2020年・冬号2023-02-20T07:56:50+09:00

宣教クォータリー

2020年冬号

 

深いあわれみの心を

港北ニュータウン聖書バプテスト教会牧師 鹿毛 愛喜

また、群衆を見て深くあわれまれた。彼らが羊飼いのいない羊の群れのように、弱り果てて倒れていたからである。 マタイの福音書9章36節

3月に牧師職を引き継ぎ、新米牧師として歩み始めた矢先、新型コロナウイルス感染拡大に伴う様々な対応に迫られ、戸惑いの連続でした。牧師として招聘されてから今日まで、次の3つのことを思わされています。第一に、教会の主はキリストご自身であるということです。そして、第二に、教会に住んでおられる御霊によって兄姉を取り扱い、内的に造り変えることを通して、日毎に教会を建設されているということです。第三に、牧師交代は教会としての宣教の働き(国内、海外)の継承であるということです。新型コロナウイルスを経験し、私たちは一つの時代の分岐点に立たされていると言えるでしょう。宣教の働きにおいても大きな分岐点に立たされている中で、先立ってくださる宣教の主に「私たちはどのようにお仕えさせていただけば良いでしょうか」と祈らされるのです。

羊飼いのいない羊

今回、マタイの福音書9章35節から38節のみことばに着目したいと思います。大変よく知られた箇所です。イエス様ご自身のガリラヤ地方における伝道活動の中で、イエス様ご自身は人々をどのようにご覧になられたのでしょうか。「彼らが羊飼いのいない羊の群れのように、弱り果てて倒れていたからである。」(36節)羊飼いのいない羊の群れという表現は、旧約聖書に見られます。エゼキエル書34章では、牧者とされる権威をもった民の指導的立場にあった者たち(王、預言者、祭司ら)が、民を養わず、世話をせず、かえって自らを養うゆえに民を虐げる姿を、牧者不在の状態としているのです。羊にとって、最も深刻で危機的状態とはどのような状態でしょうか。「彼らは牧者がいないので散らされ、あらゆる野の獣餌食となった。こうして彼らは散らされた。」(エゼキエル書34章5節)牧者がいないという状態です。羊である民は、外敵に脅かされ、絶えず自らでは満たし得ない欠乏に苦しみ、傷つき弱り果て、養われないゆえに死んだも同然の瀕死の状態に陥るのです。羊にとって、羊飼いがいないということほど悲惨なことはありません。まさに、イエス様がご覧になられたイスラエルの民も、現代を生きるキリストから遠く離れている人々も羊飼いのいない羊なのです。羊飼いのいない羊が、真の羊飼いのもとに帰ることができるならば、羊はいのちを得ることになるのです。教会の目に、キリスト者一人、一人の目に、羊飼いのいない羊の群れが映っているでしょうか。日本のみならず、世界にも羊飼いのいない羊が今も倒れているのです。

イエス様の深いあわれみ

イエス様ご自身は、羊飼いのいない羊の群れを見て深くあわれまれた。見ることによって深いあわれみが生じるのです。私たちの教会は若い世代がこの世界との接点の中で自分の人生を祈り、世界における宣教の現状を知り、羊飼いのない羊を見ることができるように、という祈りからビジョントリップという取り組みを行っています。若い世代が、イエス様がご覧になっているこの世界を実際に見るためです。全ての若い世代が宣教師になるべきであるとは思いません。しかし、全ての若い世代がイエス様の深いあわれみに触れ、それを自らの心とし、派遣されている場所において羊のいのちのために生きることは大切なことではないでしょうか。教会はどのような動機で宣教の働きを担うべきでしょうか。しばしば、イエス様から「良くやった良い忠実なしもべだ」と言われるために、という言葉を聞くことがあります。もちろん、やがてイエス様の御前において、このように言われる教会、キリスト者であるならば素晴らしいことです。私も結果そうありたいと願います。しかし、宣教の働きを担う動機としては、非常に自分本位な動機のように思われないでしょうか。結局、私が称賛されることを求めているかのようです。教会は、イエス様の深いあわれみを動機として、宣教の働きを担うべきでしょう。イエス様の深いあわれみとは、口先だけのあわれみではありません。内臓まで揺り動かされる、激しく疼くほどの同情心です。その深いあわれみは、積極的な関わりを生む、実際に行動を起こさずにはいられなくなるほどのあわれみです。羊飼いのいない死に絶える羊に対して、いのちを得るように、いのちを差し出された真の牧者なるイエス様ご自身の姿に表される愛に他なりません。ある程度信仰歴が長いキリスト者であれば、命じられている福音宣教の緊急性、必要性は繰り返し教えられてきていますし、当然理解されていることでしょう。では、教会はどれほどこの深いあわれみの心によって宣教の働きに突き動かされているでしょうか。このイエス様の深いあわれみに触れることによって、国内において、そして世界へと広がりをもって宣教の働きは前進していくのではないでしょうか。羊飼いのいない羊をご覧になり深くあわれむイエス様の深いあわれみによって、教会は羊のいのちのために派遣されていることを忘れてはなりません。

