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ホーム2024-11-12T16:24:19+09:00

ようこそ

JBBF海外宣教のウェブサイトにお寄りくださった事を感謝いたします。海外宣教委員会の私たちは当ウェブサイトを通して、諸教会の皆様方に世界宣教をより身近に感じていただけたらと願っておりますので、大いにご活用下さい。また、皆様のご意見、ご要望などを参考にしながら、ウエブサイトの充実を目指しておりますので、よろしくお願いいたします。

イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」 マタイ28章18〜20 節

世界宣教と私たち

豊橋ひかり聖書バプテスト教会牧師 栗原 睦

『キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」ヨハネの手紙 第一 3章16節

救われた調布BBCの宣教カンファレンスで私は「伝道者の90%は自分の国で働くが、世界の90%の国々は伝道者が足らず宣教師を必要としている」と知り衝撃を受けました。神学校入学前にフィリピンのジェサルバ師から海外宣教のチャレンジをいただきましたが、結婚が決まらなかったため、31年前独身で豊橋ひかりBBCに着任しました。(冒頭の聖句が召しのみことばです。)

前任牧師がペルーに派遣されるためでした。着任と同時に結婚は決まりましたが、主は京都BBCにおいて妻にも海外宣教の重荷を与えていました。救われる前から10年に及ぶ単身生活で、主は私の家事を訓練しました。

教会を存続させるために

翌年、宣教師を派遣した直後から教会の中心メンバーは移動し、自給不能となりました。当欄に「宣教のために強い自立教会を建て上げることが急務」とあり、強く同意します。すすき間風が吹き込む借家会堂でしたが、主は三人の子らを与えられ、彼らに楽しませ励ましてもらいました。当時は教会を存続させるために家族が生き残ることを優先しており、彼らに自炊を教え会堂清掃も手伝ってもらいました。私のバイトは交通誘導、のちに塾講師に転じ、次に妻が看護師として今も働いていま。自給できなくなった独立教会の窮状を訴えると、国内宣教委員会は種々のご支援をくださり、これがなければ続かなかったでしょう。妻はうつ病の診断を受け通院しますが、仕事を休んだのは2回、2年強でした。

英語のメッセージの必要

19年前、研修生として来豊されたフィリピンのBBF教会員が集われ、英語のメッセージが必要となり、毎聖日用意しました。長時間かかり頭は疲れ、宣教師の方々のご苦労が少しわかります。今日まで毎聖日説教準備は続き、主は私の英語力を訓練しました。やがて近隣に住む日系フィリピン人親族が大勢来会され、旧会堂は一杯になり会堂の必要が意識されました。その時まで身近にフィリピン人が住んでいることも知りませんでした。メソジスト教会員である彼らの信仰は世俗的で、バプテストの信仰を強調しましたが、一致はありませんでした。神道系の手かざし宗教団体が使っていた中古物件を見つけ、よい物があると驚きました。

会堂取得の道

14年前、末期がんで入院中の妻の父を見舞うため、私は父を連れ大雪の中を走行中、父は「不動産を買うなら援助する」と言います。帰りはギア一速固定、ブレーキ厳禁、道端の動けなくなった車をかわしながら恐い運転でした。

その前週、10年ぶりに件の物件を見たばかり。2階に40畳の礼拝堂を持つ特殊物件のため、売れなかったようです。東日本大震災が起き、私は網膜剝離で入院中、妻は一人で不動産会社と信用金庫の融資のため奔走しました。受難週に妻の父は召天し、改修工事後、夏の引越しは若いフィリピン人たちに助けられました。会堂を持てるとしたらこれしかないという道を、信仰の異なる異国人を用いて、主は開かれました。

教会経済の支え

数年前、妻は車で5分の格安(事故物件)の一軒家を見つけ、一番に内覧でき、その場で購入を決めました。私にとっては煩わしい二重生活でしたが、妻には必要な場所でした。3年前には駐車場だった隣地が売りに出され、放蕩息子の方法で父の資産が用いられ買うことができた。父は独居できなくなり11年前から同居、受浸、グループホーム入居、大腿骨骨折で入院、誤嚥性肺炎で飲食を静脈栄養に切り替え、最期の時です。主は父を認知症とともに用いて教会を経済的に支えられました。

フィリピンから日本宣教へ

5年前、コロナ禍とともに日系フィリピン人親族は全員が離れ、バプテストの一人だけが残りました。信仰の一致がなかった日本人も離れました。英語のメッセージは不要になりかけましたがやめる気になれず、欠席が多い兄に録音を送り続けました。3年前、妻はフィリピンからFBメッセージで、日本宣教を志すミンケ師を見つけました。彼らはBBFではないですが、信仰箇条20項はすべて同じでした(一人残った兄も同様)。フィリピンのバプテスト教会の多くは、すべて米国起源でJBBFと同じ立場のようです。

ミンケ師はデピュテーションが短くサポートは少額でしたが、当教会の空室を提供することができ、フィリピンから一番乗りとなりました。領事館の職員は「あなたは宗教ビザで最初に日本に渡るフィリピン人だ」と言いました。ミンケ師から同じく日本宣教を志すエバスコ師、タギアン師を紹介され、関東地区で働きたい彼らに千葉県のJBBF諸教会を紹介し、いずれも昨年、短期滞在と宣教師としての入国を果たされました。あと一人も準備中です。ミンケ師を除く3組の宣教師たちは、日本のバプテスト教会についてほとんど何の情報も交わりもない中で、1~2年前からすでにデピュテーションを始めておられ、大変驚きました。主はフィリピンから日本へ宣教の門を開いてくださいました。

世界宣教のための訓練

日本を目指すフィリピン人は日本を、清潔で秩序があり成熟したアジアの文化先進国と見ています。それで来日すると、まったく英語が通じないことに驚きあわてます。受入教会は英語を使って日本語を教えることになりますが、塾で教えた経験は用いられます。主は世界宣教のため必要な訓練を与えておられました。Ⅰテモテ 4:4「 神が造られたものはすべて良いもので、感謝して受けるとき、捨てるべきものは何もありません。」

主のお言葉を信頼して

「強い自立教会を建て上げる」目標は未達成です。主のお言葉に対する信頼と献身が足りないからでは、と思わされています。無意識に自分の力を頼んで来たのかもしれません。主に依り頼まないから、目標を低く設定してしまいます。悔い改めて、お言葉を信頼し歩みを続けます。

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