ラージャス師のメモリアルサービスに出席して

海外宣教委員長 佐藤一彦

 

私たちJBBF諸教会の発展を考える時に、決して忘れてはならないことは、日本に来てくださった宣教師たちのお働きです。最近でも多くの宣教師が日本に来てくださっています。しかし、戦後間もなく、敵国であったはずの日本に敵意ではなく神の赦しと愛を分かち合うために福音を携えてやって来られた若き宣教師たちの覚悟は、今の私たちには想像も出来ない程の犠牲が伴うものだったに違いありません。しかし、その犠牲と献身的なお働きを主は豊かに祝福され、現在では日本各地に建てられたバプテスト教会の群れが、主の御名を褒め称えています。

ラバン・ラージャス先生の71年間の日本宣教のお証しについては皆さんも良く知っているところだと思いますが、誰よりも主がそのお働きをすべてご存知です。そして、その主がラージャス先生を御元に引き上げて、「よくやった。良い忠実なしもべだ。」と先生のお働きに豊かな報いを与えておられることでしょう。地上に残された私たちにとっては、先生の宣教スピリットと笑顔を見ることが出来なくなることは寂しい限りですが、先生から教えられた聖書信仰が多くの世代を超えて引き継がれているのを見る時に、イエス様の福音宣教という御業の延長線上にラージャス先生が、そして私たちがいることに気付かされます。

さて、昨年の9月にラージャス先生のメモリアルサービスがアメリカ・ミズーリー州・スプリングフィールドのBBFI宣教事務局にて開かれました。そこに、JBBFを代表して理事長の石川師、調布教会の片山師、そして宣教委員会からはスミス師と私が参加させていただきました。9日にスプリングフィールドに到着した私たちは、まずBBFI宣教事務局を訪ねました。そして、宣教委員長のジョン・カナラップ先生の御好意で建物内を見学させていただきました。あまりにも充実した設備とスタッフや委員のお働きの内容に終始圧倒されました。現在BBFIは国内の4,000以上の教会と繋がり、700人以上の宣教師を、80カ国以上の国々に遣わす地方教会とのパイプ役としての働きをしています。

そして、10日の朝10時から宣教事務局の2階にあるチャペル室にてメモリアルサービスが開催されました。当日、何人が来られるのかカナラップ先生も予想できませんでしたが、実際には40〜50人という人数に少し驚きました。しかし、ラージャス先生の年齢を考えると、その仲間も当然御高齢で、すでに天に召されている方もいることでしょう。また、アメリカは広いので来られない方や先生のことを知らない若い世代もいるでしょう。しかし、これが宣教師の人生なのかもしれないと思いました。95年の人生で71年を日本で過ごせば、当然日本の方が先生にとってはホームだったのでしょう。最後の1年を娘さんのいるワシントン州で過ごしましたが、テキサスが先生の地元ですから知っている人も殆どいない中での寂しい最後の1年であったと伺っています。

しかし、メモリアルサービスにはラージャス先生の娘さんベレンダ姉妹、ジェニー姉妹、そして、マーズデン先生の息子のデイビット兄とそれぞれの家族親族が来られており、日本からの私たち訪問者を本当に喜んでくださり、終始笑顔と日本語で交わることができました。会場には名古屋BBCを創設されたビル・ハッサウェイ先生もおられ、未だ日本への情熱を持っておられる姿を見ることも出来ました。ほんの一瞬の一時の小さな集まりでしたが、日本が主にあって、宣教国として、今もなお愛され、祈られているのだと実感させられる集会でした。

このように祝福の証しを残すことのできる人生を、私たちは主にあって日々歩み続けていきたいものです。

「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」ヨハネの福音書20章21節

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