ケニアの兄弟と宣教の繋がり

海外宣教委員長 佐藤一彦

太田教会が新会堂になり3年が経ちました。新会堂での2人目のバプテスマ式が去年11月に執り行われました。その方はアフリカ・ケニアから来たパウロ兄弟です。彼がバプテスマに導かれるまでの経緯は、私がウガンダ宣教師であったことと、今太田教会の牧師となったことが繋がっている宣教の働きであることを確信させるものでした。

パウロ兄はとても信仰深かった彼の祖母の影響で小さい頃から教会に行くようになりました。彼の祖母は学校教育を受けておらず、貧しい家庭に育ちましたが、他の誰よりも信仰深い人で、朝に夕に聖書を彼に聞かせ、祈ってくれたそうです。彼はそんな祖母が大好きなおばあちゃん子でした。そのおばあちゃんに連れられて教会の日曜学校に通っていたそうですが、その時はまだ幼すぎて聖書を正しく理解できませんでしたが、日曜学校クラスの子供たち全員がバプテスマを受けることになり、意味がよく分からないままバプテスマを授けられました。しかし、それで彼は自分がクリスチャンになったのだと思ったそうです。実はアフリカの多くの教会では幼児洗礼を行っています。それは、人々の救いと信仰告白を曖昧にさせている原因となっています。

彼は青年期に入り、周りの素行の悪い青年と同じように流された生活になりつつありました。そのような環境の中にあっても、常に祖母から教えられた神様のことが頭の中にあったので守られたそうです。そんな中、大学を卒業後に日本での車修理関係の仕事の機会が与えられて群馬県に来ました。しかし、異国の地で知っている人もいない環境の中に孤独や難しさを感じていた時に、再び彼の祖母の祈りや教えが心に浮かび、教会を探し始めました。そして、神様からの導きに出会うのです。

彼は毎日、職場の社長の子を幼稚園バスが来るコンビニの駐車場まで送迎していました。その送迎バスに乗っている幼稚園の先生が私の娘の喜穂でした。彼女はすぐにパウロさんに声をかけ、自分のウガンダでの生活、父親が現在も宣教師としてウガンダにいることを話しました。その後、職場の社長さんが彼のために教会を見つけ紹介してくれました。それが太田聖書バプテスト教会でした。初めての太田教会に集うと、そこに喜穂がいたので彼は大変驚いたそうです。更に、次の週にはなんと私がちょうどウガンダからファローのために日本に戻り、太田教会にいる日でしたので、そこで彼と出会うことになるのです。それ以来、彼は太田教会に集うようになり、やがて私もウガンダの働きを終えて、太田教会の牧師となり、彼とアフリカ同士の故郷話をしながら聖書の学びをするようになりました。そして、彼の信仰を確認すると、まだちゃんとイエス様を個人的な救い主としての信仰告白をしていなかったので、救いの祈りを共にしました。そして、小さい頃に何も分からず受けたバプテスマではなく、救いを確信したので、次にイエス様に従う信仰の表明としてのバプテスマを受ける決心もすることが出来ました。彼が祖母から受けた教えと彼女の祈りが、日本でウガンダ帰りの私に出合うことによって答えられ、彼の中に生きた信仰となり、今回バプテスマを受けることができたのです!

このように神様の宣教の働きは、海外でも、国内でも、私たちクリスチャンを用いて広がり続けるのです。また、今のコロナ禍にあって宣教は更に新たな道も開かれつつあります。海外と国内という隔たりがあっても、インターネット等を通してどこからでも繋がることができるのです。最近宣教委員会では、毎回宣教師の先生がネットを通じて参加して下さりお交わりを頂いています。また、昨年には「宣教師との交わり(オンライン)」が開催され28名の先生がネット上で繋がり、宣教の現状を知り、祈り合うことができました。この宣教の新たなる可能性や、その他神が私たちに開いてくださっている機会に、私たちはしっかりと参加させていただきましょう。