過去の宣教メッセージ2024-11-16T09:20:33+09:00

過去の宣教メッセージ

あらゆる国の人々を弟子としなさい

カルバリの丘バプテスト教会牧師 藤沢 幸人

「ですから、あなた方は行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなた方に命じておいた全てのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなた方とともにいます。」マタイ28:19-20

家内と私がカルバリの丘バプテスト教会から招聘を受けて、伝道師として赴任したのはちょうど10年前になります。その頃、カルバリ教会は教会員が6人、礼拝出席者は平均4人でした。無牧になってから2年半が経過していました。教会は無牧になって徐々に礼拝の人数を減らしていったのでした。
私はその前年に説教者として招かれていたことがあって、その時は自分が仕える教会になるとは思ってもいませんでした。私には自分の計画があって、カルバリ教会はその選択肢にはなかったのです。しかし主のお導きは不思議なものでした。私たちが伝道師として仕える道がことごとく閉ざされ、伝道師として要請されていたカルバリ教会しか進むべき道がなくなってしまったのです。

着任した私たちが先ずすべきことは、礼拝を活気のある集会にすることでした。20年前に教会が始められた当初の礼拝の人数が14人だったそうなので、少なくても10人が集う礼拝にできないものかと思いました。

神様のお導き

神様のお導きは本当に予想外でした。私たちが赴任した翌週には近所に住む70歳くらいの男性が与えられました。教会としては数年ぶりの新来者でしたが、女性っぽいしぐさの男性でした。そして翌月には一人の30歳台のアフリカ人男性が与えられました。清水の町を歩いていてもなかなか黒人には出会わないのに、数少ないアフリカ人が礼拝に見えたのです。

彼は熱心なクリスチャンでした。教会に来るなり、すぐにお祈りを数分間捧げるのです。その人は翌週、別のアフリカ人の友人の男性を連れてきました。その連れられて来た男性が、現在家族でカルバリ教会で仕えてくださっている兄弟です。

その人達は西アフリカのカメルーン人で、通常は英語で話します。カルバリ教会には、娘さんが米国人と結婚し海外で生活されている信徒さん2名がいました。ですから教会として外国人に対する違和感は比較的ありませんでした。

しかし、問題は私たち伝道師の方でした。英語が全く話せません。アフリカ人とのコミュニケーションは、最終的には身振り手振りでした。神様のお導きは私たちの希望や予想をはるかに超えていて、そのご家族ともう一組のカメルーン人ご家族がそれから約8年間集っておられ、現在では彼らが礼拝の司会を始めとするご奉仕の中心となって働いています。結果的に、彼らが司会をする礼拝は英語で進められる礼拝です。賛美も英語の聖歌集を10冊以上大泉のめぐみバプテストテンプルからいただくことができましたので、日本語と英語で同時に賛美しています。

昨年までは、日本語と英語の方々が半々でしたが、今年になって教会員が4人増えました。内訳は、英語の方が3人、日本語の方が1人で、全員フィリピン人です。長い間祈っていた通訳ができる人も与えられて、教会全体の意思の疎通が大変スムーズになりました。日本語と英語が自然に混ざり合った新しい教会がようやくスタートしようとしています。

どんな人でも受け入れる

カルバリ教会の外国人の信徒の皆さんは、母国で熱心に教会に集われていた方々でした。カメルーン人の彼が集うナイジェリアの教会は300人が集う教会だそうです。皆さんが育った教会は民族や国籍の違いはありますが、それぞれが熱心に教会生活をしてこられたクリスチャンです。

外国人の人たちは、日本で礼拝できる教会を求めています。それには先ず、自分たちを受け入れてくれる教会でなければなりません。外国人に対する偏見が強かったり、日本の教会の習慣に合わせられる人でなければ受け入れないという姿勢では、彼らを受け入れることはできません。それは彼らを拒絶したことになります。
そういう意味では、新しい伝道師を迎えてどんな人でも受け入れて、これから教会を造って行こうとしていたカルバリ教会だから、彼らを受け入れることができたのかもしれません。教会とは、伝統的な建物や習慣ではありません。教会とは集う人たちです。ですから、新しい教会員が加えられたら、新しい教会に変わって行くのは当然のことなのです。

マタイの福音者によれば、イエス様が天に帰られる時、弟子たちに一つのことを命じられました。それが冒頭のおことばです。私たちクリスチャンはイエス様の憐れみによって個人的に信仰を持つことができました。それは神様を知れば知るほど、どれほど素晴らしいお恵みであるかを、私たちは実際に体験しています。
しかしこのおことばによると、イエス様は、私たちそれぞれが信仰を持つことが、その人にとっての最終的な目的ではないことを教えています。信仰が与えられた私たちは、その次に、あらゆる国の人々を弟子としなければならないからです。それが私たちクリスチャンの最終的な目的です。それが「あらゆる国の人々を弟子としなさい。」という命令なのです。

