうであれば、諸教会の海外宣教における関わりにおいても、意識においても「今まで通り」を変えていかなければならないのではないか。もちろん、海外宣教委員会のあり方も例外ではない。そのために、今後の海外宣教の働きはこれまで以上に諸教会が一丸となって祈り合い、語り合い、重荷を分ち合い、取り組まなければならないように思われる。ある意味では、新たな海外宣教に対する取り組み、次世代の宣教師の育成を考えていく上では、これまでの取り組みに対する批判的な視点をもった再評価も必要となる。感情的な批判は健全なかたちで一致を生み出すリーダーシップにはならない。今、求められているのは地域教会において、どんなに情熱があったとしても分断を生み出すリーダーシップではなく、一致を生み出すリーダーシップでなければならないと思わされるのである。フェローシップ諸教会において、地域教会は宣教のためにキリストから派遣された群れであるとの確信は一致しているのではないだろうか。そして、フェローシップはこの宣教を目的とした協力関係という交わりを保ってきたのではないだろうか。特に、海外宣教という働きにおいて、変化の著しい世界の中で求められているのは、変化を受け入れ適用できる柔軟なリーダーシップではないだろうか。そして、折れない強いリーダーシップではなく、何度折れても回復を期待するリーダーシップではないだろうか。改めて確認したい。地域教会の海外宣教の関わりは「今まで通り」の継続で良いのだろうか。

●育成と派遣のリーダーシップ

では、実際にどのようなリーダーシップを地域教会が執っていくことができるのだろうか。地域教会において、海外宣教のために(実際には働き場を問わず)、宣教者の育成と派遣に注力するということではないだろうか。海外宣教のための祈りが地域教会の中で現在の宣教に対する献金というかたちで表され、年に数回の宣教集会というかたちで教会内における啓蒙がなされている。さらに一歩、海外宣教のための祈りが、地域教会において実際的に宣教者の育成と派遣ということに対する取り組みが求められている。もちろん、フェローシップにおいては、神学校が伝道者の養成機関である。それゆえ、国内、海外、無牧教会、後継を必要としている教会に伝道者を遣わすためにも、神学校に宣教者を育成し派遣できる教会形成を導く伝道者養成のリーダーシップを執っていただくことについて、これまで以上に期待されることは当然のことだろう。

宣教のために働き人を召すのは主である。しかし、常に一つの問いが心に残る。献身者不足は主がそのようにされているのだろうか、との問いである。もし、主が献身者を差し止めておられるのであれば、私たちはこの現状を受け止めなければならないだろうし、私たちが何かを成し得ることはない。しかし、収穫の主は、働き人を収穫の畑に送ろうとされているのではないだろうか。次世代の献身者が少ないと嘆かれる昨今、働き人を召し出す主の召しに思いを巡らす者である。私たちの教会に集う次世代が、主の召しを受け止め、応答できる備えがされているだろうか。教会が祈りと犠牲をもって次世代を育成し送り出す備えがされているだろうか。「地域教会のリーダーシップが今問われている」と、私自身が主から問われているのである。

編集後記

本号の4〜5ページは横浜聖書バプテスト教会の宣教部が構成してくださったものを、ほぼそのまま掲載しました。編集し、まとめてくださった皆さんに心より感謝いたします。

さて、前号からQRコードを表紙につけました。前号はJBBF海外宣教のホーム画面にとびましたが、本号からは直接クォータリーの記事にとぶようにリンクを変えました。より、スムーズにクォータリーをご覧いただけます。読書の秋、聖書はもちろんの事、クォータリーも読んでいただき、宣教のために覚えて祈っていただければ幸いです。

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