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ようこそ

JBBF海外宣教のウェブサイトにお寄りくださった事を感謝いたします。海外宣教委員会の私たちは当ウェブサイトを通して、諸教会の皆様方に世界宣教をより身近に感じていただけたらと願っておりますので、大いにご活用下さい。また、皆様のご意見、ご要望などを参考にしながら、ウエブサイトの充実を目指しておりますので、よろしくお願いいたします。

イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」 マタイ28章18〜20 節

あらゆる国の人々を弟子としなさい

カルバリの丘バプテスト教会牧師 藤沢 幸人

「ですから、あなた方は行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなた方に命じておいた全てのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなた方とともにいます。」マタイ28:19-20

家内と私がカルバリの丘バプテスト教会から招聘を受けて、伝道師として赴任したのはちょうど10年前になります。その頃、カルバリ教会は教会員が6人、礼拝出席者は平均4人でした。無牧になってから2年半が経過していました。教会は無牧になって徐々に礼拝の人数を減らしていったのでした。
私はその前年に説教者として招かれていたことがあって、その時は自分が仕える教会になるとは思ってもいませんでした。私には自分の計画があって、カルバリ教会はその選択肢にはなかったのです。しかし主のお導きは不思議なものでした。私たちが伝道師として仕える道がことごとく閉ざされ、伝道師として要請されていたカルバリ教会しか進むべき道がなくなってしまったのです。

着任した私たちが先ずすべきことは、礼拝を活気のある集会にすることでした。20年前に教会が始められた当初の礼拝の人数が14人だったそうなので、少なくても10人が集う礼拝にできないものかと思いました。

神様のお導き

神様のお導きは本当に予想外でした。私たちが赴任した翌週には近所に住む70歳くらいの男性が与えられました。教会としては数年ぶりの新来者でしたが、女性っぽいしぐさの男性でした。そして翌月には一人の30歳台のアフリカ人男性が与えられました。清水の町を歩いていてもなかなか黒人には出会わないのに、数少ないアフリカ人が礼拝に見えたのです。

彼は熱心なクリスチャンでした。教会に来るなり、すぐにお祈りを数分間捧げるのです。その人は翌週、別のアフリカ人の友人の男性を連れてきました。その連れられて来た男性が、現在家族でカルバリ教会で仕えてくださっている兄弟です。

その人達は西アフリカのカメルーン人で、通常は英語で話します。カルバリ教会には、娘さんが米国人と結婚し海外で生活されている信徒さん2名がいました。ですから教会として外国人に対する違和感は比較的ありませんでした。

しかし、問題は私たち伝道師の方でした。英語が全く話せません。アフリカ人とのコミュニケーションは、最終的には身振り手振りでした。神様のお導きは私たちの希望や予想をはるかに超えていて、そのご家族ともう一組のカメルーン人ご家族がそれから約8年間集っておられ、現在では彼らが礼拝の司会を始めとするご奉仕の中心となって働いています。結果的に、彼らが司会をする礼拝は英語で進められる礼拝です。賛美も英語の聖歌集を10冊以上大泉のめぐみバプテストテンプルからいただくことができましたので、日本語と英語で同時に賛美しています。

昨年までは、日本語と英語の方々が半々でしたが、今年になって教会員が4人増えました。内訳は、英語の方が3人、日本語の方が1人で、全員フィリピン人です。長い間祈っていた通訳ができる人も与えられて、教会全体の意思の疎通が大変スムーズになりました。日本語と英語が自然に混ざり合った新しい教会がようやくスタートしようとしています。

どんな人でも受け入れる

カルバリ教会の外国人の信徒の皆さんは、母国で熱心に教会に集われていた方々でした。カメルーン人の彼が集うナイジェリアの教会は300人が集う教会だそうです。皆さんが育った教会は民族や国籍の違いはありますが、それぞれが熱心に教会生活をしてこられたクリスチャンです。

外国人の人たちは、日本で礼拝できる教会を求めています。それには先ず、自分たちを受け入れてくれる教会でなければなりません。外国人に対する偏見が強かったり、日本の教会の習慣に合わせられる人でなければ受け入れないという姿勢では、彼らを受け入れることはできません。それは彼らを拒絶したことになります。
そういう意味では、新しい伝道師を迎えてどんな人でも受け入れて、これから教会を造って行こうとしていたカルバリ教会だから、彼らを受け入れることができたのかもしれません。教会とは、伝統的な建物や習慣ではありません。教会とは集う人たちです。ですから、新しい教会員が加えられたら、新しい教会に変わって行くのは当然のことなのです。

マタイの福音者によれば、イエス様が天に帰られる時、弟子たちに一つのことを命じられました。それが冒頭のおことばです。私たちクリスチャンはイエス様の憐れみによって個人的に信仰を持つことができました。それは神様を知れば知るほど、どれほど素晴らしいお恵みであるかを、私たちは実際に体験しています。
しかしこのおことばによると、イエス様は、私たちそれぞれが信仰を持つことが、その人にとっての最終的な目的ではないことを教えています。信仰が与えられた私たちは、その次に、あらゆる国の人々を弟子としなければならないからです。それが私たちクリスチャンの最終的な目的です。それが「あらゆる国の人々を弟子としなさい。」という命令なのです。

先ず、日本の宣教を

それでは、私たちはどのようにしてあらゆる国の人々を弟子とするのでしょうか。第一に考えられることは、宣教師をあらゆる国に派遣して福音を宣べ伝えることです。そのためには宣教師を養成する神学校が必要です。日本国内で教会を開拓して教会を増やし、神学校をそれぞれの教会が支えることが必要になってきます。

私たちJBBFの群れができたのは、5組による若い宣教師夫婦たちが戦後の復興中の日本に派遣されて教会を建ち上げていった結果であると聞いています。20代前半の若い宣教師たちは、熱い情熱を持って日本の各地に散らばり、福音宣教のために働いたのだとお聞きしています。そのようにして70年が経った現在80の教会が、宣教の最前線としてその役割を果たしているのです。

日本宣教は、米国のBBFIの宣教団体だけでなく、多くの国々からたくさんの宣教師が日本に派遣されました。ですから日本はあらゆる宣教団体による教会が乱立しています。それでは日本は、多くの教会が建ち上げられてキリスト教国になったのでしょうか。そうではなかったのです。戦後の日本宣教は成功したとは言えません。全世界的な比較では、日本におけるキリスト教徒の数は全人口の1%に満たず、キリスト教が根付かなかった国という評価になっているからです。

私たちは今、語弊があるかもしれませんが、外国に宣教師を送っている場合ではないのです。先ず、日本の宣教を頑張らなければならない。今こそ福音が日本に宣べ伝えられるべきです。なぜなら、全人口の1%未満のクリスチャンの内訳は、お年寄りが多く若者が少ないからです。将来が暗いのです。

私たちのカルバリ教会は、日本の教会としては異色かもしれません。日本の教会らしくなく、英語と日本語が行き交う教会です。しかし見方を変えれば、カルバリ教会こそ日本にありながら、「あらゆる国の人々を弟子としている」イエス様の命令を実践している教会と言えるのではないでしょうか。私たちは、いろいろな民族の人たちと、ともに仲良く教会生活をしているのです。

 

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