先ず、日本の宣教を

それでは、私たちはどのようにしてあらゆる国の人々を弟子とするのでしょうか。第一に考えられることは、宣教師をあらゆる国に派遣して福音を宣べ伝えることです。そのためには宣教師を養成する神学校が必要です。日本国内で教会を開拓して教会を増やし、神学校をそれぞれの教会が支えることが必要になってきます。

私たちJBBFの群れができたのは、5組による若い宣教師夫婦たちが戦後の復興中の日本に派遣されて教会を建ち上げていった結果であると聞いています。20代前半の若い宣教師たちは、熱い情熱を持って日本の各地に散らばり、福音宣教のために働いたのだとお聞きしています。そのようにして70年が経った現在80の教会が、宣教の最前線としてその役割を果たしているのです。

日本宣教は、米国のBBFIの宣教団体だけでなく、多くの国々からたくさんの宣教師が日本に派遣されました。ですから日本はあらゆる宣教団体による教会が乱立しています。それでは日本は、多くの教会が建ち上げられてキリスト教国になったのでしょうか。そうではなかったのです。戦後の日本宣教は成功したとは言えません。全世界的な比較では、日本におけるキリスト教徒の数は全人口の1%に満たず、キリスト教が根付かなかった国という評価になっているからです。

私たちは今、語弊があるかもしれませんが、外国に宣教師を送っている場合ではないのです。先ず、日本の宣教を頑張らなければならない。今こそ福音が日本に宣べ伝えられるべきです。なぜなら、全人口の1%未満のクリスチャンの内訳は、お年寄りが多く若者が少ないからです。将来が暗いのです。

私たちのカルバリ教会は、日本の教会としては異色かもしれません。日本の教会らしくなく、英語と日本語が行き交う教会です。しかし見方を変えれば、カルバリ教会こそ日本にありながら、「あらゆる国の人々を弟子としている」イエス様の命令を実践している教会と言えるのではないでしょうか。私たちは、いろいろな民族の人たちと、ともに仲良く教会生活をしているのです。

 

自立教会を建て上げる急務

浜聖書バプテスト教会 宣教牧師 山宮利忠

それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。エペソ人への手紙 4章12節

この度宣教クォータリーの原稿を依頼され、1991年の宣教クォータリーの巻頭メッセージを開いてみました。1987年から8年間宣教委員会の責任を負わせていただいた33年も前の巻頭メッセージです。

任期2期8年間の恵みは大きく、宣教クォータリーの継続発行、宣教センターの設置、宣教ハンドブックの発刊、宣教委員会によるインドネシアと台湾をそれぞれ宣教地視察、米国での宣教委員会との交わりと宣教師志願者学校参加、そして田村、吉田、広瀬、堺、稲葉5組の宣教師の派遣式、私を含めて5名の委員の先生方と共に10組の宣教師の派遣をビジョンにしてご奉仕をさせていただいた時期でした。

私の当時書いたクォータリーのメッセージは、今も必要なメッセージであると思わされ、そのメッセージの趣旨は自給自立教会の建設こそが海外宣教の土台であるというものでした。教会の自立は、現在も宣教活動において急務であると思われます。

第一に、宣教の目的は、主のおからだなる教会を建設することにあります。

「それは聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。」(エペソ4:12)

エペソ書によれば、主がお立てくださった伝道者の使命は、教会を建て上げることにあると教えられています。宣教の第一目標は、たましいの救いであることは当然のことですが、救われたたましいが主のおからだなる教会につながり、養われ、育てられ、訓練されて神の栄光を現す器として用いられることが主のご計画なのです。

驚くべき成長を示した初代教会の姿には、明確に聖徒の成長と数の増加が記録されています。

「そして、主を信じる者たちはますます増え、男も女も大勢になった。」(使徒5:14、6:7および9:31も)
数を求めて伝道することは本末転倒ですが、教会の成長には、より多くのたましいの救いが伴います。全ての人が悔い改めに導かれ、救われることが主の求めであれば当然のことです。そのためにこそ、主はご自身をお献げになりました(エペソ5:25)。聖徒が神の家に集められ、成長した結果、救われるたましいは増加しました。

教会は数ではないとよく言われますが、それは聖書的でしょうか? アメリカ諸教会訪問の際、多くの聖徒が集まる祝された教会の牧師に「教会は数ではなく、質でしょう?」と問うた時に、その牧師は「質が良ければ、数は必然でしょう」ときっぱりと答えられました。