働き手の派遣のために

深いあわれみの心から、イエス様は弟子たちに次のことを命じられました。「収穫の主に、ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」(38節)弟子たちに祈ることを命じられているのです。その理由は、「収穫は多いが、働き手が少ない」(37節)というイエス様がご覧になられている現実にあります。まず、私たちキリスト者、一人、一人が収穫のための働き手であることを自覚する必要があります。私たちは自分とは関係のないところで、「働き手を送ってください」と祈るのではありません。「働き手を送ってくださるように祈りなさい」と言われた弟子たちが、次の章ではイエス様によって遣わされているのです。収穫のための働き手のために祈る時に、私たちは自分自身がそのために派遣されている今日を生かされているということを再確認すべきなのです。また、教会が収穫のための働き手を送ってくださるように祈る祈りは、教会建設、教会教育に深く関わっている事柄であることを理解する必要があるように思います。収穫の主は、キリスト者を働き手として派遣される御心をおもちです。それゆえ、教会は完成を目指す歩みにおいて派遣する教会を建て上げ、派遣意識をもったキリスト者を、次世代を育んでいく必要があるのではないでしょうか。定期的に宣教の必要性を訴える集会をもつことも大切でしょう。しかし、教会が、キリスト者一人、一人が毎日派遣されているという意識をもって「働き手を送りたまえ」との祈りの中に、職場で、家庭で、学校で生きることの方がどれほど大切なことでしょうか。収穫という言葉は、魂の刈り取り、救いを必要としている魂のことを意味していると理解できるでしょう。同時に、旧約聖書においては、世の終わり(終末)の審判を指し、神のさばきを指しています。終わりの時に向かう今を生きる私たちは、悠長に終わりの時を待っていてはなりません。時は迫っているのです。それゆえ、熱心になって働き手の派遣のための祈りをささげるべきでしょう。「ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように」と。

感謝と祈祷

インドネシア派遣宣教師 田村 成幸

田村先生

● 近況報告 ●

先日の事務集会で宣教師への新しいサポート先を決める事が出来ました。これまでは、フィリピン人宣教師でバングラデシュに派遣されていた方を支援していたのですが、サポート送金の方法が無くなってしまったので支援を断念していました。そこで新しいサポート先を祈っていた所、新たなサポート先を示され、今後その働きを支援していく事が決まりました。私共の教会は、まだ伝道所ですが規模の大小にかかわらず、全世界への福音宣教に重荷を持つ教会を建て上げる事が出来るように祈っております。また、長い期間、組織独立を祈っておりますので早期に実現するように続けてお祈り頂けましたら感謝です。
私共家族は、皆元気にしております。お祈りに感謝致します。ただ、これまで元気だった義父が転倒して骨折し、既に1ヶ月以上入院しています。そこで、義父を我が家に引き取る事に致しました。今後の義父の介護、特に家内が全面的に奉仕していますが、彼女もリハビリ中の身でありますので、主の守りがありますようにお祈り下さい。また義母の介護は、義母方の子息にお願いする事となりました。

● 祈りの課題 ●

① インドネシア宣教の祝福と拡大
② スラバヤ南バプテスト教会の組織独立
③ クランジ・バプテスト教会の祝福
④ ネンゴラン師、タンブーナン師の為
⑤ 田村家族の守りと親兄弟の救いの為
⑥ 経済的祝福と守りの為
⑦ スラバヤ後の働きが具体的に示されるように

