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JBBF海外宣教のウェブサイトにお寄りくださった事を感謝いたします。海外宣教委員会の私たちは当ウェブサイトを通して、諸教会の皆様方に世界宣教をより身近に感じていただけたらと願っておりますので、大いにご活用下さい。また、皆様のご意見、ご要望などを参考にしながら、ウエブサイトの充実を目指しておりますので、よろしくお願いいたします。
イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」 マタイ28章18〜20 節
パンを水の上に投げよ
アガペ聖書バプテスト教会宣教師 バーゲット ヨナタン
「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。」伝道者の書11章1節
投資に対して100%の利益が保証されていたら、投資しますか?利益がそれよりさらに高額だったら、どうしますか?おそらく、もっと投資できるお金さえあればと残念がるかもしれない。
パンを水の上に投げると、いつかは戻ってきます。水の上にパンを投げるというのは、私たちには奇妙に聞こえるでしょう。伝道者の書の書かれた当時、水上には何があったでしょうか?貨物船です。見返しを期待してパン(穀物だろう)を船で輸送されることを描いているのでしょう。
穀物を輸送する時は今だ。今のうちに。あまり長く待つと、チャンスを逃してしまう。未来はあまりにも不確かだ。いつ病気になるか、いつ失業するか、誰にもわからない。次の地震がいつおこるのか、愛するあの人がいつ死ぬかもわからない。この説教を最後まで読めるかさえもわからないのだ。人生はもろく、一瞬にして大きく変わってしまうこともありえます。
しかし、ひとつ確かなことがあるのです。主のお働きのために献げるとき、主はそれを必ず報いてくださるのです。神の御約束は確かなのでそう確信します。神は私たちのすべての働きを注意深く見ておられ、それに応じて私たちを報いてくださいます。
心細くなるかもしれない
聖書の時代には、電話もインターネットもなく、迅速にコミュニケーションする手段がなかった。そんな中の王様のことを想像してください。物資を満載した船を送り出したが、毎年毎年、待てど暮らせど、なんの見返りもないままです。
そのような中、きっと次のように悩むこともあるでしょう。「あんなに穀物を一杯輸送するんじゃなかった。愚かだった。何の見返りもない。すべてが無駄だった。なんでこんなことをしたのか。」等と。
初めて船が戻ってきたとき、王様はさぞ嬉しかったに違いない。2歴代誌9章21節によると、ソロモンは船を出し、3年の長い年月を経てようやく船が戻ってきたと記されてある。聖書によれば、船は金、銀、象牙、猿、孔雀を積んで帰ってきたというのです。やっと、輸送の見返りを得たのです。
しかし、船が戻ってくるのを待っているうちに、落胆するかもしれません。毎年毎年、パンを水に投げ続けても、何の結果も見出せないとき、落胆のあまり、水にパンを投げるのをやめてしまうこともあり得ます。しかし、いつか船が戻り、見返りが得るのを期待して続けなければなりません。手にする前では十分にその素晴らしさを理解できないかもしれません。でも船が戻るとき、私たちが水の上にパンを投げ続けたことを心から喜ぶことになります。
宣教師から学ぶ
初めてこの聖句を見たとき、どういう意味だろうと思いました。聖書通読ではなく、広瀬宣教師のカード上で初めてこの聖句に気付かされたのです。先生はなぜこの聖句を用いたのだろうかと思ったが、先生が神の言わんとすることを理解していいたのです。
広瀬先生は自らが水の上に投げたパンのように遣わされたら、いつかさらなる報いを主から受けられることをちゃんと理解していました。先生は自分の人生をインドネシア宣教のために献げました。そこで35年間、福音宣教に励んでこられました。人生を無駄にしたと思う人もいたかもしれません。しかし、救いに預かった多くの魂を考えてみてください。なんと素晴らしい報いでしょう。多くのインドネシア人が地獄の裁きから救われ、永遠の命に預かったのです。神の与えてくださる報いは永遠の報いです。
最近、息子のテトスをブラジルに連れて行きました。息子は3ヶ月の宣教旅行のためにブラジルに行ったのです。そこで75歳の宣教師のお手伝いをします。この宣教師は40年以上もブラジル宣教に励んできました。彼は「水の上にパンを投げる」ことを今もやめようとはしません。新しいことに挑戦することを恐れないので、テント集会を始めたのです。ブラジルで失われた、滅びに向かっていく人々のために命を献げ続けているのです。息子のテトスがこのような宣教師と共に働けることを感謝します。
広瀬先生をはじめとする多くの宣教師たちは、宣教に命を献げ続けています。一人でも多くの魂がキリストを信じることを切に願っているのです。何年経っても、主が導かれるのであればどこへでも喜んで行きます。このような先生方の模範に倣おうとする他の兄姉の献身者が必要です。世の人々の救いのために自らの命を献げることを厭わない献身者たちです。これこそが、世界の果にまで主の福音をお伝えする唯一の手段です。
パンを水に投げる3つの方法
1・命を主に献げること。
自ら命のパンを持って宣教地に出かけていくことです。「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」(ヨハネ15:13)とイエスは述べられました。
2・献金を主に献げる。
海上輸送にはお金がかかる。船員には給料が必要です。宣教献金を通して宣教師を支援し、他の人々に福音のパンを届けるお手伝いができるのです。
3・祈ること。
祈りによって誰もが宣教に関わることができます。宣教には祈りは最も重要です。天候を支配する主は、船の航行を助け、守ってくださるのです。
手遅れになるうちに、日本や海外の失われた魂のために、心を込めて出かけ、献げ、祈ろうではありませんか。
メキシコシティからブラジルのサンパウロへのフライトを待っていた間のことです。空港の職員が仲間と朝食を食べていた。空港の食事は決して安くはありませんが、この人はトルティーヤ(メキシコのパン)の切れ端をハトに投げて与えていました。やがてそのニュースが広がり、1羽が2羽になり、最終的には6羽までとなったのです。この人は自分のパンの一部を喜んで鳥たちに与えていたのです。命のパンであるキリストを、私たちはどんなにか喜びとし、周りの人々に伝えるべきかと考えさせられたのです。時間があるうちに、他の人々に良い知らせを伝えましょう。その知らせは伝わり、主はその努力を益々豊かに祝福するに違いありません。
報いを与えてくださるという神の御約束を思い出してください。神がこの地上において報いてくださることもありますし、天において報いてくださることもあります。落胆してはいけません。パンを水の上に投げることを続けましょう。まだパンを水の上に投げていないのであれば、今日から早速始めてみてください。必ず主はその働きを報いてくださいます。