課題は、たましいがしっかり教会に留まり、教会を自分の霊的な家として育まれていくことです。それは、霊的・信仰的指導がないと実現しません。すなわち適切な牧会がないと難しいのです。また、教会は会堂ではありませんが、救われるたましいが多く集まれば、当然会堂が必要となり、その会堂は教会の存在を証しし、さらに多くのたましいに知られて、救われる者も起こされるのです。貧しくてみすぼらしい会堂での伝道活動より(実は私たちも最初はそうだったのですが)、主の家として相応しい美しい会堂となれば、伝道の助けとなるに違いありません。そのために教会には力がなければなりません。

まず教会を築き上げることが、生まれた教会の使命なのです。

第二に、宣教の使命は、力ある教会を建設することです。

「そればかりか教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。」(エペソ1:23)

弱い身体では十分な働きはできません。キリストのおからだである教会も弱ければ十分な働きはできないのです。

私も年を加え、かつ病を負い、若い時にできたことができなくなりつつあります。やはり健康体であることこそが重要なのだと痛感する日々です。教会も同様、健康体であればより良い働きができるわけです。

主のおからだとしての教会に一致と力があれば、極端に言えば何でもできる、と今まで牧会してきた経験を通して証しすることができます。一致がなければできることもできないのです。

聖徒の集まりである教会が成長を遂げて、自給自立、自主独立を果たせば、自らの働きを支えることができるだけでなく他の働きにも支えの手を伸ばすことができ、献身者も起こされます。

わずか1%のクリスチャン人口という現実の中で、力ある教会を建設することの困難さは、充分に経験してきました。時には呟き、諦め、くすぶり、燃え尽き、言い訳もありました。しかし、主の命令とみこころは、全てのたましいが悔い改めて救われることなのです。「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。」(Ⅰテモテ2:4)。このみこころを変えることは、私たちにはできないのです。

力のある教会を建設することができれば、牧師を豊かに支え(Ⅰテモテ5:17)、宣教師をより多く支えることができ、伝道所を生み出すことができます。母なる教会がその子どもである伝道所を生み出せないとしたら、主はお喜びくださるでしょうか。

第三に、教会に必要なのは、宣教のビジョンです。

来日宣教師からは、ビジョンの必要を強く教えられました。私たちにビジョンが足りなかったということなのでしょう。

主のみこころは、全世界に福音を伝えることであり、「使徒の働き」によれば、最初の教会の模範は進展、成長、拡大です。この志を持つことが私たちには必要なのです。しかも具体的なビジョンが必要です。

以前、献身して神学校に学んでいた学生にビジョンの必要性を語ったことがありましたが、不評でした。神のために大いなることを期待する志が失われつつあるように思えて残念でした。いつの間にか困難に潰されて消極的になり、神のことばだけを忠実に伝えてさえいれば良いのであって、ビジョンを持っても実現は無理だという風潮が蔓延しつつありました。

50年間の横浜での牧会を終えて、宣教牧師の立場で、「伝道者の墓場」などと言われている茨城県つくば市での伝道に遣わされました。たしかに都会での伝道との違いを痛感する8年間でしたが主に期待し、自分のできる最善で主に仕えた結果、主は憐れみをもって信徒を与え、会堂を与え、後継者を与え、自給自立教会として独立を可能にしてくださいました。伝道生涯の終末期を迎えた私たち夫婦にとっては、大きな励ましと慰めでした。ただただビジョンをもって真剣に主にお願いして働いただけだったのです。

復活の主は、今も生きてお働きくださいます。

「イエスは彼女に言われた。「信じるなら神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか。」(ヨハネ11:40)

今、必要なのは主に在るビジョンであり、主への期待です。これは、主への信頼とも言えるでしょう。

私たちの働きは、神にどれほどの期待をしつつ全力を尽くすかなのではないでしょうか。

福音宣教の目的は、たましいの救いと主のおからだである教会の建設です。しかも強い自立教会の建設です。これを実現するには、現実を見れば程遠いのでしょうが、主を見つつ、主のみこころに従うのです。そして、全能の主を信じて求めるのです。

海外宣教の祝福は、教会の自給自立にかかっています。

これは、急務なのです。

次世代が宣教に燃えるには

仁戸名聖書バプテスト教会伝道師 小林 太秀

「主はヤコブのうちにさとしを置きイスラエルのうちにみおしえを定め私たちの先祖に命じてその子らに教えるようにされた。後の世代の者生まれてくる子らがこれを知りさらに彼らがその子らにまた語り告げるため。」詩篇78篇5~6節