 

インドネシア派遣宣教師 広瀬 憲夫

広瀬先生

● 近況報告 ●

9月10日発熱、三日間様子見自宅療養後、病院で検査、新型肺炎ウィルス陽性判明。2週間分の投薬と自宅療養継続。最初の1週間で微熱症状も消え、2週間後から毎週検査、10月21日に陰性。それから10日間の自粛期間を経て解放となる。発熱直前に教会壮年たちとの交わり会を行っていたが、感染拡大とならず平安をいただいた。
多くの方にお祈りいただき、大変感謝です。神様の働きかけへの期待を試されるような期間でした。同労の牧師たちの支えと差し入れの食事で1か月半を過ごせました。
自覚症状がなくなってから自粛期間はオンラインでの交わり、聖書の日々の黙想の配信などにあずかる。

● 祈りの課題 ●

① 青年たちの信仰の成長、福音宣教の働き人として整えられていくように
② メディアを通した「証し」作成を通じても、教会の伝道力が向上するように
③ メダン北部伝道が教会形成に向けて進展できるように

 

香港/東アジア派遣宣教師 吉田 正治

吉田先生

● 近況報告 ●

7月、香港国家安全法が施行され、それまでのデモの自由も無くなり、集会もコロナの関係で禁止。四人以上の集まりが禁止されるが、教会は宗教上の集まりなのでお咎めなし。しかし中国が直接統治し出したので教会の締め付けもいつ始まるか分からない。実際、法人格の取得や、新しく来た宣教師のビザの取得は厳しくなっている。
8月、第13回青少年宣教キャンプを八ヶ岳で開催。リモートも併用する。主催であるコーナーストーン教会からは誰も参加できず、私たち夫婦もリモートで参加。各メッセンジャーも会場とリモート混在だった。仁戸名教会のご努力に感謝。大変に意義ある、非常に恵みあふれるキャンプでした。
9月、ずっと集会禁止令が出ていて、2人以上の集会禁止だったのが4人以上になり、教会に人が戻ってくる。出席は夏中一桁だったが、やっと二桁に戻る。
10月、宣教月間で、毎週違う婦人宣教師に証しをしていただく。一週目西村富美枝師、二週目ビデオで鈴木しのぶ師、三週目台湾のエミリー師。四週目は国際昼食会で、出席も20名を超える。コロナ禍でほとんどの教会が集会をしていない中で、集会を続けられることに感謝。

● 祈りの課題 ●

① コロナ以外の理由で教会に来られていない兄姉たち・黒須兄、澄江姉、ミッキー兄、ミニー姉、フィリピン人のヴィルマ姉、マリアン姉のために
② コーナーストーンがさらに多くの魂の救いの場所となるように
③ 尋ねることができなくなってしまった、内地Y師の教会、チャン兄の按手と牧会の働き

 

ハワイ派遣宣教師 上久保 崇

上久保先生

● 近況報告 ●

ホノルル市ではコロナ感染対策として9月から感染者数と陽性率によって四段階で規制緩和がされています。10月末に二段階目となり、家庭での集会は5名まで、教会では収容人数の50%までが集まることが許可されています。クリスマス礼拝は二つに分けている礼拝を合同にして、賛美を歌うことも出来ればと祈っています。
日曜学校には三家族7名の子供が忠実に集っています。9月から創世記の学びが続いていますが、今までにないほどに良くお話を聞き的確な質問や意見があるそうです。その中でカイダちゃん(10才)が明確な信仰告白に導かれました。
10月は宣教集会と31日の子供会も規制の中ですが祝された時を持つことが出来ました。11月の感謝祭と12月のクリスマスの伝道の機会の導きと知恵を祈っています。

