青少年宣教キャンプの証


一つの決心

滝山BBC 杉本光太郎

僕は宣教キャンプに初めて参加しました。初参加だけれど、同教会の身内と呼べる人も多く、他教会の兄弟姉妹にも顔見知りが多かったのでとても馴染みやすく、初日から楽しく、また宣教師の先生方のメッセージもとても分かりやすく本当に来てよかったなと感じていました。

でも同年代の兄弟姉妹との分かち合いやデボーションの時間になると、兄弟姉妹の強い信仰や、心から恵まれ祝福されている様子を間近で感じ、その凄さに自分とはレベルが違う、次元が違うと勝手に一線を引いてしまっていました。今までキャンプに行くのを渋っていたのも同様の理由でした。他の人と自分の信仰は比べるものではないと分かっていながらも余りにも眩しい兄弟姉妹たちを見て、すぐに神様から目を背ける自分に嫌気がさしてしまっていました。そんな心境の中で、あることに気が付きました。宣教師の先生方との分かち合いの時や個人的に話をしているときに、宣教師の先生方は相手の目をよく見て心から話してくださることです。宣教師という職業?にパワフルで豪快なイメージを強く感じていた自分からしたら、あれだけ繊細に向き合ってくれることに驚きました。でも異国の地でたくさんの人と関わってきた宣教師の先生方だからこそできることなのかと少し合点がいきました。そして「お前はどうするんだ?」という圧ではなく、「君はどう?どうしたい?」という感じ(笑)で向き合ってくれる先生方を見て、神様からすぐ目を背ける自分でも、ちゃんと向き合わなきゃなと思えました。

また、メッセージをどこか他人事のように聞いてしまっていて冷めた感じでいる自分に、他教会の兄弟が自分のことに当てはめて聞く大切さを教えてくれました。そして自分に当てはめて考えたところ一つの決心が与えられました。父の救いです。救われていない父に伝道することに立つことを諦めた僕が立つこと。そして田村先生や上久保先生のメッセージにあったように食い下がること、諦めないことです。道は絶対に神様が用意してくれています。自分にできることはその道を歩くことだけです。神様の道が絶対に正しいことを僕は知っています。だからゆっくりでもいいから歩むことを諦めないように神様をただ信じます。本当に宣教キャンプに行くことができてよかったです。

送り出す母の気持ち

滝山BBC 杉本あゆみ

息子から、宣教キャンプに行くことを知らされたのは、わりと日も迫ってから。もう成人しているのでほとんどのことは自分で決めているし、たとえ何かに反対してももう聞くわけもなく、干渉しないようにしているので、宣教キャンプに関しても「行っていいか?」ではなく「行くから」でした。今まで宣教キャンプには行ったこともなく、むしろどうして行くことにしたのか不思議でした。理由を聞いたらもちろん「誘われたから・・」。今までどんなに勧めても行かなかったのに、どうしたのかなあと思いましたが、逆に「なんで?」とか「よかったよかった」とあまり喜んでもまた気分が変わると思い、「そう?」ぐらいの返事をしました。

でも、よくよく考えたら今はコロナ禍、何もかも中止のこの世の中で、果たしてこれは行われるのか?まあ中止でしょう・・と内心思っていました。そのうちキャンプに行くお母さんのライングループができ、そこに宣教師の先生の証、思いが送られてきました。「キャンプに行くために全て整っていること、道が閉ざされていたのに、障害をかいくぐるように道が開けたこと」それを読んで、行くことが当然のように思え、行く子ども達、青年達、先生方全員が守られないわけがないと思いました。

更に日が迫り、参加者の保護者向けのオンラインの説明会があり、そこでの吉田先生のお気持ちを聞き、準備を担ってくださった教会の先生方、青年達の熱い思いと万全な準備に感動し、コロナ番長と呼ぶには申し訳ないくらいの可憐な?看護師の先生方もいらっしゃって、この上何を望めるのでしょうか?

しかし、もちろん物理的なものは整っていますが、やはりキャンプに行く子どもたち、青年たちの大きな決断、神様をもっと近くに感じ、恵みを味わい、自分が神様に愛されていることを体験することを真に望みます。そして送り出す私は、ひたすらそのことを祈りました。

なんと大きな神様のご計画だったのでしょう。疲れたけど充実した3泊4日を終えて戻った息子の顔を見たとき、不安は払しょくされ神様の愛に感謝しました。何よりも裏でたくさんご奉仕してくださった先生方、神様を信じるが故、宣教キャンプを中止してはならないという思い。私も悔い改めました。ありがとうございました。息子は疲れた疲れたと言っていましたが、とても楽しく、たくさんの信仰の友と交われた貴重な時間を感謝しているようでした。

愛をもって語る勇気

仁戸名BBC 山路桃香

宣教キャンプに参加するのは3回目でしたが、全日参加できたのは今回が初めてでした。参加にあたって不安なこともありましたが、このように素晴らしい機会を与えてくださった神様に感謝します。

特に印象的だったメッセージでは、家族の救いのために諦めず伝道した先生のお話をうかがいました。家族に福音を伝えようと立ち上がり、神様に祈り求めたら、不思議な方法で道が開かれていき、最後は一緒にイエス様を信じるお祈りをできたというお証でした。困難な状況でも、熱心に祈り求めれば神様は応えてくださるのだ、と感じながら自分の父のことを思い浮かべました。

私の父は、まだ救われていません。私が信仰をもって教会に行くことに反対はせず、むしろ色々と助けてくれます。しかし、あくまでも、「自分は信じない。自分は関係ない」という姿勢なので、聖書の話をしたり、教会に誘ったりすると、あまり良い顔をしません。父は優しいけれど怒ると怖いので、「これ以上踏み込んだら、きっとお父さんの機嫌が悪くなる」と思ったところで身をひいてしまい、やがて父の救いのために祈ることを諦めかけていました。

そのような中、メッセージでこの御言葉が与えられました。「神の賜物と召命とは変わることがありません。」(ローマ11:29)

神様に期待して伝道を続けることを、何度も諦めてしまいました。それでもなお神様は、この召命を取り去らないで、与え続けてくださっているのだと知り、胸がいっぱいになりました。神様は本当に憐れみ深いお方です。私がもしも逆の立場だったら、とっくに罷免していたと思います。神様に感謝し、使命から背を向けていたことを悔い改めました。

こうして、父のために祈りと伝道を続けていく決心が与えられました。福音を語ることで波風を立ててしまい、仲の良い関係が壊れてしまうのではないかと恐れていましたが、父が永遠の滅びに向かっていく方がもっと恐ろしいことです。愛をもって波風を立てる勇気が与えられるよう、拒絶されてしまっても諦めずに伝え続けられるよう、祈り求めていきたいです。

また、キャンプ最終日の証会を通して、同じように家族の救いのために祈っている参加者が多くいることを知りました。互いに励まし、祈り合う関係が与えられたのも、キャンプの素晴らしい恵みでした。