後の世代の者を教えなさい

「後の世代の者を教えなさい」これは神がイスラエルの民に繰り返し命じられたことの一つです。またパウロもテモテに向かって「私から聞いたことを、ほかの人にも教える力のある信頼できる人たちに委ねなさい。」(Ⅱテモテ2:2)と言い、次なる働き人を育成するように言いました。ところでなぜ聖書は後の世代の者を教えていくことを重要なこととして教えているのでしょうか。その最大の理由は後の世代は自然には育っていかないからです。もし私達が何もしなくても後の世代の者が自動的に育っていくのなら、神はこれほどまでに繰り返して「後の世代の者を教えなさい」ということは言われなかったでしょう。もちろん「門前の小僧、習わぬ経を読む」ということも事実でしょう。私自身も牧師の子供として生まれ、日曜日は教会に行くなどといった生活習慣は自然と身に着いていきました。しかし自分自身の信仰の確立や献身について振り返った時、ジュニアキャンプや青少年のためのプログラムから大きな影響を受けたことを覚えています。それらは後の世代を教えるために“意識的に計画されたプログラム”でした。誰かが後の世代のためにキャンプなどを計画し、犠牲を払って奉仕してくださったので私は信仰的に大きく成長できました。

「後の世代は自動的には育たない」が真実であるなら、宣教に対する重荷も自動的には与えられないということになります。特に海外宣教は私達の日常にはありません。後の世代が宣教に燃やされていくには、海外宣教について知り、それを自分のこととして受け止めていくことができるような体験が必要となってきます。特に若い人々の信仰成長にとって宣教の重荷を持つことは大変重要です。なぜなら人生において最も重要で価値あるものは何か、ということがはっきりしていなければ、それほど重要でなく大した価値もないようなものに人生を費やすようになってしまうからです。この世には若い人の興味を惹きつける様々なものがあふれています。しかし私達の時間やお金には限度があるので、何に時間とお金を費やしていくか賢く取捨選択をしていかなければなりません。その際の取捨選択の基準は「自分にとって価値あると思えるかどうか」です。人は自分にとって価値があると思えるもののためなら喜んで時間とお金を費やしていくことができます。若い人は教会が真面目臭くて楽しくないから教会から離れていくのではありません。教会よりもこの世が提供してくれるものの方が自分にとって価値があり、優れたものだと思ってしまうから教会を離れてしまうのです。

福音宣教の働きの価値

「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。」(ヨハネ3:16)とあるように、神様はイエス様をお与えになるほど失われた魂を救うことに価値を見出していました。イエス様はご自分の命を犠牲にしてまで人間を救おうとされました。神様の目から見て失われた魂を救うこと以上に重要で価値ある働きはないのです。そしてこの福音宣教という価値ある重要な働きを行うことができるのは救われたクリスチャン以外にいません。私達が他の人よりも先に救われたのはまだ救われていない人に福音を伝えていくためです。若い人が若い時に救われたのにも神様の計画と意味があります。若い人にはまだ多くの時間が残されています。その長い人生を福音宣教のために費やしていくことができるのは素晴らしい恵みだと思います。もし若い人が本当にこの福音宣教の働きの価値を見出すことができるなら、自ら進んで教会に通い、聖書を学び、奉仕をしていくようになるでしょう。またもっと神様の力と助けを求めて熱心に主を祈り求めるようになっていくでしょう。そして自分の進路を考えるにあたっても当然、宣教師や牧師という選択肢も含まれ、そのことについても祈るようになるでしょう。しかしもし若い人が福音宣教に価値を見出すことができないなら「教会生活は必要最低限にしておいて、世のことに沢山エネルギーを注ごう」ということになってしまうのではないでしょうか。若くして救われたという恵みを無駄にしてしまうのはなんと大きな損失でしょう。神様はその人を用いたいと願っておられて、その人を通して救われるはずの人がいたかもしれません。しかしそれを全く無視してしまっているのです。それはあたかも親切なサマリア人の例えに登場する祭司やレビ人のようなものです。彼らは聖書知識には精通していましたが、目の前に横たわっている死にかけの旅人を救おうとはしませんでした。「自分にはもっと他にやるべきことがある」と考えてしまったのがその一因でしょう。神様は彼らにこう問われるのではないでしょうか。「目の前にいる死にかけの人を救うこと以上にやるべき大切なこととは一体何なのか」と。命を救うことの価値や重要性が分かっていないと優先順位がおかしくなってしまうのです。これは失われた魂についても言えることではないでしょうか。

若者が宣教に重荷を持つために

さて、後の世代が自動的には育たないのだとしたら、宣教に対する重荷が与えられるような若者向けのプログラムが必要になってきます。後の世代を育てることは主から与えられた私達の責務なのです。感謝なことにJBBFでは海外宣教委員会の発案により、青少年宣教キャンプが2008年より開始され1回も途切れることなく毎年夏に行われています。また諸教会でも若者が宣教に重荷を持つための様々なプログラムが行われていることでしょう。多くの人の献身的な奉仕によって宣教キャンプは支えられています。宣教キャンプに限らず次世代の育成には多くの労力と時間がかかります。これはすぐに結果を見ることができない困難な働きです。しかしすぐに結果が見えない困難な働きだからこそ、後回しにせず今から地道に取り組んでいく必要があるのです。そこで必要とされるのは主のため、次世代のために自らをささげる働き人です。未来のために今をささげる人が求められているのです。