● 祈りの課題 ●

① 現在中止されている伝道(公民館や高齢者ケア施設での集会)の再開
② 核となる教会員がさらに加えられること
③ 新なる伝道を始めるために協力伝道師の招聘の導き

宣教における独身女性宣教師の役割

海外宣教委員長 バーゲット・マイケル

バーゲット先生

聖書において

まず聖書において「宣教師」の役職名が用いられていませんので、「独身女性宣教師」の役職名ももちろん用いられていません。しかし、使徒パウロが使徒の働きにおいて宣教師として活躍したことを否定する方はいないと思います。アンテオケ教会から宣教師として派遣された使徒パウロは、決して一人で宣教の働きをしていたのではなく、絶えず多くの同労者と共に宣教に励んでいました。その同労者の中には女性の方々も少なからずいました。ローマ16章では、パウロは少なくても6名(フィベ、プリスカ、マリヤ、ユニアス、ツルパナ、ペルシス)を女性同労者と呼び、その働きに感謝を述べています。ここから使徒パウロが宣教活動において女性同労者をも多いに用いていたと考えられます。もちろん、これらの女性同労者は指導的立場をとることはなく、主によって女性として許される範囲で宣教の働きに仕えていたのです。

世界宣教の歴史において

世界宣教の歴史を見ても、多くの独身女性宣教師の働きを見ることができます。よく知られた女性宣教師として、マリー・スレッサー(ナイジェリアへの宣教師)、エミー・カーマイケル(インドへの宣教師)、エリザベス・エリオットとレイチェル・セイント(エクワドールのワオダニ部族への宣教師)などが思い浮かびます。統計上、宣教師の四分の一ほどが独身女性宣教師であるとも言われています。
もっと身近なところでは米国フェロシップの初代宣教委員長のダネルソン先生は、スウィート婦人宣教師(未亡人)の証により、中国宣教への重荷が与えられ、主の召しを確信し、米国での牧会を退かれて中国宣教に出かけました。スウィート婦人宣教師と他に二人の独身女性宣教師が中国の上海に戻り、ダネルソン先生ご家族の来中の時を待っていました。待ちながら、彼らは以前から始めていたセントラルバプテスト教会での奉仕で主に仕え、ダネルソン師が上海に来られた後も同師と共に主の働きに励みました。
その後、共産党によって中国から退去させられたダネルソン先生は、米国フェロシップの初代宣教委員長となりました。BBFI創立初期から独身女性宣教師が世界宣教の働きに送り出され、現在も、米国の諸教会から20名ほどの独身女性宣教師が送り出されています。幸いにも現在、その内の2名の先生が日本宣教で働いておられます。

日本宣教において

独身女性宣教師の働きは日本宣教においても数多く見られます。フェロシップと関わりのある先生達としては、ルイーズ・メーヨー先生、グレナー・リッテル先生、マーサ・カクラン先生、ルツ・キング先生、デニーン・エイカーズ先生などをあげることができます。また、クララ先生もマーズデン先生の召された後、宣教師として独りで再び来日され、滝山BBCで(ラジャス先生と結婚するまで)活躍されていました。
さらに、国内宣教活動に関わられた独身女性伝道師も多数おられました。代表的な先生として、清水の辻昌先生熊谷の横田啓子先生、調布の辻恵先生などをあげることができます。今もフェロシップの諸教会では実に多くの独身女性伝道師とさらに女性伝道師が活躍し続けておられます。非常に乱暴な言い方をすれば、独身女性宣教師は独身女性伝道師の海外版です。これまで私たちが身近で見てきたお働きを海外で行うのです。
これらの独身女性宣教師や独身女性伝道師たちは決して指導権を握ることをせずに、女性伝道、児童伝道、宣教の様々な分野において励み、豊かに主に用いられてきました。彼女達の主へのご奉仕を本当に感謝いたします。

独身女性宣教師のお働きの特質

確かに、独身女性宣教師は説教や牧会など、できないことは少なからずありますが、他に多くのことができるのです。イエス様の時代からそうであったと思いますが、教会には女性たち、子どもたちが多く集います。そのような中での働き場が数多くあるのです。むしろ男性にはない賜物を多く与えられており、女性や児童に伝道し導くのには、男性以上に適任であるともいえます。

鈴木しのぶ宣教師のこと

鈴木先生がが台湾と東アジアに一日も早く出発できるように共にお祈りください。また、先生のお働きへの宣教献金についてお祈りくだされば幸いです。主が先生を豊かに用いてくださることを期待しつつ、皆で応援していきましょう。

 