今日をささげる

インドにあるコヒマという場所は第二次世界大戦中における激戦地の一つでした。各地から招集された兵士達は敵の手から祖国と愛する人を守るために必死に戦い、命を落としていきました。コヒマにはそこで命を落とした兵士4064名の墓が建てられており、その墓石には次の言葉が刻まれているそうです。「故郷に帰ったら家族に我々のことをこう伝えて欲しい。“あなた方の明日のために我々は今日を捧げた”と」。未来はこのような献身的な人達によって築かれていくのです。明日の宣教を担う次世代のために私達も今日をささげていこうではありませんか。

ペルシアの離散民

名古屋聖書バプテスト教会 上田 平安

「ああ、主よ。どうかこのしもべの祈りと、喜んであなたの名を恐れるあなたのしもべたちの祈りに耳を傾けてください。どうか今日、このしもべに幸いを見させ、この人の前で、あわれみを受けさせてくださいますように。」ネヘミヤ記1:11

ペルシア帝国に離散していたユダヤ人

今から2500年前、ペルシア帝国がアジア、アフリカ、ヨーロッパの三大陸をまたにかけ、「史上初の世界帝国(阿部拓児氏の表現)」として君臨していました(エステル記1:1)。当時、かつてのイスラエルを含む地域は、アラム語で「アバル・ナハラ(エズラ記 5:3原典)」と呼ばれる行政区に編入されて国家的な独立を失い、ユダヤ人たちは各地に離散して生活していました(エステル記9:16)。というのも、紀元前587/586年に、バビロン王ネブカドネツァル軍の侵略によってエルサレムは既に陥落しており(第2列王記25:1-12)、イスラエルの地における王国の制度は、終焉(しゅうえん)を迎えていたからです。残虐な侵略者たちに降伏したユダヤ人たちや、その他の戦火をまぬがれた者たちも異国の地に捕え移され(第2列王記25:11-12)、ユダヤ人たちは祖国を失って離散民となってしまっていたのです。

ペルシア帝国における離散民の哀願

エルサレムを廃墟とし、多くのユダヤ人を捕らえ移したバビロニア帝国は崩壊し、メディアと合体したペルシア帝国が世界の覇権(はけん)を握りました(ダニエル書8:1-20)。ペルシアが世界を治めるその時代には、ユダヤの離散民が帝国の心臓部で活躍していました。若い時分にバビロン捕囚を経験し、バビロニア帝国からペルシア帝国へという時代の転換期を経験したダニエル(ダニエル書1:1-12:13)、ペルシア王アルタクセルクセスに献酌官という責任ある立場で仕えたハカルヤの子ネヘミヤ(ネヘミヤ記1:1、11)、クセルクセス王の寵愛(ちょうあい)を受けたエステル王妃(エステル記1:1-9:32)、クセルクセス王の次の位に就き偉大なる者と称えられたモルデカイ(エステル記10:1-3)をその例として挙げることができます。

ダニエル、ネヘミヤ、エステル、モルデカイに共通していたのは、同胞を思って哀(あいがん)したということでした。ユダヤ人たちの惨状を嘆き、その嘆きが哀願へとつながりました。廃墟となったエルサレムの方角に窓を開いて祈ることを良き習慣としていたダニエルは、エルサレムの荒廃の期間が満ちるまでの年数が70年であることを悟りました(ダニエル書6:10、9:2)。そして、彼は「追い散らされた先のあらゆる国々にいる、すべてのイスラエル(ダニエル書9:7)」のことに思いをはせ、深い悔い改めをもって、廃墟となったエルサレム神殿のすみやかな復興を神に哀願しました(ダニエル書9:1-19)。ネヘミヤもまた捕囚の生存者たちの困難と恥辱(ちじょく)を嘆き、城壁や城門が焼き払われたエルサレムを思って主に嘆きの祈りをささげ、アルタクセルクセス王に都の再建許可を願ったのです(ネヘミヤ記1:1-2:5)。さらに、ペルシア帝国全体に離散しているユダヤ人たちがジェノサイド(=集団虐殺)による民族消滅の危機に瀕(ひん)しているとき、モルデカイは帝都スサで粗布(あらぬの)をまとって嘆き、世界中のユダヤ人たちもまた悲劇の通達を知って、断食をしながら悲しみの声をあげました(エステル記4:1-3)。また、ペルシア帝国のすべての州において、ユダヤ人が老若男女すべて根絶やしにされる悪夢の日が迫る中、エステルは命を賭(と)して世界帝国の王クセルクセスにユダヤ人の助命を嘆願して聞き入れられたのです(エステル記7章)。嘆く力、哀願する力を主によって与えられた離散するユダヤ人の声が世界に鳴り響き、ついに天の神が動かれたのです。ペルシア帝国の時代、多くのユダヤ人たちが祖国に帰還し、エルサレムの神殿は再建され、民族的消滅をまぬがれ、エルサレムの城壁も建て直されるという奇蹟が起こりました。

「離散民化」する世界

ところで、ある宣教学者が21世紀の人口学的特徴は世界規模の「離散民化」にあり、それに応じて宣教のあり方も変化しつつあるという見解を提示しておられました。バビロン捕囚によって捕らえ移された人々が離散民としてペルシア帝国に生きていたことを学びましたが、現代では、人々が内戦、飢饉、宗教弾圧、政治的、経済的理由等によって空間的な移動を余儀なくされるという現象が、世界中で大規模に起きているのです。そして、多くの人々が祖国を離れて「離散民」として生きているという現実が、21世紀のひとつの特徴であると言われます。2000年の統計では移民の数が世界総人口の3%でしたが、2020年の統計ではさらに増加して3.6%になりました。

ペルシア語圏の離散民

かつてアケメネス朝ペルシアの主要な地域であったイランやアフガニスタンも、「離散民化」の歴史をもつ国々です。イランでは1979年にイラン革命が起こり多くの人々が祖国を離れました。同年、ソビエト連邦がアフガニスタンに侵攻して内戦が始まり、アフガニスタン全土で600万人が難民となりました。また、最近では2021年8月、駐留外国軍の撤退にともない、イスラム主義勢力のターリバーン(Ṭālibān)が復権して、数十万人規模の避難民が発生したことは記憶に新しいでしょう。名古屋市でもアフガニスタンの方々が事実上の難民として生活をしておられます。

私事ですが、ずいぶん前から、ペルシア語を話す人たちに特別な感情があります。近所にイラン人の家族が住んでおられたり、高校時代の親友がイランにルーツがあってペルシア語をよく教えてもらっていたのがその理由だと思います。2001年にアフガニスタン紛争が勃発してからは、イランだけでなく、ペルシア語(公式名称:ダリー語)話者が多く住んでいるアフガニスタンにも興味をもつようになりました。伝道者になってからは、主のお導きにより、公立の小学校などで、ペルシア語を話すイラン人やアフガニスタン人の日本語指導や生活支援をする機会も与えられ、ペルシア語圏の方々がさらに身近になりました。しかし、残念なことに、アフガニスタンやイランから来日された方々の中には、政治や宗教の理由で、国を離れざるをえなくなった事実上の難民も多く、「離散民」としての悲しみに共感したいという感情も芽生えています。

結語

祖国に帰ることができない方々の気持ちを理解することはできませんが、ひとりのアフガニスタン「難民」の児童が、ペルシア語訛りのたどたどしい英語で私に言った次の言葉を忘れることができません。”I am very lonely, sad, and angry.”(僕はとてもさびしいし、悲しいし、怒っている。)祖国を離れて生活せざるをえなくなった子どもたちのたましいの声を聞いた思いがしました。

名古屋聖書バプテスト教会には、祖国を離れざるをえなくなったペルシア語圏の方々が、時折、礼拝や特別行事に参加してくださいます。福音の種を少しずつまいています。まだ信仰告白をした方はおられないのですが、いつか、ペルシア帝国に住んでいたあのユダヤ人の離散民たちのように、異国の地で主に叫び求め、主に真の救いを哀願する者となれるようにと願います。世界中で離散民として暮らしておられる方々に、まことの幸(さち)がありますように。

行って、弟子として、教える

インドネシア派遣宣教師 広瀬 憲夫

広瀬先生

「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」マタイの福音書 28章19~20節

世界宣教の模範者に従う

「兄弟たち。私に倣う者となってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。」(ピリピ3:17)

戦後まもなくの日本に、突然吹き始めた風に乗って、とでも言うように御霊に導かれて来てくださったラージャス宣教師ご夫妻は、外国人と身近に接したことがなかった田舎者の私にとっては、「世界」そのものでした。

私がイエス・キリストを信じて救われた調布バプテスト・テンプル(現 調布聖書バプテスト教会)で印象的だったのは、救われて間もない私に普通の青年教会員が熱く世界宣教を語ってくれたことです。そのような教会を建て上げるために、宣教スピリットを育てるために長年に渡って調布の教会、いえ、フェローシップと共に歩んで下さったラージャス師の存在そのものが、敵をも隣人とみて愛し、「行って」との御言葉に従って遠路はるばる出かけて実践する世界宣教とは何かを現していると思います。行ってなすべき世界宣教とは何でしょうか。

告知する働き

第一に、お一人の神が一つの世界、一つとなるべき人間を創造して下さって、神が人と共にいて下さることを実現するために贖いがなされたことを告知する働きです。祈りは、共におられる神との会話。それを実感させてくれたのがラージャス先生でした。