今の働き、今後の働き

台湾/東アジア派遣宣教師 鈴木 しのぶ

私は救われて、仕事をしながら中高の教員免許を取得しました。学校の教員になれば、多くの子どもたちの名前を知り、子ども達の救いを祈れると考えたからです。「子ども達にイエス様のことを伝えたい」と願ったのは、17歳で初めて福音を聞いて感動したからです。高校時代アメリカに11か月留学し、田舎の素朴なクリスチャンの夫婦に愛してもらい、身をもってキリストの愛を味わいました。神様が私にしてくださったこの素晴らしいことに、時が経つほど感謝しています。

私が「宣教」「伝道」について初めて聞いたのは、2007年9月に滝山BBCで行われたJBBFの宣教大会でのことです。「子ども達にイエス様のことを伝えたい」という願いは、「宣教」というもので、私には宣教の重荷が与えられていると合点しました。この集会で神様の招きに私は応え、前に出て祈りました。

その後、私は教員としてキリスト教系の私立中高一貫校に3年間勤めました。2014年8月から神学校で学びと訓練をいただき、卒業論文を通して与えられた召しに向き合いました。神学校を卒業した後、2017年11月に吉田正治宣教師ご夫妻を通して香港とY市の教会に連れて行っていただきました。そこで信仰を働かせるクリスチャン達には格別な喜びがあるのを見ました。これを機に、主は私に東アジア宣教の重荷をくださいました。

2018年4月から3か月間、米国フロリダ州にある私の牧師スミス先生の母教会で訓練をいただきました。私は、日曜学校で主に仕えるための知識や技術を求めましたが、むしろ神様と人への愛、子ども伝道の情熱をいただいて戻りました。また、働き手が足りないのは日本や東アジアだけではない、アメリカでもそうなのだということに衝撃を受けました。世界中どこでも、いつの時代も「収穫は多いが、働き手が少ない(マタ9:37)」のだという現実が胸に刺さりました。

2019年の4月から約2か月間、再び香港を訪ね、吉田宣教師ご夫妻にご指導いただきました。香港は正に東アジア宣教のハブでした。大陸に聖書を運ぶ人や、大陸で聖書の学びを導いている人たちに出会い、多くの教会が大陸の教会や宣教師をサポートしている姿を目撃しました。ある地域が閉ざされると香港に一時滞在し、その間、開けた地域を探して次はそちらに行く姿を見ました。東アジア宣教は表立って目には見えませんが、確実にうねりをもってしたたかに行われていました。また台湾の高雄にも1週間滞在し、吉田宣教師の台湾時代からのお知り合いの先生方とお会いしました。公立の幼稚園や小学校、特別支援の幼稚園を訪問して福音を伝えるのに同行しました。また一緒に高齢者施設を訪問し、台湾語話者や日本語話者の方々と私も交わり、賛美や証をする働きに加えていただきました。私と東アジアを結ぶものはないように見えましたが、確信を求めて祈ると、主は「主がお入用なのです」(ルカ19:31)というおことばで答えてくださいました。

2019年9月に若葉聖書バプテスト教会は、東アジア宣教の第一歩として台湾に私を宣教師として遣わすことを決議しました。まず台湾の地方教会で主にお仕えしながら北京語を学び、大陸の人々に福音をお伝えする道を探り、機会をとらえたいと願っています。私は何も特別なことはできず、何も成し遂げたこともありません。しかし神である主が人の救いのためにすべてを成し、JBBFの先生方が私をも愛し、その真実を私にも語ってくださいました。こんな私をも入用と言ってくださる主にお従いし、またお交わりをいただいているJBBFの諸教会の先生方や兄姉と共にこの道を進みたいと願っています。

 

 

宣教師の召しの恵み

日本派遣宣教師 バーゲット・ヨナタン

私は、昨年の8月に宣教師としてアメリカから来日したヨナタン・バーゲットです。私は主が私たちを日本への宣教師として召して下さったことを確信しています。しかし、そこに至るまでには2年程かかりました。その間、主は様々なことを通してこの召しを明確にして下さいました。今回はそのことについてこの紙面に書こうと思います。

最初の出来事は、私の救いです。子供の頃に救いの決心をしましたが、長い間そのことについて悩み続けていました。やっと明確に救いの決心ができたのは25歳になってからでした。その後、主はすぐに私の人生に働きかけて下さるようになりました。主によって変えられた私は、それから教会の奉仕にも加わるようになりました。