相談事に行くと必ず言われる言葉が、「兄弟、祈りましょう」。神こそが私の相談事を持っていくべきお方で、私の祈りを聞いてくださるお方だ、そして答えてくださるお方、ということを実践をもって示して下さったのです。そのようにして導かれている教会で行われている祈り会もまた、二人ずつのペアで祈りの人々を経験する貴重な機会でした。教会に行き始めた頃、「この人たちは本当に神様に語りかけている!」と感じさせられた事も記憶に深く焼き付けられています。「弟子としなさい」とは、神に額ずく人を育てる働きなのだと教えられたのでした。

教える働き

第二に、世界宣教とはイエス・キリストが命じられたすべてのことを、一点一画過たずに守るように教える働きです。その「すべて」を一言で言い表すなら、キリストが弟子たちを愛したように互いに愛し合うことです。この神の真理を頭で理解するだけではなく、それに従って行動を起こすほどに、何をすれば良いのかをはっきりとわかる説教をすることです。

日曜学校でどのように視聴覚教材を使うか神学校で学んだものですが、それを礼拝説教にも実践すべきことを、ラージャス先生の説教で目の当たりにさせられました。ある時、大きなタイヤを講壇の横に置いて、このタイヤを自動車にそのままはめて使えるかどうか会衆に問いかけたのです。パット見には全くわかりません。でも自動車をよく知っている人が近くに行って調べると、バランスを調整する小さなフックがない、とわかったのです。そのままで走り出したら危険だ、小さくても重要な一点が欠けては大事故につながる、という例話でした。

世界宣教は、慣れない外国語で伝えることが基本です。微に入り細に穿つ説明を言葉ですることはできない、と諦めざるを得ない状況で、それでもなんとかしてわかってもらって、主の命令を実行できる教会を育てなければならないのです。宣教師自身が何かをすることによってではなく、教会によって神の栄光が現されるように、できることはなんでもするのが宣教なのだ、と教えられたのでした。

神への信頼

そして、世界宣教の実践は、神への信頼の結果です。鼻から息をするものを信じるのではなく、主を信じることによってなされるのが世界宣教です。弟子を創り育てるにあたって、自分が指導したことで弟子が育つと思うのは明らかに間違いです。永遠の命を与えてくださるのが神ご自身であるのと同様、成長させてくださるのも神です。今自分の目の前にいる一人の信仰者が主の弟子であって、神の御霊に導かれていることを信じて、共に活動することが求められているのです。

イエス・キリストの弟子たちが二人ずつ遣わされてでかけたように、一緒に訪問し、一緒に個人伝道し、一緒に汗を流しながら御言葉を共有することで、弟子は育てられていきます。

救われて2年目に、献身し神学校に行きたいと表明した、信仰において全く未熟な若造を、ラージャス先生は、召されたという告白の言葉に詮索も疑義も出さず、「成長させてくださるのは神である」と、神に信頼して若輩者を神学校に推薦してくださいました。入学時に持っていた参考書は、それまで使っていたハーレーのハンドブックと、入学祝にプレゼントされた、教科書として使われるギリシャ語の文法書だけでした。その後、卒業して2年間の母教会でのインターン期間を経て、諸教会訪問させていただき、翌1990年12月にインドネシアへの渡航となったのでした。

共に学ぶ

現地の人達がそれまでどのような神の導きを受けてきていたのか、神はこの人たちに今何をしようとしておられるのか。現地入りしてからは、現地の人達と共に御言葉を学ぶ日々でした。その基本は、神が命を与え成長させてくださる、という確信であり、私も共に学ぶ一人に過ぎない弟子だ、という思いです。

宣教師として、言葉で神の真理を説明することが難しい地に出ていって、これまでの歩みを振り返り、つくづくと感じたことがあります。それは自分はいかに、実際に手取り足取り、宣教師の働き方を教えていただいていたか、ということです。

母教会から二人の青年が宣教地に2週間滞在していってくれました。「赤ん坊に戻った気分」という感想でした。言葉がわからず、右も左も分からない、ただ手を取ってもらってついていくだけだった、と。
私たちは、自分を取り巻く世界について、すでによく知っている、と思い違いをしてしまいがちです。そうではなく、御霊に導かれながら日々を歩むことを体得するのが、弟子としての歩みでしょう。世界宣教に関わることは、その実践の学びなのです。神が私たちに「行って」と命じられているのは、そこで神ご自身が教えてくださることを学び取れ、という目的があるからだと思わされます。

自ら覆いを被る愚かさを知る

桶川バイブル・バプテスト教会牧師 内島 隆

私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。コリント人への手紙 第二 3章18節

主の御前における私達

ユダヤ教徒たちは、律法を守り行う自分の行いが救いに至る道だと思っていました。ところが、その思いこそが覆いとなり、あろうことか待ち望んでいたはずのキリストを、自らの手で十字架に着けてしまいました。