二番目の大きな出来事は、3ヵ月の日本滞在です。家族と共に3ヵ月ほど来日する機会が与えられました。アガペ聖書バプテスト教会のスタンフォード師ご家族の留守中の手伝いをするために来日したのですが、なんと職場が与えられ、結果的に「給料付きの短期宣教旅行」になったのです。この経緯の全ては奇跡としか言いようがありませんでした。
本当に楽しい3ヵ月でした。妻のタビーは、主が私たちを日本に宣教師として召して下さると確信していました。実は彼女は、結婚する前から私たちが日本へ遣わされる確信があったのです。
しかし、私自身はまだ主が私たちを日本に導いているとは思っていませんでした。ですが、主はなぜこのような宣教旅行をお許しになったのか疑問が浮かびました。刺激と冒険に満ちた旅でしたが、主がこのようなことを許して下さった理由について思いを巡らせていました。そのような中、公園に出かけ、池を見下ろすベンチに座り、聖書を読みました。イザヤ書6章を通し、神がどれほど偉大なお方であるのかを思い出させられました。偉大なお方だからこそ、人生の一部ではなく、その全てをお捧げすべきだということを改めて示されました。 そして、たとえそれが宣教の働きだとしても、主の御旨を何でも行おうと決意し、主に献身しました。
三番目の出来事は、宣教師として主にお仕えするように召されたことです。これという体験や聖書箇所は特に覚えていませんが、御言葉のメッセージと特別賛美を通して宣教師への導きが示されました。

四番目の出来事は、宣教師として具体的にどこへ行くかを主に求めた時のことです。宣教師として召されたことは明確でしたが、どこに遣わして下さるのかを祈っていました。個人的には日本に帰りたかったのですが、自分の思いではなく、主の明確な導きを求めました。主が私をどこへ導かれるのか、1ヵ月間祈り求めることにしました。
主は日本宣教について、小預言書の聖書通読を通して私の心に働きかけて下さいました。オバデヤ書1章からは、(他国人も皆共通ですが)日本人の心にある高慢さと、来たるべき主の裁きについて考えさせられました。 ヨナ書1章では、困っている未信者が偶像に助けを叫び求め、真の神を知らずに生きているのを見て、『多くの日本人も同じだ』と日本を思い出させられました。 ヨナ書3章においては、主がニネベの12万人に御言葉を与えたことを通して、福音を未だ聞いていない新潟市の80万人の必要について考えさせられました。ハバクク書2章では、日本人は偶像に祈っているが、本当は主の真実な御言葉を必要としていることを示されました。 ゼパニヤ書1~2章では、主がいかに赦しを与え、あわれみを示そうとしておられるのか、そして、その「時」は今ではないか、と気づかされました。
また、主は日常生活の様々な出来事をも用いて、日本への導きを示して下さいました。 仕事に向かっていたある日、橋を渡っている時に日本を思い出させるような匂いがしました。それまでに何百回もその橋を渡っていましたが、今までそう感じたことはありませんでした。主は他にも様々なことを通して、日本へと導いて下さいました。一ヶ月間の祈りの後、主の様々なお働きを通して、主が私たちを日本に宣教師として導いておられることを確信しました。

私は主の召しを心から感謝しています。今後、主が私たちをどのように用いて下さるのか楽しみです。私たちのために祈って頂けると感謝です。今回このような証の機会を与えて下さり、本当にありがとうございました。主がこの証を用いて下さるよう心からお祈りしています。

 

編集後記

編集者 谷井 涙賀

例年より赤や黄色が濃く色づき、マスクを付けながらの外出ではありますが、ほっと見る者の目を楽しませてくれています。10月から始まった宣教師志願者学校は、コロナ禍での開催ということもあり、新しいスタイルのオンライン形式で行われていますが、だからこそ毎回40名近くの参加者が与えられていることは感謝なことです。主のご降誕を迎えるこの季節、各地において、一人ひとりが幸いな良き知らせを伝える美しい足となり、主の救いの喜びが広げられますように。主の格別なお恵みをお祈りいたします。

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