しかし、同じ罪人である私たちは、決して彼らをとがめることはできません。かつては「神などいない。生命は偶然の産物で進化した。」そう言って、仕事、収入、家庭、教養、健康、運勢など神ならぬものを拠り所として生きる偶像礼拝者でした。神を信じて律法を厳守しようとするユダヤ教徒たち以上に、罪の覆いのうちに閉ざされていました。

そんな私たちのためにも、キリストは人となって世にお生まれになり、その人生に寄り添い、ついに十字架の死と復活をもって私たちの罪を贖い、御国への道を開き、絶望とむなしさの覆いを取り除き新しい命、新しい人生をお与えくださいました。今日その恵は、キリストが父なる神のみもとからお遣わしくださっている神の聖霊によってもたらされています。

こうして私たちは、偶像ではなく真の神を礼拝する者とされ、鏡のように主の栄光を映し、世に向かって大いにイエス・キリストを証しする者とされました。

私の愚かさ

2018年に、ある国の地下教会を訪ねました。宣教師が昇天されて以後、捕縛を恐れることなく無牧の教会を守り続けている彼らの信仰に、励ましを得たいと思っていましたし、彼らは修養会を計画しており、御言葉の御用の依頼も受けておりました。とは言っても私は宣教師ではありません。しかも伝道者としての経験は桶川での12年だけ。加えて日本との通信手段が検閲されているため、あらかじめ打合せをすることが出来ません。現地へ行ってから準備するよりないという、じつに消極的な条件ばかり。しかしその一方で、休暇をとってまで準備をしてきた彼らの姿があっては、到底後ろを向く気にはなれません。宣教師がお使いになっていたデスクをお借りし、恐れつつ祈りつつ御言葉の準備をさせていただきました。

修養会の二日目、御言葉に様々な応答があるなかで、なんと一人の兄弟が献身したのです。夢を見ているのかと思いました。今まで私の働きを介してそんなことを言い出した人は一人もいません。どうしてこんなことが起きたのか、聖書に「これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」とありますように、聖霊なる主が彼をお召しになったからに他なりません。

そもそも私たちが授かっている御言葉には、「行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」とおっしゃるイエス様の御心が伴っているものであって、それを誰かが語るならば、聞き入れたあらゆる国の人々に、神の御業が現れるのは当然ではないでしょうか。

後にコロナ禍によって厳しい移動制限政策がなされる中、地下教会では、献身した兄弟が亡き宣教師が残したテキストを頼りに御言葉を取り次ぎ、教会を守るべく奮闘したそうです。私は「宣教師ではありませんから。」と自ら覆いをかぶっていました。それだけに「主と同じかたちに姿を変えられ」続けなければいけないことを痛感したのです。

福音宣教に励む教会へ

私たち夫婦が宣教地から帰って後、一人の兄弟が宣教地訪問をしたいと申し出ました。そこで、折々励ましを頂いている田村宣教師にお願いして、彼をインドネシアに派遣させていただきました。

帰国後、彼の報告によると、礼拝の折に救いの証をさせていただいたところ、一人の日本人求道者が、彼の証しを聞こうと出張先から飛行機で戻って来たのだそうです。

救いの証、それはイエス・キリストの福音そのものではありませんか。それを語る兄弟はもちろん宣教師ではありません。しかし、求道者に福音をもたらすことは、もとより主の御心です。福音書には、イエス様が行かれると大勢の群衆が集まってきたので、御言葉を語られたと記してあります。私たちはこの方と同じかたちに姿を変えられている過程にあります。そうであれば、兄弟が福音を語り、求道者が求めてやってきたのも、聖霊なる主の働きによることではないでしょうか。宣教師であれ、牧師であれ、信徒であれ、それぞれ与えられた奉仕の働きは違っても、授かっている御言葉と救い、そして御霊は同じです。与えられた御言葉の恵みは、自分だけに留まるものと思ってはいけません。あらゆる国の人々のためにも、主が恵みをもって私たちに託してくださっているのです。

これを機に私達は、通常の祈祷会とは別に宣教祈祷会を設け、宣教地から届けられる報告や、宣教地訪問によって得た情報を頼りに、国内外の宣教を覚えて定期的に祈ることを開始しました。

展望

昨年の桶川教会のクリスマス集会に、8名の新来会者と6名の再来者がありました。こんなことは今までになかったことで、身近にも求めている人々がいることを示されるクリスマスとなりました。

この2023年も私たちは福音宣教の働きに励み、再び覆いを被ることなく鏡のように主の栄光を映すものとして、聖霊なる主の御業にあずかり続けたいと思います。

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